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お母さん方から任意にいただいた卒園時の想いです。
なお、プライバシー保護のため、氏名等は割愛してあります。ご了承下さい。
■拝啓
 本日、卒園式に参加させていただいた父親でございます。
 まず、この3年間わが子を慈しみ、教育していただいたこと深く感謝いたします。
 世の父親の例に漏れず、なかなか幼稚園の行事に参加できず、やっと、先日の発表会と、本日の卒園式に参加することができました。
 今から3年前、貴幼稚園の説明会に出かけ、園長先生の教育方針に共感を覚え、今、3年が経過した我が子の成長を見るにつけ、やはりこの幼稚園でよかったという想いと、園長先生をはじめ、各学年の先生方、そして、園に関わっていただいている皆さんに、妻ともども深く感謝しております。
 これからは、園長先生が本日話されましたように父親と母親が我が子を見守る大切な時期が来たと感じています。
 教育(子育て)の基本は、やはり、家庭、より具体的には、父親、母親の我が子とのコミュニケーションだと思っております。この質をいかに上げていく(子どもの変化に対する気づきやそれに伴うアドバイス等)ことができるか、それよりも、どれだけの量(質を高めるためには、量を確保しないと、私たちのような凡人には無理だと思います)を確保できるかに夫婦で同じ価値観を確認しながら、頑張っていきたいと思っております。
 最後に二つのイベントに参加し、私の小さな成長があったことをお書きいたします。
 それは、我が子という視点から、全ての子どもたちという視点をいただいたことです。
 先日の発表会「サウンドオブミュージック」を見ているとき、最初は、どこに我が子がいるのか、どんな顔をしているのか、どんな演技をするのか、ばかりでしたが、途中から、我が子の視点が薄くなり、全ての子ども達へ視点が移っていき、彼らのひたむきな「一生懸命」さから発するオーラのようなものに魅了され、大きな感動をいただきました。正に子ども達から、大人の私達が元気をいただいたのです。
 本日も、そのことが頭から離れず、最後の壇上で全ての子ども達が園長先生から、修了証書を受け取るとき、ひとりひとりの子ども達に力いっぱい拍手をいたしました(おかげで少し手のひらが痛いですが)。
 我が子の「幸せ」を願うとき、全ての子どもたちの「幸せ」を願うような気持ちが生じたのだと思います。しかし、これをいつも実践できるかというと自信はありません。それでもあえて、夫婦でこの気持ちをできるだけ忘れずに、我が子の子育てをしていこうと思っております。
 こんなことを私達に気づかせていただいた、園の子ども達、そして、園長先生はじめ皆さんに屋上屋を架しますが、感謝、感謝の気持ちでいっぱいの気持ちです。
 それでは、これからもお体を大切にこれからもたくさんの感動を他の親御さんに与え続けてください。
                敬具
(卒園式の夜、メールとしていただいたものを許可を得て原稿にさせてもらいました。園長)



■ ともに楽しんだ一年間
 「もう千里敬愛幼稚園での生活も終わってしまうんだ」
 そう思うと、熱いものがこみ上げてきて、涙がこぼれそうになります。年長からの入園で不安だらけだった4月、そのときには卒園を迎えて、こんな気持ちになるとは思いもしませんでした。
 参観が多かったこともあって、1年間とは思えないほどのたくさんの感動を親子で共有することができました。中でも、リレー大会と縄跳び大会は、我が子の新たな一面を見ることができ、かけがえのない思い出になりました。
 リレー大会。
 恒平のいつになく気合いの入った表情に驚かされました。速く走れるからと素足で走る姿にも(砂が足につくのは嫌いだったはずなのに・・・)。また、自ら手を挙げて2回走る姿には、こんなに積極的なところがあったんだと、感心しました。結果はどうであれ、取り組む姿勢が昨年までとは違うと感じた出来事のひとつでした。
 縄跳び大会。
 家で練習を始めた2月、その時点での記録は前跳び3回でした。しかし、ひっかかってもくじけず、何度も跳ぶうちに回数が増え、記録が伸びたら練習にも熱が入り、そのうち後ろ跳びもできるようになり、大会直前には、前跳び44回、後ろ跳びで51回跳べるようになりました。諦めないで頑張ればできるということを親子共々学びました。後ろ跳び40秒を目標に臨んだ大会当日でしたが、結果は2回とも後ろ跳びで20秒でした。そして、今でも練習を続けています。恒平の中では、まだまだ縄跳び大会が続いているようです。
 園長先生、カミナリ先生、担任の長谷川先生、諸先生方、素晴らしい1年間をありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 また、一緒に声をからして応援し、一緒に大きな拍手を贈ったお母様方、お世話になりました。



■ 毎日楽しかったね
 兄の雄太に続き、剛太も卒園して、6年間の敬愛生活も終わってしまいました。
 雄太が入園して、剛太は生後10か月から千里敬愛幼稚園に来ていて、物心ついたときから敬愛の行事を見ていたせいでしょうか、入園式の日はカバンを置くなり、部屋で遊び始めたと思ったら園庭を走り回り、早くも制服を真っ白にしてました。毎日登園を嫌がることもなく、楽しそうでした。
 でも元気すぎるせいか、よく怪我をしてました。
 「剛太君、転んですりむきました」「池におちました」「友達とぶつかってコブが出来ました」などなど、こちらが申し訳なくなるほど、先生から電話をいただきました。さすがに年長になると随分と減りましたが。
 そのくせ、熱を出すことも多く、年長になって2回延期になった天王寺動物園へは行かれず、剛太は布団の中で涙、涙・・・。
 でも元気になると、また園庭を走り回り、いつも友達と笑顔を見せていました。
 私も、兄のときは剛太が気になって出来なかったエプロンママやSOSをやらせてもらい、とっても楽しませてもらいました。
 園長先生はじめ、全ての先生方に感謝しています。本当にありがとうございました。


■ 一からのスタート
 我が家が千葉県から大阪府へ移り住んだのは丁度5年前、紘輝が1歳半の頃でした。2時間半かかった新幹線の中ではずっと大泣きをして困らせ、見知らぬ土地への不安を余計に強めたことを今でもはっきりと覚えています。千葉で仲良くなった友達全てと別れ、何もかも、一からのスタートでした。
 幼稚園入園までには2年ほどの時間がありました。千里敬愛幼稚園を選んだ動機は、千葉県に同名の短大があり(後で同名校は無関係と知りましたが・・・)、親しみがあったということが一番だったのかもしれません。
 そんな単純な動機が、今日の卒園の日を迎えるまでに、紘輝にとっても、姉の有美子にとっても、そして私自身にとっても思い出深い幼稚園生活となりました。
 紘輝は入園当初から身体が大きく、年子の姉をも追い抜かしていました。身体は大きいのに気が小さかったので、毎年クラス替えの当初は「お友達いないよ。ひとりで遊ぶんだ・・・」と、寂しいことを言っていました。でも、優しさも人一倍だったので、気の合う友達を見つけるまで、さほど時間はかからなかったようです。幼稚園が大好きで、特に年長になってからは、毎日楽しくて仕方がなかったようです。参観に行くと、いつも笑顔でニコニコしていました。
 毎年の誕生会でいただく担任の先生との写真立ての紘輝の表情も、成長を感じられるもののひとつでした。
 もも組のときは、ものすごく緊張した顔。
 しか組では、ちょっとはにかんだ笑顔。
 そして、うぐいす組では、とびきりの笑顔でした。
 また運動会やリレー大会、発表会など、大きな行事への取り組み方も年々充実し、やる気の成長が見られたことが、とても嬉しかったと思います。
 この3年間で身につけたことは沢山ありすぎて計り知れません。そして、幼稚園を通して知り合えた大切な友達、一体何人いるのでしょう。紘輝も大勢お友達が出来たけど、母である私も友達たくさん出来ました。
 でも、でも・・・、また引っ越しです。再び関東に戻り、また一からのスタートです。卒園式で皆が歌ってくれた「未来の中で会おうよ」が、心に響き過ぎて涙が溢れて止まりませんでした。
 大阪に5年間住んで得た数え切れない全てのことを、大切な思い出として新しい生活への自信へとつなげていきたいと思います。
 ありがとう、千里敬愛幼稚園。
 ありがとう、仲良くしてくれたお友達・・・。
 最後に、胸を張って大きな声で言わせて下さい。
 「私の幼稚園選び、大成功でした」と。



■動かない娘の揺れる心
 実紀、卒園おめでとう。卒園式を見ながらいろんなことを思い出したよ。
 3年前、親の心配通り、登園2日目から1か月ぐらいメソメソし続けたよね。泣いていて、先生方に構われてもイヤ、無視されるのもイヤ、全く扱いにくい子だったんだよね。初めてのエプロンママのときは、「一緒に帰る」と言って、結局給食を食べずに帰ってきたガンコ者でもあったね。参観毎に先生に手を引かれ、何をするのもイヤイヤって感じで心配したんだよ。ようやく3学期になって初めて胸をなで下ろせたよ。
 年中になっても相変わらずで、参観のとき自主的に動かず、ただ座っているだけという日々が続き、「やればできるのに、どうしてやらないの?」という歯がゆさのなかでお母さんも戦っていたけど、実は一番戦っていたのは実紀だったのでは・・・と、はっきり気付いたのは、運動会の日、園に着くなり、「恥ずかしいから帰ってぇ〜!帰ってくれたらちゃんとやるから〜!」と大泣きされたときでした。正直言ってショックだったけど、帰ることにしたよ(こっそり2階の応援垂れ幕の影から応援してたけどね)。
 3学期になってから安定し、そのまま年長になりました。こんなに穏やかに新学期を迎えられたのは初めてで、とても嬉しかったんだ。
 この幼稚園最後の年、あなたはとてものびのびと自信をつけ、大きく成長をとげてくれましたね。ありがとう。
 そして、親子共々温かく見守って下さった先生方、我が子を必要としてくれた友達、本当にありがとうございました。



■ いろいろあった3年間
 3月15日、ついに卒園式の日を迎えました。もうすっかり春という感じのとても気持ちのいい朝でした。いろいろなことを思い出しながら最後の登園をしました。
 小さな頃から積極的で、どこへでも行きたい、何でもやりたいという子どもだったので、入園前から幼稚園に行くのをとても楽しみにしていました。ところが、入園式の日はあまり楽しそうでなく、帰り際に西田先生が、「明日から元気に来てくれますか?」と問いかけたとき、皆は「は〜い!」と元気に手を挙げて答えていたのに対し、手も挙げないし、声も出さないという状態でした。
 父親と、「なんか怪しいね」と話して1週間ほど過ぎた頃から、「幼稚園、行かない」と言い出しました。はじめはバスに乗るときに泣き始め、日を追う毎に泣き出すタイミングが早くなりました。そのうえ、「お母さんと食べる」とお弁当を食べずに帰ってきたりしました。
 そうこうしているうちに、4月のお誕生日会などで幼稚園に行く機会があり、「今日は行くからね」と言うとすんなり行ったりするようになり、ゴールデンウィーク明けにはお友達ができたのか、登園拒否はおさまりました。それからは本来の姿を取り戻し、日毎にたくましくなっていきました。
 ところが年長の7月にハプニングが起きてしまいました。右足首にひびが入り、ギプスをして松葉杖を使うことになったのです。すごくショックだったようで、「治るまで幼稚園行かない」と言ったのです。でも翌日、幼稚園に連れて行くと、お友達が集まって来て、「どうしたん?手伝ってあげる」と、すごく自然に接してくれたので休まず登園できました。先生に毎日おんぶしていただき、楽しみにしていた人形劇やお泊まり保育などの行事に参加できました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 夏休みにギプスが取れて治ったので、9月のリレーでは嘘のように速く、力強く走っていました。
 3年間、数え切れないほど幼稚園に行く機会があり、成長する姿を見ながら、自分が楽しんでいたのではと思います。これで幼稚園に行くことがないと思うと寂しいなと感じています。
 入園前に幼稚園を選ぶとき、園長先生のお話に強くひかれたのはもちろんですが、事務所の寺田先生が笑顔で迎えて下さったことをとても印象深く覚えています。そして、卒園式の日、改めてこの幼稚園で良かったとしみじみ思いました。園長先生、西田先生をはじめ諸先生方、本当にありがとうございました。
 最後に、優ちゃん、卒園おめでとう。



■年中でハジケた!
 葉月、卒園おめでとう!
 母にべったりで、公園に行ってもお友達がいると遊べなかったあなたを、2年保育か3年保育のどちらが合っているのだろうとギリギリまで悩みました。3年保育に決め、入園。
 嫌がるあなたを毎日バスに乗せ、幼稚園に慣れるのに1年かかりましたね。途中、夏には弟が生まれ、ちょっぴりお姉ちゃんになれたのかな、と思う面もあったけど、参観で顔を見せると、家に帰ると泣いていましたね。何度か隠れて見に行きました。
 でも、年中さんになったら、「葉月ちゃん、はじけてんで〜。年少のときは違うわ」と、また同じクラスになれたお母さんから聞いて嬉しかったです。
 人より慣れるのがちょっと遅いだけと思っていたけれど、なんで!と思う気持ちも強かった。あなたのペースがあったのね、と認めることができました。
 年長さんは、つばめ組かはと組が良いな〜と言ってましたね。見事つばめ組。
 段々たくましくなっていくあなたを見ているうちに、あっという間に卒園式の日が来てしまいました。
 自分の気持ちを口に出すのはまだまだうまくないけれど、人にとても優しくできるはーちゃんが大好きです。これからもあなたのペースで成長していってね。見守っています。



■ 千里敬愛幼稚園で良かった!
 去年の4月、入園1週間前に名古屋から転勤してきて、見学をする時間もなく、取り寄せたパンフレットだけで決めた千里敬愛幼稚園。殆ど「賭け」の状態での入園でした。
 でも電話の対応で、とても感じの良かった事務の寺田さん。不安を抱きながら手続きに行った際も、丁寧に、そして優しい口調で対応していただき、癒されました。
 何より驚いたのは、職員の方々が立ち止まって一礼し、挨拶をするではありませんか!?「えっ?な、何?ここの幼稚園?!」と思いました。
 そして、ドキドキ緊張しながらの通園が始まったのです。
 最初はやはり、右も左も分からない不安から、同じように4月に転勤してきたお友達と2人、手をつないでいたようです。
 私の方が気になって、「今日、幼稚園どうだった?」と質問攻め。でも、次第に園の様子が分かるにつれ、不安が取り除かれていったようです。
 そして、また驚いたのが参観の多さです。これまた、「何?ここの幼稚園?!」です。でも、千尋にはもってこいの造形、塗りたくり、真剣な目で取り組む姿を見て、「ん〜、ハマってる」と思ったものです。
 リレー大会ではニコニコしながら一生懸命走っている姿に胸が熱くなりました。
 7月になる頃、3ヶ月遅れで入園した娘の様子が気になって仕方がないようで、毎日、妹のクラスへ見に行ってた、と先生から聞きました。やっぱりお姉ちゃんだね。
 発表会では、女の子でありながら「男役」を希望して頑張ったね。とても頼もしく思いました。
 卒園式が近づくにつれ、毎日が千尋にとって「最初で最後」と思うと、その日一日一日を大切にしたい、と思わずにはいられませんでした。
 たった1年間の通園でしたが、その何倍もの楽しい思い出&経験を得たと思います。きっと千尋の宝物となることでしょう。
 そして亀原先生!先生のお陰で楽しく、そして何事にも一生懸命に取り組むという姿勢が子どもをより一層成長させたと思います。本当に1年間、ありがとうございました。



■よく頑張ったね
 智也、卒園おめでとう。3年間、本当によく頑張ったね。
 2月生まれで、3歳になってすぐに入園。身体も小さく、制服はブカブカで、初めの頃はついていくのがやっと。でも、「行きたくない」とは絶対に言わないで、幼稚園から帰って来るまでは涙を見せなかったよね。
 年少のときは園でなかなか打ち解けず、先生も気にかけて下さって、アンパンマンのシール帳を作って毎日シールを貼らせてくれたんだよ。今でも大事にしまってあるよ。
 年中のとき、思いがけずメガネをかけることになって・・・あのときも先生が、クラスのお友達がすんなりと受け入れられるように、話し合いをしてくれたんだよ。お友達もかばってくれたし、お姉ちゃんも助けてくれたし、智也は幸せな子だって、お母さん、本当にそう思ったよ。
 そして年長。
 友達がいっぱいできて、やんちゃ坊主に拍車がかかって、運動会やって、リレーやって、いよいよ最後の発表会、というときにまさかの右足骨折。しばらくは幼稚園にも行けなかったよね。でも、あのときも先生やお友達のお陰で乗り越えられたんだよ。
 まだ幼稚園に復帰する前、智也をおんぶしてかもめ組のお部屋に行ったら、「ともく〜ん!」って先生が走って来てくれて、「智也、早くこいよ」って、お友達が言ってくれて・・・。涙が出るほど嬉しかったのはお母さんだけじゃなくて、智也もだよね。
 発表会当日はたくさんの楽器をさせてもらって、エンディングのときはお友達が手を引いてステージに上げてくれたっけ。お母さん、嬉しかったなあ。
 3年間、いろんな出来事があったけど、いつもいつも智也のまわりには助けてくれるお友達がいて、優しい先生がいてくれたね。感謝の心を大切に、これからもいろんなことにチャレンジして、大きく大きくなってね!
 最後に先生方へ。3年間本当にお世話になりました。骨折をして自分では歩くことがまだできず、登園させるのをためらっていたとき、京先生が、「大丈夫ですから、いつでも来て下さい」とおっしゃって下さいました。発表会前の大変な時期でしたのに、ごく当たり前のように、いつもの笑顔で。親としてただただ頭の下がる思いでした。本当にありがとうございました。


■ありがとう千里敬愛幼稚園
 康平、卒園おめでとう。
 兄のときからの幼稚園とのつながりがなくなって、本当に寂しくなりました。卒園式が終わった翌日も、「つばめ組で遊びたい」と怒っていましたね。ばなな組、しか組、つばめ組と、どのクラスもとても楽しく、お友達も沢山できて、先生にも優しく見守っていただき、楽しい3年間だったのだろうと思っています。
 兄と一緒の登園だったので、何も心配することなく園生活がスタートし、参観などで見る康平は、いつもお友達と一緒で楽しそうでした。時々のお迎えで、「この子、新しい友達だよ」、帰りのバスから降りて、「今日はまたひとり友達できたんだ」が口癖で、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら話してくれましたね。
 つばめ組の3学期では、好きな女の子の名前を「内緒だよ」と教えてくれ、「今日は『縄跳び上手だね』って誉めてもらったんだ」「手をつなげて嬉しかったよ」などなど、兄二人にはない女の子への優しい気持ちを感じ、母をほんわかと幸せにしてくれました。卒園式のときにお願いして一緒に写真を撮ってもらったときの嬉しさいっぱいのお顔が忘れられません。
 それに、小さなお友達、動物達にもとても優しく、「ママ、手や足が冷たいね。康平は湯タンポだから暖めてあげるよ」「ママ、大変だね。疲れたね。休んでて」と、家族にもとても気遣い、お手伝いしてくれる優しい康平がいてくれて本当に幸せです。
 兄が年長で卒園を迎えられたときの充実感と幸せな気持ちが忘れられず、康平にもという思いはとても強くありました。
 年長では兄と同じ担任の前田先生でした。とても嬉しかったです。ですが、父が単身赴任中で、長男の発病、受験と、母一人で三人の子の負担はとても重く、進級当初から引っ越しを考え、引きずった1年間でした。康平に対してはとにかく千里敬愛幼稚園で卒園させてあげたいとの思いだけでしたが・・・。
 沢山の方に支え励まされ、こうして卒園できましたこと、感謝の気持ちしかありません。たくさんの思い出をいただいて、親子共々千里敬愛幼稚園より巣立たせていただきます。本当にありがとうございました。



■気長に温かく
 先日、この春入園予定の下の子の入園説明会に行き、3年前のことを思い出していました。体験入園のときに泣いていた歩実も、卒園するのだなあとしみじみ思いました。長かったような、短かったような3年間でした。
 でもこの3年間で本当に心も身体も成長したなと思います。当初、3年保育か2年保育かで願書提出ぎりぎりまで迷っていました。いろいろな幼稚園に見学に行きました。千里敬愛幼稚園に見学に行ったときは、園児の多さに圧倒されましたが、園庭でとても元気に遊んでいる姿が印象的でした。先生方も礼儀正しく優しい感じがしたし、園全体が明るい感じでしたので入園を決めました。
 通園し始めた頃は思った通り行くのを嫌がって毎朝泣いていました。しばらくの間、毎朝担任の先生が家に電話をして下さり、歩実と話してくれました。
 年中になってからも、朝、別れ際には泣いていました。いつまで泣くのかなと、内心イライラしてたのですが、先生は気長に温かく見守ってくれました。
 年長になってからは、朝、泣くこともなくなり、それだけでも成長したなと思えるですが、翌日の着替えを自分で準備したり、年少の頃と比べると本当にすごい変化だなと感心しました。
 また、幼稚園では子どもだけでなく、私も色々な行事に参加でき、子ども以上に楽しんだように思います。
 春からはいよいよ一年生ですが、幼稚園の3年間でこんなにも成長できたことに自信を持って、これからも子どもと一緒に歩んでいきたいと思います。



■君のおかげ
 本当にあっという間の3年間でした。
 2月27日生まれで、ついこの前3歳になったばかりの順平を幼稚園に入れることは随分と悩みました。けれども、兄を見ても、姉を見ても、やっぱり年少から入れる一年間は貴重なんだと思い直し、入園を決めました。
 上の子のとき、何もしてやれなかった反省も込めて、順平のときはSOS、エプロンママ、学園祭スタッフと、本当にたくさんの行事に参加させていただきました。大変でしたが、子どものいろいろな成長の場面に立ち会うことができて、とても良かったと思っています。そのどれもが私達親子にとって宝物です
 そして何より、子ども達がいなかったら知り合っていなかっただろう沢山のお母さんと出会えたことは私にとって大きな財産となりました。
 4年前、2年前に卒園した兄、姉。そして今日卒園していく順平、その3人分の思い出がぎっしり詰まったこの幼稚園も今日でお別れです。
 そして、いよいよ母の私も卒園です。
 いつも温かく見守ってくれた千里敬愛幼稚園。園長先生はじめ、お世話になった全ての先生方、7年間本当にありがとうございました。
 この子達のお母さんになれて本当に良かった。そう思えた7年間でした。



■言い尽くせない思い
 まずは園長先生をはじめ、諸先生方、職員の皆様、3年間お世話になりまして本当にありがとうございました。お陰様で息子も元気に卒園することができました。
 入園式の日、園始まって以来の「ばなな組」のクラス名簿に息子の名前を見つけたときは、何故か思わず笑いが出て、それと同時にばなな組1期生がどんなクラスになるのかな・・・という期待が大きく膨らんだのを覚えています。
 毎朝、「え〜、今日も幼稚園あるの?」と制服に着替えるのをイヤがり、ただ通園バス(ちゅーりっぷ)に乗りたいがために園に通っていた日々もありました。
 初めての参観でもある「母の日参観」の前日には弟が生まれ、お兄ちゃんになりました。参観には祖母が来てくれて、先生の「お母さんにお礼の言葉とプレゼントを・・・」の台詞に、「僕はお母さんじゃないのに・・・」と、戸惑いの表情を浮かべていたと聞きました。まだまだ甘えたいその時期に、有無を言わさず兄という立場になって寂しい思いをしたことも多かったと思います。
 弟が退院の日に、病院に迎えに来てくれて、「早く赤ちゃんを抱っこしたい!」と言いながら、家に帰ってもなかなか抱かせてもらえず、姉が抱いたあと、ようやく自分の番かと思えば、危なっかしいからと言われて泣いてしまいました。その涙の顔で弟を抱っこして、弟の重さを全身で感じながら、きっと自分が兄になったのを実感したことでしょう。
 年少時代は年長の姉と比べてしまうからか、何をやっても可愛く見えました。色水遊びや園内プール、運動会、お誕生会、発表会まで、上手下手、勝ち負け関係なく、本人が楽しんでやっていれば親の私もほのぼのと見ていられました。
 でも、ただひとつショックなことが。年少の発表会「赤ずきんちゃん」のビデオです。初めから終わりまで何も演じず、時々泣きながらずっと先生の横にくっついたままの10分間。何も知らずにビデオを購入し、初めてその姿を見たときには何とも言えない怒りを感じてしまいました。
 それも、今では笑い話のひとつです。演じなかった理由を息子から聞き、今、改めて赤ずきんちゃんを見ると、その時の息子の気持ちになり、一緒に涙ぐんでしまいます。
 年中になると自分で気の合う友達を見つけられるようになり、戦いごっこをしたとか、リレーの練習をしたとか、何人かのお友達の名前をあげて教えてくれるようになりました。年少ではなかったことです。
 先生のことも大好きだけど、「先生〜!」ってくっついたり、先生が両手を広げてくれても、わざと逃げるようなテレが出てきたのも、この頃だったと思います。
 冬にはインフルエンザに2回もかかり、長くお休みをしました。発表会の練習に取り残された、と心配したのは私だけで、息子は友達のリードのお陰で、お休みしたギャップを感じさせない「宝島」を見せてくれました。
 年長ではパワー全開で、全てにおいて体当たりで園生活を楽しんでいたようです。
 子どもが楽しければ、親も楽しいと感じるのは私だけではなかったようで、弟も参観等行事のたびに園に連れて行かれたわけですが、一緒に楽しい時間を過ごしていました。未だに弟もあひる組発表会「夕鶴」のセリフや歌を一緒に歌っています。
 あひる組のみんなの団結力は本当にすばらしいものでしたね。言い尽くせない思い、書ききれない想いがいっぱいあります。息子のパワーもありすぎて、お友達の家にお詫びの電話をすることも数回。
 友達には優しく、自分は何をするときも一生懸命、そして楽しく。ただ、それだけを繰り返し言い聞かせて育てた幼稚園の3年間だったと思います。
 卒園式の日、弟が式典の兄の姿を見て、「幼稚園、行きたいなぁ」と言ったのは、兄の姿がカッコ良く見えたからでしょうか?
 保育室で真剣な眼差しで先生の話を聞く息子を見て、ちょっぴり成長したかなって、涙がこぼれました。
 制服も、もう余裕がないぐらい大きくなりました。
※ 最後に拓矢に
 3年間、上靴と外靴を、きちんと自分で洗いました。3年間、お弁当の日は、ごちそうさまでしたと言って、お弁当箱を出してくれました。
 年長さんでは体力もついて1年間お休みしませんでした。
 3年間、お母さんを幼稚園ママとして楽しませてくれました。
 ここにお母さんから、おほめの言葉と感謝の言葉を贈ります。
 ありがとう。


■孵化のように
 胸にこみ上げてくる寂しさをおさえ、卒園した今日、子どもの寝顔を見ながら書いています。
 寝る前に子どもが言った一言です。
 「今日からまたはと組が始まればいいのに」
 入園した頃は、3年経った今日のこの日が来るなんて考えもしませんでした。内気で恥ずかしがり屋、人から話しかけられても返事もしない、挨拶もしない、何もしないづくし、おまけに先生にべったり、くっつき虫。
 「あ〜なんでうちの子はこうなんだろう」って何度思ったことか。
 それが時を経て年長になってから再び西田先生にお世話になることになり、「年少のときとは見違えるほど変わられました」と、何度も言って下さり、その言葉がどれほど嬉しかったことか。
 親の目から見ても眞子は本当に変わりました。人間ってこんなに変われるもの?って思ったぐらいです。この幼稚園に行ってなかったら、昔の眞子のままのような気がします。先生や友達、眞子に関わって下さる周りの人達のお陰なんです。
 そして子どもも変わったのだから、親も変わらねばなりません。私はおこりんぼママを卒園したいです。卒園できかどうかは怪しいですが、子どもに負けぬよう頑張ります。
 眞子、幼稚園生活の3年間は楽しかったね。ママはいつも笑っている眞子が大好き。もし願い事がひとつ叶うなら、眞子になって楽しいことや悪戯をいっぱいしたいよ。
 今の笑顔を忘れず、大人になって欲しいなぁ。そして大人になったら一緒に文集を読みながら、幼稚園3年分の思い出を語り合いたいね。その日が来るまでママはシワを増やしながら待ってます。
 卒園おめでとう


■変わっていなかった園
 ちゃぁ、卒園おめでとう!
 この日を迎えることができましたのも、園長先生をはじめとし、すべての先生方、職員の方々、お母様方に大切に育んでいただき、そして仲良くしてもらったお友達のお陰と感謝し、お礼申し上げます。
 ちゃぁは、兄達が12歳、10歳のとき、我が家に授かった待望の女の子だったこともあり、少しでも側にいて一緒の時間を過ごしたいと願い、2年保育を選び、入園が決まるまでハラハラドキドキしたこと、バス通園第一日目にバスを見送った後、涙が溢れ、家に戻ってからは放心状態でお迎えの時間ばかり気になったこと、いつも子ども達の視線で、押しつけでない保育で、毎日楽しい園生活を送れたことが、次々と思い出されます。
 また、長男の年長時の担任の先生が保護者であり、補助の先生としてお会いできたり、次男の年中時の黒坂先生が主任として活躍されていたり、バスの先生も変わっていらっしゃらなかったことも、安心した園生活を送れたひつだと思います。
 そして、私自身、SOS、エプロンママ、学園祭りのスタッフ等で、沢山のお母様方と楽しく過ごさせていただきました。親子共々充実した日々を送らせていただいた千里敬愛幼稚園万歳です。
 ちゃぁは4月から小学生ですが、この先もずっと「お誓いの言葉」をいつも胸にとめ、心の穏やかな思いやりのある女の子でいてね。パパもママもお兄ちゃん達も、ちゃぁのこれからの人生がずっと幸せであると願い、信じています。
 最後のちゃぁのつぶやきです。
 おじいちゃんは、ちゃぁが「煙草やめて ず〜っと 元気でいてね」と言ったら 止められたから 園長先生も ちゃぁが 言ったら やめれるのと違う?
 いつも全力投球でご多忙な園長先生、くれぐれも無理をなさらず、お体を大切に、そしてこれからも多くの方々にすばらしい幸せな園生活を経験させて下さい。 ありがとうございました。
 追伸:先日の京都参拝、卒園式で、練習を重ねたわけではないのに、歌、お誓いの言葉など、しっかりと大きな声で合わせて合掌している子ども達の立派な姿は、日々の生活の中で培われたものと、皆の成長に感動しました。



■参観では見せた顔は・・・
 一輝、卒園おめでとう。手がかかった分、ママは今、気が抜けて、ちょっぴり寂しいです。
 3年間とうとう、一輝の口から、「幼稚園に行きたい」「幼稚園が楽しい」という言葉は聞けなかったね。それどころか、「ママ、幼稚園に行く意味は何?カズ、幼稚園をやめたいんだけど」何て言ったときは、思わずお茶を吹き出しそうになったよ。
 運動会の練習が始まれば、疲れると言って毎朝ぐずり、3学期になり発表会一色になると、あんなのやってられないと、朝から暴れてママに暴言を吐きまくったよね。ママはシーズンが来ると、一輝以上に毎日が憂鬱だったよ。
 でも、年長の発表会のときは違ってた。また暴れ出すのを覚悟して、あらかじめ周囲のお母さん達に言っておいたのに、毎朝ブツブツ言いながらも、ぐずらずに登園したね。決して楽しんでいる様子はなかったけど、本番ではそれなりに頑張ってたね。一輝にしたら上出来だったよ。歌も年中のときにはアクビをしてたのに、年長では何と真面目に歌ってた!声は小さかったけど、一輝が歌ってるそれだけでママは大満足。一輝の3年間で一番の成長を感じたよ。
 幼稚園最後の日まで、「今日は早帰り?遅帰り?」とママに怠そうに聞いてたっけ。「お昼食べたらすぐに帰って来るよ」と嘘を言うと、ニコッと笑って家を出て行ったね。
 リレー大会のときは些細な理由でテンションがどん底まで下がってしまい、大泣きしながら走り、挙げ句の果てにバトンを投げるという大失態。「穴があったら入りたい」とはこのことだってママは思ったよ。先生方や同じクラスのお母さん達に、本当に申し訳ないことをしました。
 参観ではいつも不真面目だった一輝。でも、ママを見つけると嬉しそうな顔をしてくれたね。妹がいるからママはあと2年間幼稚園が残っているけど、園で一輝の姿を見られないと思うと、何となく寂しいなぁ。
 卒園式の夜、ママは思い切って聞いてみた。
 「カズ、幼稚園は楽しかった?」
 「うん、楽しかったよ」
 そんな予想外の答えが聞けるとは思っていなかったから、ママはすごく嬉しくて、これまでの苦労が飛んで行きました。4月から小学校での新たな苦労が待っているかも知れないけど、ママも頑張るから、カズも頑張ろうね!


■卒園
 長いようで短い幼稚園生活が終わりました。年少の頃の写真を見ると、スモックを着るとショートパンツが隠れてしまうくらいだったのが、すっかりお姉さんになったんだなぁと実感します。一番変わったのは涙の意味。年少の頃はとにかくお母さんと離れるのが嫌いで寂しい涙、悲しい涙でした。それが年長になって「悔しい」涙へと変わりました。
 ひとつのことをするのに時間のかかる晴絵、リレー大会も縄跳び大会も涙を流しました。特に縄跳びは冬休みまで跳べませんでした。
 「もう嫌だ」と半ベソ。「リレー大会と同じになっちゃうよ」と言うと毎日練習を始めました。本番前にやっと40秒跳べるようになりました。あのときの嬉しそうな顔が私は大好きです。
 本番では残念ながらひっかかってしまいました。いつまでも泣いていました。後ろ髪をひかれる思いで帰りました。彼女は年少や年中では持っていないものを持てたんだろうなと思いながら帰って来てから、「ぎゅっ」としました。いっぱい、いっぱい泣いていました。
 そして、「小学校の縄跳び大会は絶対跳ぶぞ!」と一言。もう見守っていくだけなんだなぁと感じました。
 年長になって将来の夢も決まったようです。ルルちゃんやモモちゃんのお陰かな、「動物園の人になりたい」と言っています。叶うといいね。楽しみだな。
 3年間、親子共々、たくさんの先生方やお友達、そのお母さんにお世話になりながら楽しい園生活を送ることができました。本当にありがとうございました。千里敬愛幼稚園の更なる発展を心よりお祈りしています。


■いっぱいいっぱいありがとう
 摩那、卒園おめでとう。また少し大きくなったね。
 2年前、一緒に見学会に行ったあの日、初めて見た千里敬愛幼稚園、そして園長先生のお話を聞いて、「摩那が自然体で楽しみながら、子どもらしい体験をすることができる幼稚園。私も一緒に楽しめそう」と直感しました。摩那も希望に目を輝かせながら、「ここの幼稚園に来るね」って言ってたよね。
 この決断はもちろん正解でした。だってこんなに晴々とした気持ちで卒園を迎えることが出来たんだもんね。卒園式の日、教室に戻った摩那の目に涙が浮かんでいるのを見たときはびっくりしたけれど、楽しかった幼稚園生活とのお別れをしていたんだね。私も思わず嬉し泣きをしてしまいました・・・。
 平成14年度、千里敬愛最後の新年中は1クラスの募集しかなく、園長先生による運命のくじ引きという中、見事12番の入園切符を手に入れてスタートした摩那の幼稚園生活。バス停の大勢のお友達やりす組の活発なクラスメイトに囲まれて、楽しく順調に駆け足で過ぎていった年中の1年間。
 年長になり、鉄棒、縄跳び、リレー、発表会など様々なことに熱心に取り組んでいる姿や表情には頼もしささえ感じられるようになりました。
 摩那、2年間の幼稚園生活の中でたくさんのことを吸収して、大きく大きく成長したね。この経験は摩那の心の大きな栄養になっていることと思います。これからも、どんどんどんどん心の栄養を増やしていって欲しいと思っています。
 最後になりましたが、いつも温かく見守って下さる園長先生、諸先生方、とびきりの笑顔の和美先生、とても可愛がって下さった舞先生、本当にありがとうございました。そして、沢山のお友達、楽しい時間をいっぱいいっぱいありがとう!



■私の赤ちゃんが1年生に
 子どもの成長は一日一日が喜びの連続でした。あれが出来た、これを覚えた、また背が伸びたと。その毎日は幸せで、子どもはどんどん可愛くなって、片時も目を離すのはもったいないと思ったものでした。
 幼稚園に入った頃、「じゃあ行ってらっしゃい」という私の手をどうしても離せなくて、今生の別れのようにいつまでもいつまでも手を振って、お互いの姿が見えなくなるまで見つめ合っていたものでした。なのに子どもはつの間にか、バスに乗ったとたん、先生や友達に笑顔で挨拶を交わし、外に立っている母を忘れることが多くなっていきました。
 「これはお母さんのための修了式です」
 先生がおっしゃったことは、本当にその通りだと思います。希望にあふれ、喜びに満ちた子どもの姿とは対称に、未練がましく、去りがたいのは母の方で、受け取った修了証書に幼児期との決別を告げられ、母親の出る幕はこれで終わってしまったことを悟るのは大変つらいことでした。
 しかし、卒園式での涙と共に、甘いだけの母から脱皮して、小学生の母として、これからはしっかりと教育していかねばと、人生の大きな転換の春を、子どもと共に迎えました。
 親子共、大きな成長を遂げることが出来ましたのは、幼稚園の皆様の温かさのお陰だと感謝しております。


■「個性」としてとらえてあげたい
 卒園式の終わった夜、裕天に、「幼稚園は楽しかった?」と聞くと、「うん、楽しかったよ。バスに乗って動物園へ行ったり、お弁当や給食を食べたり、お餅つきをしたり、絵を描いたり、ブロックで遊んだり、お外で遊んだり、どろんこになったり、リレー大会をしたり、縄跳び大会をしたり、虫取りをしたり、他にもいろいろ楽しいことだらけだったよ」と。次から次へと楽しかったことを話してくれました。私には意外でした。こんなにたくさん幼稚園のことを話してくれたのも初めてでしたし、その中に、おそらく裕天にとってはそれほど楽しくないだろうと思っていたリレー大会や縄跳び大会も入っていたからです。なぜそれが楽しかったかと聞くと、「お友達と一緒にやったから楽しかったよ。できなかったけど、なんか楽しかったよ」と話してくれました。自分の不得意とする分野でも、幼稚園時代にはお友達とやれるから楽しいと思えるなんて、子どもって素晴らしいなあと思いました。
 それにひきかえ、私はあまりいい母親ではありあせんでした。年少の発表会では何もやらなかったことを責めまくり、かと思えば、縄跳びができないことも縄跳び大会の数日前になって気付くというお粗末さです。おこりんぼうで、無頓着な母親でした。
 卒園式で園長先生が「個性」の大切さを話されました。裕天の場合、「個性」イコール「裕天の成長速度や興味の方向性の違い」だと思うようにしようと思います。裕天の個性を温かい目で見守るために、がみがみ叱るのではなく、まず話を聞いてあげようと思います。
 先日、裕天の卒園祝いにとお友達から手作りのものをいただきました。その一針一針を見ていると、周りの人達に支えられて無事に卒園することができたのだと実感しました。裕天と遊んでくれたお友達、そのお母様方、ありがとうございました。
 最後になりましたが、ちょっと怖そうな(!?) 園長先生、優しい先生方、たくさんのお友達のいる千里敬愛幼稚園に通えばこそ、明るく元気な裕天に成長することができました。3年間どうもありがとうございました。



■入園半年後の爆弾宣言
 ひかり、卒園おめでとう。とうとうこの日がやって来ましたネ。ひかりはお母さんのお腹の中にいるときからこの幼稚園に来ていました。お兄ちゃん達のときから数えると7年間来ていたことになりますネ。
 入園して間もない頃は毎日が楽しくて喜んで行っていましたが、半年が過ぎたくらいから、「ひかりは幼稚園で、もういっぱい遊んだから明日からは家にいる」と言われたときは、どうしようかなと思いました。それからしばらくはパジャマ姿で園に行ったり、休んだりといろいろありました。お母さんも悩んで、このままずっと休ませていた方がいいのかなとか、無理に行かせた方がいいのかなと考えたこともありましたが、今日のひかりを見て、あの頃の悩みがウソのようにひかりはしっかりとした年長のお姉ちゃんになっていました。
 発表会、年少のときの赤ずきんちゃん、年中のメアリーポピンズ、年長のマルコ、どれも可愛かったです。
 リレー大会のときのひかりも格好良かったです。あんなに一生懸命走っているひかりを見たのは初めてでした。
 これからは、ここで出来た思い出とお友達を大切にして元気に小学校に行って下さい。お父さんとお母さんはいつでもひかりを見守っています。



■シャイボーイだった君が
 まことへ、卒園おめでとう。
 千里敬愛幼稚園に入園できて良かったね。赤ちゃんのときから食物アレルギーがあったから、給食がある幼稚園に行くのは無理なのかなと諦めていたけど、園長先生が快く受け入れて下さり、ママは本当に嬉しかったよ。この3年間で少しずつ食べられる物が増えて、先生から「まこと君、サラダを嬉しそうに全部食べていましたよ!」と聞いたとき、ママも嬉しかったです。
 入園当初からずっとシャイボーイだったよね。ママがエプロンで行っても参観で行っても、ママの顔を見ると何もできなくなって、ちょっと可哀想でした。
 でも、年長になると一変して、年少の弟の面倒を見たり、遊んであげたりして、たくましくなりました。参観のときも、「ママ、絶対来てよ!」と言ってくれるようになったよね。3年間の千里敬愛での幼稚園生活がまことを大きくしてくれたと思います。あひる組で学んだ、「みんな一緒に元気に頑張る心」を忘れずに、これからも大きくなって下さい。
 最後に園長先生をはじめ、先生方へ感謝を込めて、「ありがとうございました」。


■姉と弟の6年間
 最後のエプロンママの日、私は何故か、姉のクラスで生後7ヶ月の駿をベビーカーに乗せて揺らしながら、おにぎりを握った・・・そんな6年前の一こまがふと頭をよぎりました。あんなに小さかった駿がもう卒園なんだ。そう思うと胸がいっぱいになり、卒園式まであと1週間もあるというのに、涙が溢れてしまいました。
 3歳離れた姉と一緒に、赤ちゃんの頃から毎日通園し、園庭が公園だった駿。それなのに予想もしなかった登園拒否。親の顔を見る度に泣いた参観行事。動かない発表会。ようやく馴染んだ頃に左手親指の骨折・・・。年少はハラハラドキドキしどおしでした。先生方にはいろいろご心配やお世話をおかけしてしまいました。
 が、年中になると日に日に活発に。少しずつ。自分らしさが出せるようにもなってきました。担任の富江先生が大らかに見守って下さり、「お母さん、大丈夫ですよ」という心強いお言葉に、私自身何度も励まされ、元気づけていただきました。
 そして、いよいよ年長。姉も年中のときにお世話になった西田先生のクラスになり、親子で大喜び。優しく、愛情一杯に接していただき、お友達との関わり、活動への取り組み、何事にも積極的になった駿。幼稚園が、友達が、先生が大好きになり、それまで「重役登園」だったのが、少しでも早く遊びたいと、登園時間が1時間も早まりました。
 お泊まり保育も思い切り楽しんで、子離れ出来ない親の方が寂しい気持ちになりました。
 「大好きな僕の親友」と断言していたお友達のお引越は、新幹線のホームを走って追いかけ、大号泣し、5歳児でここまで友達を想える心を育んでいることに驚かされました。
 闘志を燃やし、はと組が一丸となって掴んだ運動会の優勝。第一走者で頑張ったリレー大会、一生懸命さに胸が熱くなりました。
 縄跳びも冬休みに毎日練習し、日を追うごとに跳ぶ回数が増えていく成長ぶりに感動しました。発表会でも自分なりの表現、真剣な演技に見違えるほどの逞しさを感じました。
 振り返ってみると、行事の度に子どもの成長を強く感じ、キラキラした笑顔を見て涙した自分がいます。多くの感動を与えて下さり、子ども達が千里敬愛幼稚園に通えてよかったと思えました。私もこの6年の園生活が子どもと共にかけがえのない宝物になりました。
 園長先生をはじめ、いつも声をかけて下さった多くの素敵な先生方、駿と遊んでくれたお友達、一緒に子育てをしたお母さん達・・・。素晴らしい出会いに恵まれ、有意義で充実した楽しい日々を送れたことに、感謝しています。本当にありがとうございました。



■ありがとう、そしてこれからも
 佑果が入園してから3度目の桜の花が咲く季節が近づいて来ました。新年中で入園してからあっという間の、佑果にとっても、私にとっても忘れることのできない2年間です。
 2年前、佑果を入園させたら私は楽をしようなんて思っていたけれども、あまりに園での行事が楽しすぎて、気がつけばいつも園まで足を運んでいました。我が子が親から少し離れた所で、楽しんだり頑張っている姿、この先なかなか見られることはないと思います。
 千里敬愛幼稚園で私が学んだこと、温かい心で子どもを見守ってあげることです。どれだけ子どもは心が満たされて安心するでしょう。そしてその安心がチャレンジする心や人に対して思いやる心が生まれるのだと思います。
 これほどまでに温かい千里敬愛幼稚園。いつまでも幼稚園にこだわっていたい私の気持ちとは裏腹に、「小学校で早く勉強したい!」なんて前向きに何でも取り組もうとしている佑果を見ると、心も身体も大きく成長したなぁと、つくづく感じます。
 園長先生、父の参観のとき、カメラを片手に嬉しそうに歩いていた姿、忘れられません。あのときの表情は園長先生というより、父親の表情だった気がします。
 新年中でお世話になった西田和美先生、先生の笑顔と子ども達にはもちろん、私たちまでにかけて下さる優しい言葉。どれだけ先生からは元気をいただいたことか・・・。西田先生にお会いするだけで涙が出てしまうのは私だけでしょうか?
 年長では安岡舞先生。お会いするとおいつも身体を張って子ども達と遊んで下さっていて・・・。食の細かった佑果は年長になって、ご飯を沢山食べてくれるようになりました。心身共に成長を感じた1年でした。
 千里敬愛幼稚園は少子化という世の中がウソのよう、たくさんの子どもを育てられるお母さん方が多いですが、皆さん本当に楽しんで、育児、育自されているんです。私は、先生方から、子ども達から、お母さん方から、人として温かな大切なものを沢山教えてもらいました。私にとってかけがえのない、忘れることのない宝物です。佑果は卒園しますが、この4月からは弟の良汰が入園します。私にとっての宝物がまた増えるのが楽しみです。
 佑果の将来の夢、今まではケーキ屋さん、お花屋さんなどでしたが、先日決心したのか、私に言いました。
 「ママ、大きくなったら何になるか決めたよ。
  幼稚園の先生!敬愛の先生」と。



■卒園おめでとう
 年中から幼稚園に通うようになり、あっという間に2年が経ちました。
 入園式のとき、幼稚園に行くことが嫌で泣いていた滉季、今でも思い出します。パパの足元につかまり、泣いていた滉季を先生が抱きかかえて連れて行ったとき、かわいそうとふと思い、何をするんやここの先生はと、怒りも感じました。でも、あのときは先生が正しかった。親が子離れした瞬間だと。
 それからは頑張って通っていました。友達もでき、楽しいと喜び、または喧嘩したと悲しむ。子どもは素直だなと実感しました。
 弟想いで、優しい滉季、よく言ってました。パパは仕事ばかりして遊んでくれないし、家に帰ってくれば怒ってばかりと。滉季が悪いことをして怒ったとき滉季は、パパに向かってこう言いました。パパは子どものとき悪いことをしなかったのか。パパは子どもの頃のことを思い出しました。自分が子どもの頃のことを思い出しながら、子どもに接しなければいけないんだと実感させられました。
 2年間、パパはあまり遊んでやることができなかったこと、後悔もしています。滉季の成長していく様子を見ながら嬉しいやら悲しいやら、複雑な気持ちです。年長になったとき、滉季は幼稚園に行きたくない、友達が誰もいないんだ。調べてみるとりす組のときの友達が誰もいないのが分かりました。滉季に頑張って行けば友達はすぐにできると励ましながら行かせたことも今になれば思い出。
 知らないうちに足し算ができるようになり、ひらがなが読めるようになる。家で教えたわけでもないのに、幼稚園で友達と遊びながら覚えたと言ってました。
 そんな友達ともお別れですね。これからも子どもらしく言いたいことは言って、やりたいことはやって下さい。パパはいつも影ながら応援しています。
 卒園、おめでとう。



■半年待っての入園
 平成16年3月15日、お陰様で無事卒園することができました。
 振り返ってみると、千里敬愛幼稚園での2年間は、和可にとっても母親の私にとっても楽しいことばかりでした。
 平成13年10月、主任の転勤で船橋市から引っ越して来ました。和可は3歳10ヶ月。年少の転入は叶わず、待望の入園は半年後の年中からとなりました。入園待ちの半年間は、小学校に通う二人の姉達中心の生活でした。忙しさのあまり、和可と触れ合う時間が充分にとれず、気が付くと和可は、すっかりテレビっ子になっていました。そんな経緯もあり、半年ぶりに通園するようになって暫くは随分心配していたのを覚えています。
 それも「まるで年少のときから園にいるみたいです」とい先生の一言で大きな安心に変わりました。そして娘は千里敬愛幼稚園のことが大好きなんだと実感しました。
 これまで2つの幼稚園を経験してきた私ですが、行事の多彩さには驚かされました。そのいずれの行事も園児達にとって、とても魅力的なもので、私には新鮮に映りました。行事に参加している娘の瞳は輝き、身体全部が躍動感に満ち溢れていました。そんな娘を園に見に行くのが私も楽しみでした。
 こんな素晴らしい幼稚園であることを自慢したくて、船橋の友達にホームページのアドレスを教えたこともありました。
 絵を描くのが大好きになり、指先も随分器用になりました。縄跳びもいつの間にか跳べるようになり、後ろ跳びが得意です。逆上がりもできるようになりました。
 そんな娘の成長を2年間見守ることが出来たことに心から感謝しています。同時に私もたくさんの思い出をいただき、母親としての青春時代充分楽しませていただきました。
 また、なかなか子育てに参加できない主人もホームページで園の様子を見ることができ、とても喜んでおります。
 こんな素晴らしい幼稚園に入園でき、園長先生をはじめ、先生方、たくさんのお友達に出会えたことを心から感謝しております。大変世話になり、ありがとうございました。
 わーちゃんへ
 卒園、おめでとう。幼稚園、楽しかったね。何でも一生懸命やるあなたは偉いよ。発表会はすごく良かったよ。パパは宝塚に入れたいなんて言ってるんだよ。甘えん坊のあなたも、もうすぐ1年生だね。これからも元気で明るいわーちゃんでいて下さい。 ママより



■頑張る姿に勇気づけられて
 剛裕君、卒園おめでとう
 今日、無事卒園式を迎えることができました。いつも元気いっぱい頑張っている姿に、影ながら応援することしか出来なかったけれど、よく頑張っていたね。偉かったよ。
 剛裕は、生まれたときから筋ジスという障害を背負っています。筋肉の病気で難病です。疲れやすく、動きすぎたり冷えたりすると、足に負担がかかり、歩けなくなり、走ったり跳んだりすることも、先生の手助けがなければ出来ないこともありました。
 みんなと同じようにしたいと思う気持ちは人一倍強く、思いとは裏腹に身体の方が動けないのです。そんな思いをしていても幼稚園へ行くのを嫌がらず頑張っていました。無理だけはして欲しくないと願うだけでした。親が思うほど、剛裕は元気で楽しんでいたので良かったと思います。いつも先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。クラスのお友達にも助けてもらいました。お友達にもありがとうを言いたいです。
 抽選入園という壁にぶつかりましたが、念願叶って入園できたのも、剛裕の思いが強かったのでしょう。
 2年間はあつという間でした。まだまだ幼稚園へ行きたいと思う気持ちだけが心残りですが、園長先生をはじめ、先生方には本当によくしていただきました。
 これから先も辛いことがいっぱいあると思いますが、一歩一歩ずつ頑張って行こうと思っています。幼稚園で学んだこと、経験したこと、いろんな思い出が心の支えとなっていってくれることを信じて。
 本当にお世話になり、ありがとうございました。


■今を生きる
 「幼稚園の靴、置いといてね。これで縄跳び練習するとうまくなるねん!」
 卒園後も我が家の玄関にそっと佇んでいます。
 大阪に来るまで京都の田舎の方に住んでいたので、都会の園選びは慎重になっていました。敬愛キッズのお母さんの「いいよ!」の一言で説明会に。いくつかの同じ様な説明会を廻った後の園長先生の熱心なお話は、どの園とも違うものでした。「毎日が運動会」「お母さんの青春時代ですよ」という言葉に何か熱いものを感じました。
 晴菜は一人っ子特有の性格か、自己主張がうまく出来ず心配でしたが、「カノン」で少しずつですが、お友達との間で成長していることを感じました。親とべったりだったのが離れた時間を持つことで、先生やお友達に育まれていることが嬉しかったです。
 他園の方から「参観、多くて大変ね」とよく言われましたが、なんのなんの!バスに乗り遅れた日も、「明日、ちゃんと乗りや!」と怒りながらも自転車に乗せて園に送るのは、何かと親の楽しみにもなっていました。園での賑やかな子ども達の声に、帰路はきまって爽やかでした。
 最後の年はSOSや学園祭りのお手伝いで日頃の子どもに触れられたこと、お母さん方とのつながりが増えたのも、とても嬉しいことでした。
 説明会のお預かりで、おチビ組に混じって寺田先生に鈴なりにぶら下がり、号泣していた晴菜。その子が、「私、小さい組さんから行きたかったなぁ。だって先生もお友達も大好きやねん」とお風呂の中でポツリ。枕元に末廣先生と西田先生の写真を置いて、「寂しい」と布団にもぐり、「一年生になったら」を歌って自分で元気づけて寝ています。
 園長先生の、「今を生きる子どもの懸命な姿。大きくなると共に親を通り抜けて行きます。今の瞬間を忘れないで下さい」の言葉を胸に刻み、諸先生方、職員の皆様、仲良くしてくれたお友達、沢山の方に支えられて楽しい園生活を送れましたことに、心より感謝いたします。



■出会い
 とうとう幼稚園生活が終わってしまいました。
 我が家と千里敬愛幼稚園との出会いは、今から6年前の4月、あと10日で入園式という日、急に千里ニュータウンに引っ越しして来て、右も左も分からないまま、長女の3年保育を決意。いくつかの園に問い合わせの電話を入れると、「今、何月だと思っているんですか?もういっぱいで入園は無理です」と断りの返答。
 がっかりしながら千里敬愛幼稚園に電話を入れると、「いつでも説明に聞きにいらして下さい」との返事でした。早速出かけてみると、日直の先生がいらしてパンフレットをもらった後、集団生活の不安etcを質問すると、「この園は絵も自分から描きたくなるように指導しています」「ひらがなも遊びの中で身に付けられるように保育に取り入れています」と、優しい笑顔で対応して下さり、この園しかないと決めました。
 俊介は、もう3年も通い慣れた園への入園です。嫌がらず順調に通っていたのですが、インフルエンザで1週間休んだ後の登園拒否。泣き叫ぶ俊介を先生にあずけ、後ろ髪を引かれる想いで帰った後、心配で迎えに行くと、別れたあと、すぐに泣きやんだそうで、1週間もすぎると通園を嫌がらず、園で別れるときもバイバイできました。
 姉が2人いるせいか、年少、年中の頃は、話に出てくる友達も女の子が多く、もう少し強くなって欲しいなぁと心配したときもありました。しかし、運動会、リレー大会で見せた真剣な顔。縄跳び大会では高得点を狙って毎日後ろ跳びの練習をして、大会当日は何と前日20秒までしか跳べなかったのに、40秒台まで残っているではありませんか。惜しくも60秒台は残れませんでしたが、そのときの真剣な眼差し、チャレンジする中に強さを感じました。
 今、卒園式のビデオを兄弟3人で見ながら、「お念珠持っている間、手を離したらあかんねんなぁ」「そうやな」「顔とか頭とか痒くなって困ったわ」
 3人のそんな何気ない会話を聞きながら、とても幸せな気持ちになりました。
 本当に3人共、千里敬愛幼稚園で良かった。6年前、出会えて良かった。俊介、卒園おめでとう。温かく見守って下さった先生方、仲良くしていただいたお母様方、お友達、ありがとうございました。



千里敬愛を卒園した娘たちへ    
 春のこの季節、また学年がひとつ上がりますね。お母さんにとっては、喜びでもあり、不安でもあります。8才と6才になった未名実と希に伝えたいことがあります。 
 あなた達にはもう一人お姉ちゃんがいましたが、お母さんのお腹の中でしか育ててあげることができませんでした。声なく生まれた彼女は、私に生きることの大切さを教えてくれました。
 その後、寂しさの中から私を救ってくれたのは未名実と希の元気な産声でした。二人とも泣き虫なのは、お母さんのせいかも知れませんね。無事に生まれて来てくれてありがとう!
 せっかく与えられた命、精一杯生きて下さい。また、生き抜く強さを私と一緒に身につけていこうね、お願いだからお母さんより先に逝かないでね。あなた達の名前に込められた意味のように未来に名前を実らせるよう希望を持って前向きに生きて下さい。
 お母さんはいつでもあなた達の味方です。          −母よりー
 淡路島で生まれ育った未名実は、「お船のある幼稚園(千里敬愛幼稚園)に通いたい」と言いました。六月からの途中入園で年少と年中の時は泣いてばかりいて、いつも先生方に抱っこしてもらって、母としては申し訳ない思いで一杯でしたが、年長になってやっと仲良しの友達も出来て彼女なりに成長したようでした。今も泣き虫ですが、それは友達との別れの涙、発表会を見たときの感動の涙に変わっています。 泣く子を根気よく抱きしめてくださった先生方のお陰で感受性の豊かな娘に育ちました。
 希の年少と年中の頃は母が見ていると活動が止まってしまうので、参観日には、こっそりと見た後、先生にお任せして帰って来るときもありました。バスに乗りたくない、幼稚園に行きたくないと言い、園まで一時間かけて歩いたこともあったね。
 年長になってやっと母の前でも堂々と活動できるようになり安心しました。卒園式の日、涙で一日が終わった後で希がつぶやきました。
 「希、絶対幼稚園の先生になる
  だってね大好きな先生に会えるもん!」
 娘にこんな素晴らしい気持ちを芽生えさせて下さった先生方ありがとうございました。
 園長先生! お元気で待っていてくださいね。
           *******
 今年も卒園式の季節がやって来ました。私の孫も千里敬愛幼稚園を卒園いたします。
 「昔」この幼稚園が創立されて間もなく、私の長男(41歳)が卒園させていただき、何年か後、長女が4年間勤務させていただきました。その長女の娘二人が3歳児からお世話になりました。それぞれが大変個性的な性格でしたので、受け持ちの先生方にはご苦労をおかけしたであろうと申し訳なく存じております。
 私にとっては早春に行なわれる保育発表会が楽しみで、娘が在職中はハラハラドキドキと孫達の場合は一年ごとの成長振りに感激しながら毎回拝見しておりました。
 特に今回の「夕鶴」は白い布と共に舞う子ども達が創り出す幻想的な場面と美しいコーラスに、驚くほど成長した孫の姿を見て、涙がこぼれました。古希に近い私でございますが、あの光景は生涯忘れないと思います。指導された先生方には深く感謝いたしますと同時に、園長先生!どうか健康に充分留意されて、いつまでもあの素晴らしい保育発表会を続けて下さるようにお願いします。本当にありがとうございました。


■入園当初の頃
 「お姉ちゃんの乗っていたバスに乗って幼稚園に行きたい」
 マンションのベランダから、走って行く千里敬愛のバスを見ながら、真実と実捺が決めたことでした。
 それから数ヶ月、夢のバス通園です。前年度には廃止されていたバス停が2人のために再び設定していただきました。二人共、親の前で泣くこともできず、あっさり、さっさと乗り込んで行きました。それほど待ち通しかったんでしょう。しかし、それから1週間で、バス通園から徒歩通園になってしまいました。
 引っ越し当日、祖父と散歩に出かけたときに、「前のおうちの方が良かった」と言っていたそうです。この言葉は年少の間中、二人の口からこぼれていました。
 初めての徒歩通園の日、前もって「歩いて行くんだよ」と何度も言ってあったので、すんなり玄関を出ました。園まで半分くらい来た所で坂道が現れました。3歳の娘達に、この坂道がどのように見えたのかは分かりません。坂の下で立ち止まったまま、2人ともしばらく動きませんでした。この日から長い間、この坂道の下で立ち止まるのが「日課」になってしまいました。
 あの日から3年、2人は坂道の下で立ち止まることはなくなり、いつも私に持たせていたかばんも自分達で持つようになりました。
 そして、卒園式当日、いつもの坂道の途中で、「うわぁ、もうここまで登ってきたわ。はっやぁ!」
 この言葉で、娘達の成長を改めて実感しました。
 夏実さん、実捺さん、卒園おめでとう。今度は青色カバンからランドセルに持ち替えて頑張って坂道を歩いて下さいね。
 最後になりましたが、いつも時間をはるかに過ぎて登園する(母を含む)3人を笑顔で迎えて下さった3人の担任の先生方をはじめ、いろいろとお世話をして下さったすべての先生方、本当にありがとうございました。



■2度の入園
 あと一ヶ月で幼稚園生活が終わり、春からは一年生です。
 年が明けてから園での行事がある度、もう二度とこの姿は見ることはできないんだと思い、涙をこらえて歌う姿、踊る姿、笑う姿・・・をこの目に焼き付けてきました。
 修作は3人兄妹の一番上なので、母の私も初めてのことばかり。何かにつけて感動も大きかったように思います。入園式の日に私の手から我が子が離れていくときの、あのキュンとした気持ちを思い出します。年少のとき、二人のお兄ちゃんになった修作はとても優しく、すでに頼もしかったです。私が妊娠中には「修の方がお母さんより力持ちやからな」と3歳の小さな自分が、この私よりも力持ちだと思っていたみたいで、買い物に行くといつも重いものを持ってくれました。2本もの重い牛乳を一生懸命引き吊りながら。帰り着くともちろん袋は穴だらけでしたが、私は嬉しくて、穴をのぞき込みながらいつも涙が出ました。
 そして年少の12月に父親の転勤で高松へ。そして半年後に転勤でまた大阪へ帰ることになりました。私はもちろん、大好きだった千里敬愛へ帰ろうと思い、子どもに伝えると、「修は敬愛は嫌だ」と言うのです。どうして、あんなに楽しかったのに・・・。何度も理由を聞くと白状しました。「だって修は一回お引っ越ししたから、もうお友達はできないもん」と小さな声で。
 まだまだ何も考えていないと思っていた我が子でしたが、引っ越しするときには小さな心の中で自分なりに区切りをつけて再出発してきたようです。身体だけ大きくなっていたのかと思っていたのに、心もこんなに成長していたのです。そして子育てって本当に素晴らしいとしみじみ実感しました。
 こうして、いろいろあった園生活が終わろうとしています。どうかこのままの澄んだきれいな心のままで元気に成長して欲しいです。素晴らしい園生活に感謝致します。



■砂で汚れた制服の洗濯が喜び
 「雄奨 卒園おめでとう」
新しい制服を着て少し緊張した顔で幼稚園の門をくぐった日から、早3年経ちますね。
 少し大きかった制服も最近では丈が短くなったなと思うほど成長した雄奨を見ていると、とても嬉しい気持ちになります。
 入園した頃は、朝バスに乗る時に泣いたりしているあなたを見て、バスに乗せずに家に連れて帰ろうかと思ったこともありました。家で待っている間も時計を何度も見て、今頃何をしてるのかと色々考えていたものです。
 その心配も1ヶ月ほどするとすっかり消え、帰りのバスから元気な笑顔で降りてくるようになりました。
 いつも、帰りは制服が砂で真っ白になっていて、元気に遊んでいる様子が想像でき、その制服を洗濯するのが3年間私の楽しみでした。
 参観が少ない幼稚園もある中、千里敬愛は参観日やエプロンママ、SOSなど参加できるチャンスがあり、園に行って雄奨の色々な表情を見られるのがなにより嬉しかったのです。
 先日、発表会があり、ラストで歌ってくれた「ありがとう拍手を」が親子ですごく気に入っていて、発表会後、家で親子で歌っています。子どもの歌声はなんてかわいいのだろうと幸せな気分にひたっています。
 子どもの幼稚園時代は親にとっての青春時代と園長先生がおっしゃていたように、ほんとうに3年間沢山の思い出ができました。幼稚園時代は手をつないで並んで歩いていた雄奨が4月からは一年生になり、私の手を少しはなれ、新しい扉を開いていくようで、寂しい気持ちもあるけれど、今度はその背中をいつまでも見つめていてあげたいと思っています。
 3年間、温かい愛情で包んでくださった園長先生はじめ先生方、仲良くしてくれたお友達にとても感謝しています。ありがとうございました。



■いつまでも今のスタイルで
 3年前、15cmの靴を履いて入園式に臨んだ雅由。卒園には4cm大きな19cmの靴を履き、97cmだった身長は115cmにまで伸びました。この3年間で成長したのはもちろん体だけではありません。良い先生、お友達、環境に恵まれて幸せな幼稚園生活を送ることができました。
 5歳違いの兄も千里敬愛幼稚園でお世話になり雅由も当然のごとく同じ門をくぐりました。赤ちゃんの頃から育てやすくききわけの良かったおりこうさんでした。入園にあたり特別心配事などありませんでしたが、良い子でいなければと、自分を抑えて頑張り過ぎないようにと祈っておりました。
 年少めろん組、初めて親と離れての団体行動ですが、おりこうさんにつつがなく過ごせた様子でした。
 年中ぱんだ組、今までのおとなしかった殻を破ったかのようにお茶目でユニークな面も開花しました。
 そして年長かなりや組、入園当初から一皮も二皮も剥けて明るく活発な姿を見ることができました。園での行事は全て楽しかったようですが、年長のリレー大会はそのなかでも一番熱い思いを抱き参加しておりました。お世辞にも足が速いとは言えない雅由なのですが、たぶん先生に教えていただいたのでしょう、早く走る方法は『チューの口で裸足で走る』、それを信じ唇を尖らせて一生懸命に走りました。足の速いお友達にも助けられて決勝までは進出できたのですが雅由のチームは5位で終わりました。それを悔しがる表情、リレー中の闘志あふれる表情にたくましくなったものだと感心いたしました。
 楽しかったのは子どもだけではありません。園の活動にかかわるチャンスをたくさん与えていただき、自然にお友達も増えて京都参拝のときは不謹慎にもちょっとしたレジャー気分でした。私も卒園なのですね。しんみりしてしまいます。
 雅由が年長になったと同時にパートを始めました。園の行事や送迎には影響のないような仕事を選んだのですが、バス停に送り届け職場に向かうあわただしい日々でした。1便でも最後のほうのバス停だったので到着が予定時間よりも遅れることがしばしばありました。そんな時は同じバス停のお母さん方にお願いして出発を見送らずに職場に向かいました。息子の『おしごといっていいよ』との言葉に甘えてバス停を後にしていましたが、内心寂しい思いをさせていたのかもしれません。
※雅由へ、卒園おめでとう。忙しくしているお母さんを困らせないように我慢してくれた事たくさんあったのでしょう。ごめんね。甘えん坊さんだったのが嘘のようにしっかり頼もしくなりました。あなたが幼稚園での3年間で育んだ優しさや生きていく力をさらに大きく伸ばすお手伝いができるようにお母さんも一緒に成長していくね。
 最後になりましたが、担任してくださった長谷川先生、安岡先生、安田先生、三代先生、そして園長先生、津雲台C26バス停のお母さん方、雅由に関わってくださった全ての先生方、職員の皆様、お母様方、本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 息子達の出発点である千里敬愛幼稚園がいつまでも今のスタイルで益々皆から愛される幼稚園であり続ける事を心から願っております。



■夕鶴に思う
 卒園式を数日後に控えた日、カズがポツリと言いました。
 「でも、ボク、やっぱり夕鶴は帰ってよかったと思う・・・」
 「どうして?」
 「だって、仲間といる方が自然だもん」
 だんだんと潤んでくる彼の瞳を見ながら、ゆっくり、その理由を聞くと、自分はあひる組が大好きで、ずっとこのまま先生やお友達と一緒にいたいのに、さよならしなきゃならない・・・。でもそれが大人になっていく自然なことだから、つうもよひょうとさよならするのだと・・・。
 そのとき、TVでは「身を切られる思い」という言葉の意味を説明する子ども向けの番組がやっていたところでした。
 私は言葉に詰まりました。
 やっと6歳を迎えたばかりの彼がそんな考え方をしているなんて・・・。
 熱くなる目頭を抑えながら、
 「カズは強いんだね」と言うと、
 「だって、園長先生もおじさんのお話(京都参拝でのご法話のこと)でも言ってたもん。お誓いしてると、ののさまはね、ボクが小学校に行っても中学になって大きくなって、おじいさんになるまでずっとずっと見守ってくれているから、だからボクも強い心を持っていかないと」
 子ども心に、身を切られる思いを肌で感じ、悲しみを抱いているのと同時に、それを宝物とし、前に進もうとする強い想いに、これまでにない息子の成長を感じました。
 私の病が元で生まれ出でてこれるかどうかわからなかった小さな命。病気や怪我の絶えなかった乳児期。半年待ってようやく転園できたときも、泣きながらバスに乗って行きました。
 そんなカズが、最後の園バスから降りてきて、「もう乗れないんだね・・・」と呟き、うちに帰って私と抱き合い、号泣しました。
 人を笑わせるのが大好きで、何にでも一生懸命、まだまだ幼いと思っていたのに、充実した楽しい毎日の中で、たくさんのことを色々な経験により得たことが彼をここまで大きくしてくれたのだと感謝せずにはいられません。
 園長先生はじめ、教職員の皆様、朝な夕なにお電話下さった安岡先生、そしてカズのよい所を上手く開花させて下さった恵先生、本当にありがとうございました。
 あひる組のかずき鶴も、今、少し大きな空へ羽ばたこうとしています。
 ここでいただいた、たくさんの宝物を胸に・・・。



■母という仕事
 年少の最初の親睦会で、私はこういいました。
 「私は、母親業ぐらいすごい仕事はないと思ってます。どんな仕事も取替えがきく、素晴らしい仕事であればあるほど、やりたい人が多くて、自分がいなくなれば、次の人が待っているものです。でも、りかこにとっての母親は私しかいません。だから、私は精一杯彼女と向き合っていきたい。そして、私が今まで生きてきた、私の中の文化や考え方を彼女に伝えていきたいです。一人の人間を育てる事ができる。こんなに素晴らしい仕事は他にはないと私は思っています」と・・・。
 お母さんであること。それは仕事ではありません。
 でも、一人の人間を育てること、それは、仕事に置き換えれば、「これ以上難しく、また喜びも大きい仕事は他にはないのではないか?」と、3年経った今でもきっぱりとそう言い切れる自分がいます。
 千里敬愛幼稚園の3年間、本当に母としても有意義な時を過ごせたように思います。
 園長先生がいつもおっしゃってる「母としての青春時代」これを、私は千里敬愛幼稚園の色んな参観や行事のお手伝いの中で実感させてもらえました。
 母親であるという自分。自分よりも大切な人間がいてくれるという最高の幸せ。
 やはり、どんな仕事よりも、どんな評価よりも素晴らしいことのように思えます。
 「やって当然」「誰にでも出来る」のが「母親という仕事」と思われがちです。でも、それはしたことがない人達が言う言葉です。
 自分のお母さんの悪口を言われることは最大の侮辱。世界中の子ども達は誰もがそう思っています。それは、お母さんが命をかけて、自分を守り、育ててきてくれたことを、子供達は知ってるからではないでしょうか?
 世の中で、自分をこれ以上愛してくれる存在はお母さんしかいない。大人になって、パートナーが出来たとしても、お母さん以上に私を愛してくれる存在はいない。子ども達はそれを知ってるからじゃないでしょうか。
 そして、母達もそうです。
 どんなに素晴らしいアーティストが奏でる演奏よりも、自分の子どものたった一言で、母親は癒されます。
 他人からのこれ以上ないという賞賛よりも、自分の子どもの笑顔が最大の喜びであったりもする・・・。それが、母であるということのような気がします。
 千里敬愛幼稚園の3年間で、この実感はますます強くなりました。
 行事の中で見せてくれる子ども達の笑顔は、今まで私の知らない感動ばかりでした。大人になって、「私は何でもわかってる」ように思っていた私に、新しい、いえ、忘れてかけていた本物の感動を子ども達が与えてくれたような気がします。
 そして、その感動は本物で、決して色あせることのない、永遠のものです。
 一人一人の子ども達から、お母さん達への最高のプレゼントの連続。そんな素敵な3年間を過ごした千里敬愛幼稚園。子供達。そしてお母さん達。本当に、最高の幼稚園でした。
 「千里敬愛幼稚園は楽しかったよ!」
 私は、今、そんな思いで一杯です。
 そして、これからも、母である自分に誇りを持って、りかこと一緒に私も成長していきたいです。



■卒園を迎えて
 兄がここ敬愛を卒園して2年後、郁哉がお世話になりました。兄がお世話になった頃と、何も変わっていない幼稚園へ入園できることに迷いはなかったですが、ひとつだけ心配なことがありました。年少からの入園ということです。
 心配は的中でした。毎日「行きたくない」と泣き、参観に行けば大泣き・・・。
 心配は不安になり、早かったのではと悩む毎日でした。
 そんな、私達を励まし導いてくださったのが、「大丈夫、心配ないですよ」という、先生のお言葉と笑顔でした。
 その言葉どおり、郁哉はたくさんの行事を経験し、3年という月日は「あっ」という間に過ぎていきました。
 数ある行事の中で、一番印象に残っているのが、年長の縄跳び大会です。
 それは、全然跳べなかった縄跳びが、20秒跳べ、40秒も後少しだった本番ではなく(もちろん感動しました。)、終わった次の日の朝、バス待ちの間、マンションの片隅で、縄跳びをする姿を見たときです。
 それも、郁哉ひとりではなく、年長のお友達何人かが、自発的に縄を持ってきて跳んでいたのです。
 どの行事も練習はなく、「毎日が運動会etc」と、子ども達にプレッシャーを与えることなく楽しめ、その年にあった保育をしている千里敬愛。その保育を、郁哉はしっかり学んできたことを実感できた瞬間でした。
 そして、卒園を迎えた今日、お花を持って壇上を歩く姿、玲佳先生に名前を呼ばれて、「はい」としっかり前を見据え立ち上がった後姿・・・。
 そんな大きく成長した郁哉見て、ここ千里敬愛で過ごした3年間が、とても有意義だったと確信しています。
 また、私も幼稚園ママとして、子どもと一緒に楽しい時間を過ごさせていただき、これからも、末長く付き合える友達に出会えたことを、とても感謝しています。
 園長先生・廣渡先生・亀原先生・安岡先生・前田先生・諸先生方、仲良くしてくれたお友達、素敵な思い出と、たくさんの笑顔をありがとうございました。
 最後に・・・ふみ君、卒園おめでとう!



■1日だけの登園拒否
 2年年中の募集が最後の年、抽選で入園という難関でしたが、なんとか入園することができました。珠里にとっても私にとっても、何もかもが初めての園生活がスタートしました。
 幼稚園が大好きで、一度だって「休みたい!」と言った事のない珠里でしたが、年長にあがってからの夏祭りの日、バスが来て、扉が開いた瞬間、「幼稚園に行きたくない!」と言って、家までダッシュで逆走したのです。私は、何が起こったのかわからず、追いかけました。理由を聞いても、「行きたくない!」としか答えないのです。
 そのうち、「かなりや組に行く前に、西田先生(年中時の担任)に会いたい!」と言うのです。なんとか園まで送って行き、西田先生のところへ・・・。先生は「じゃあ、先生とじゅりちゃんとお母さんの3人で『かなりや組』さんまで行こうか?」と言って下さり、3人で、手をつないで『かなりや組』に向いました。
 長谷川先生に珠里をお願いして、帰ろうとしたとき、泣きながら足にしがみついてきて、「ママ、帰らないで!」「ちょっと待って!」と離してくれず、結局、引きずられるように離され、私は無我夢中でその場を離れました。
 どうしたらいいのかわからず、ただ、不安で、不安で・・・。そのとき、後ろから西田先生が走って来てくれました。先生は、「大丈夫ですよ、お休みが長かったからちょっと不安になっただけで、じゅりちゃんならきっと、自分で乗り越えていけますよ!」と。私は、こらえていた涙が一気に溢れてきて、先生に抱きついて泣きました。あのとき、どんなに嬉しく、どんなに励まされたことでしょう。
 長谷川先生は、その日から毎朝「今日も、先生、『かなりや組』で、じゅりちゃんを待ってるからね!」と電話を掛けて下さいました。珠里も、長谷川先生からの電話を楽しみに待つようになり、このことがあってから、もっと、長谷川先生が好きになったようです。本当に千里敬愛の先生って温かい先生方ばかりで感謝の気持ちでいっぱいです。
 それ以来、登園拒否もなく、年長では、1日も休むことなく登園できました。
 そんな大好きな西田先生と長谷川先生が退職されるのはとても残念ですが、とても楽しい園生活を送る事ができました。今は、ただ感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。
 珠里、卒園おめでとう!小学校へ行っても”ピンクのハート”を忘れないでね。珠里の笑顔が大好きだよ!


■いつも、とびっきりの笑顔
 直君、卒園おめでとう。
 まだ幼かった直登と手をつなぎ幼稚園の門をくぐった日から早いものでもう三年が過ぎました。昨日無事卒園式を終え、兄のときから五年間にわたるお母さんの幼稚園生活も文字通り卒園となりました。
 ボロボロになった鞄やもう着ることもない制服を整理しながら、無事ここまで成長してくれた喜びとともに、今はまだ言いようのない寂しさで胸がいっぱいです。
 入園前の直登は我が強く、果たして集団生活でうまくやっていけるかなと少々心配でした。しかし初めての懇談で、「しっかり者の直君」と言っていただき、そんな不安はすぐに吹き飛んでしまいました。でもまだ年少のときは、年長の兄を頼ることも多く、はと組に行ってはよく遊んでいましたね。
 そして年中になり元気一杯の恵先生にもっていただいてからは、毎日がパワー全開といった感じで、本当に生き生きと輝いていました。参観に行ってもいつもテンションが高く、笑ってしまうことばかりで、お母さんはわが子ながら面白い子だなと、随分楽しませてもらいました。
 年長では再び大好きな恵先生になり、そして仲のいい友達もいっぱいできて、本当に楽しい一年でしたね。あひる組は団結力が強く、運動会、リレー大会、そして縄跳び大会と、いつも皆で力をあわせて頑張って、お母さん達も子ども達に負けないくらい盛り上がることができました。そしてなんといっても発表会の夕鶴は最高でした。
 三年間あっという間だったけど、思い起こせば本当にいろんなことがありました。でもどんなときでも、直登はとびっきりの笑顔で一生懸命だったね。お母さんは今を精一杯生きる大切さを直登から教えてもらいました。
 感傷にひたるお母さんを横目に、「卒園ぜんぜん寂しくない。だって小学校すごい楽しみやもん」って言ってのける直登。その調子なら小学校に行っても大丈夫だね。これからも笑顔を忘れないで、きらきら輝く未来に向かって大きくはばたいていってね。
 最後になりましたが、これまでお世話になったすべての方々にお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。



■幼稚園はお母さんの青春時代
 ついに卒園式も終わってしまいました。本当に寂しい気持ちでいっぱいです。エプロンママ、SOS、学園祭など、子どもの様子が心配で始めたことですが、活動をする中でたくさんのお母さんともお友達になり、また自分の子どもだけでなく色々な子ども達と接することが出来たのは、本当に嬉しいことです。子ども達が「〜ちゃんのおかあさんだ」と言って駆け寄ってきてくれる姿、「ありがとう」の笑顔を見ると「また来たいな」と思わずにはいられません。
 風花は2人目だから大丈夫だろうとあまり心配もしていなかったのですが、幼稚園ではほとんど活動することもなく、参観に行っても無表情で心を痛めておりました。しかも幼稚園が嫌いなわけではなく、家に帰れば歌を歌ってくれたりするので、こんなに出来るのに・・・とため息ばかりでした。でも先生方は決して強要することなく我慢強く見守って下さり、本当に小さな事もほめて下さっていたので、私も少し腰を落ち着けてみていこうという気持ちになれました。
 全く言葉を発しない娘でしたが、お友達は優しく接して下さって本当に感謝しております。年中の後半ぐらいから少し表情が和らいで来ました。年長になって、それまでいつも先生にひっついていた風花が、園庭でお友達と遊んでいる姿がありました。まだ完全に自分を表現できると言うところにまでは至りませんでしたが、本当にこの一年間の変化は子どもの可能性を感じさせるものでした。まるで赤ん坊が初めての一歩を踏み出したときのような新鮮な感動を覚えました。今このように思えるのも、園長先生をはじめ担任の先生方がその子なりの成長を育んでいって下さったからだと思います。私自身も先生方や周りのお母さん方に支えられてありがたく思っております。
 園長先生のお言葉通り、「幼稚園はお母さんの青春時代」だったと思います。こんなにすばらしい経験をさせていただいて本当にありがとうございました。



■生まれて来てくれてありがとう
 3年前の入園式、1・2の3で千里敬愛の門をくぐったね。
 不安ばかりを胸に抱いた母に手を引かれ、お兄ちゃんのお下がりの制服に身を包み、これから始まる世界に戸惑い泣いて「ぶどう組」の教室に入れなかったよね。
 そのとき、秋長先生が笑顔で迎えてくれたことがまるで昨日のことのように思い出されます。
 あれから3年、今日は胸を張って笑顔で千里敬愛を巣立って行くんだね。
 言葉が遅く「幼稚園選びは慎重に・・・」と苦言を呈され、不安で泣いてばかりのダメな母でした。
 そんなとき、園長先生のお話をお伺いする機会があり、ある言葉が私の背中を押してくれました。
 「どの子にも、可能性があるのだから皆で一緒に育てて行きましょう!」
 この一言が私に力を与えてくれました。
その言葉どおりに本当に皆に見守られ育まれながらドンドン成長して行ったね。
 今では伝説になってしまった発表会での「ぱんだ組のシンデレラ!」。
 安岡先生のピアノに合わせて楽しく活動している姿に、観客席の皆が拍手と笑顔を送ってくれたこと忘れないでね。
 そんな姿に母は胸がいっぱいで嬉し泣きをしました。
「かなりや組」になってからは、自分自身でいろんなことに積極的に取り組んで行くことを学びました。
 農園体験に履いて行く長靴を前日の晩から玄関に揃えたり、図書の本も返却日前には水色かばんに入れて忘れずに園に持って行ってたね。母はわざと忘れた振りをして地大を試したけどしっかり見破られていました。
 でも、この時期になると壁にぶつかり、投げ出しそうになることも多くなり、その度に長谷川先生の叱咤激励で頑張ってくれました。
 運動会のリレーのときも先生の励ましの声掛けで最後まで完走することが出来たんだよ。本当に3年間を通じて素敵な担任の先生達に出会えて幸せだったね!
 母も地大に負けないくらい千里敬愛幼稚園で楽しいことをいっぱい体験できました。
 初めは地大の姿を見に行くことが目的だったはずなのに、途中からは、「自分自身が楽しいから」に変わってしまいました。
 この3年間は私も地大に負けないくらい積極的にいろんなことに挑戦しました。SOS・エプロンママ・学園祭り・バザール・図書・ベルマークを通じて、本当に楽しくて元気な千里敬愛のお友達や素敵なママ達にたくさん出会えました。お手伝いに行くたびに明るく笑顔で出迎えて下さった木村先生・黒坂先生・山元先生、学年主任の3人娘は私の担任の先生でした。
 私も大海と地大と一緒に里帰りさせてください。よろしくお願いいたします。
 そして、いつも地大を温かい笑顔で抱きとめてくださった多くの先生方・・・。いつまでもその輝く瞳と微笑みを絶やさずにいてください。
 園で発行される「生きている心」は私の宝物です。言葉が遅かった地大が話してくれる一言一言が、私にとっては何物にも換えがたいものだからです。驚かされたり、感心したり、ときには胸が熱くなったり、子どもが話す言葉の大切さも千里敬愛幼稚園で教えていただきました。これからも途切れることなく発行し続けてください。
 最後になりましたが、園長先生お身体くれぐれもご自愛ください。
 そして、地大をいつも温かく見守ってくださったすべての皆様に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。素敵な時間と幸せな心を持つことが出来ました。
※ちーくんへ 
 せんりけいあいでもらった たからばこはふたがしまらないくらい いっぱいになったね。しょうがっこうにいくと もっとおおきなたからばこをもらえるんだよ。かべにぶつかっても いろんなことにちょうせんして はこをいっぱいにしようね!これからもえがおをわすれないで「まりちゃん」って よんでね。
           まりちゃんより


■いつまでも憶えていたい
 彩央里ちゃん、卒園おめでとう。もうすぐ入学ですね。卒園式を終えた今、もう幼稚園は終わったんだと思うと胸に迫ってくるものがあります。二年保育は、好奇心旺盛な娘には短かったようです。
 卒園式が終わって、幼稚園がどれだけ楽しかったか何度も話してくれました。「あと100回位は幼稚園に行きたい。」「やっぱりみやこ先生が一番好き。だ〜い好き!」「大きくなって困った事を、みやこ先生に相談しに行ったら、あなたはだあれ?って言われないかな?」「幼稚園にもぐりこんで、知らないふりしてもう一回通うねん。だから制服取っておいて」
 幼稚園が本当に楽しかったんだね。卒園してからは、お姉ちゃんと一緒に、毎晩お布団の中で園長先生の歌を歌っていたね。「園長先生の歌は、絶対本当の事やわ。嘘じゃないもん」と力説していた。
 たくさんの思い出がありました。
 年中の発表会ではムーランのビデオを繰り返し見ていたせいかノリノリで、家では見せたことのない輝くばかりの笑顔で先頭に立って入場したので、思わず我が目を疑ったほどです。
 京都参拝のバスの中では、発表会の歌が流れると、これまたマルコになりきっていたので、小さな体の中にまるごと発表会をインプットしていたのだと改めて驚かされました。
 造形遊びが終わると、次の造形遊びに向けて早速翌日から素材集めをして一生懸命でした。
 たくさんの農園体験、スイミング、リレー大会、運動会に縄跳び大会・・・。参観の度に、お母さんの方が楽しませてもらうと同時に成長の跡も見えました。
 貴女の成長は、お母さんはとても嬉しいのだけれど、淋しくもあります。
 卒園してからというもの、大人びた発言が多くなりました。「この家に生まれてきてよかった」「お母さん彩央里を産んでくれてどうもありがとう」「楽しい幼稚園に行けて今とっても幸せだよ」センチな母にはこたえました。
 出来ない事にもあきらめないで挑戦して、出来た喜びを感じる回数が多くなってきたようにも思います。自主性が育ってきたのかな?娘の現在を見ていて千里敬愛幼稚園で本当に良かったと感じています。
 まるで指の間からこぼれ落ちる砂のように、あれよあれよという間に行事が残り少なくなっていって、卒園式を迎え、お母さんも幼稚園ママは卒業です。
 時と共に記憶が錆びついてしまっても、読めば優しくなつかしい思い出が蘇ると思い、書き留めておくことにしました。
 園の皆様には大変お世話になり、感謝で一杯です。楽しい幼稚園時代を過ごさせていただいて、どうもありがうございました。


■おててつないで・・・
 朝、エレベーターを降りると私に向かって差し出される小さな手。バス停までのほんの少しの間、いつも手をつないで、「急げ〜!」「いっちば〜ん!」なんて言いながら、一緒に走りましたね。
 卒園までの日々が少なくなった頃、そんななにげない一瞬が、急にとても大切な、かけがえのないものに思えてきて、少し寂しくなりました。
 卒園式が終わった後、お父さんと、「やっと終わったね・・・」としみじみ話しました。思えば、兄二人のときから足掛け七年の幼稚園生活。お父さんは「上の子にしてやったことは、雄平にもしてやらないと」と、園の行事にも出来るだけ参加してくれました。「入学式が終わると、もう会社を休まないといけないこともなくなるね」な〜んて言いながら、ちょっぴり寂しそうでした。
 年少・年中と「行きたくない」と言ったこともありましたが、年長になってからはそれもなく、毎日楽しそうに通ってくれました。 卒園前に、ふと「年少のとき、小谷先生と安田先生に迎えに来てもらったの覚えてる?」と聞くと、「覚えてるよ。車に乗って『ひまわりバスの行き方教えて』って言われたから教えたら、幼稚園に着いててん。だまされたわ〜」って、妙に大人びた言い方で、思わず笑ってしまいました。
 あんなに嫌がっていたお泊り保育も、「園長先生がHPに写真のせてくれるよ」と言うと「じゃあ行くわ」とあっさりクリア。内心、「雄平の写真がHPに載るだろうか」と心配でしたが、しっかり見事な寝相をアップしてくださりホッとしました。それからは、一人でおばあちゃんの家にも、お泊りできるようになりました。
 卒園前には、「やっと、幼稚園ともおさらばや」なんて可愛くないことばかり言って、おセンチになるどころか、もう小学校のことばかり楽しみにしていました。
 「まい先生には、そんなこといっちゃだめよ。先生悲しむから」と言いながら、きっと幼稚園生活が楽しく、充実していたからこそ、新しい小学校生活にも期待が持てるんだろうなあと、先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。
 小学校生活が始まると、毎日手をつないで歩くこともなくなるでしょうね。親からはどんどん離れいくことばかりでしょうが、お父さんもお母さんも、いつもここにいます。疲れたときには、ちょっと振り返ってお休みしましょう。今度はお母さんが、手を出して待っているからね。



■千里敬愛で大正解!!      
 上の子と一回りあいて誕生した麗奈。もう一度子育てができる喜びと、幸せを噛み締めながら、過ごしてきました。
 初めて千里敬愛を訪れたのは、2000年7月。上の子が行っていた幼稚園とは全く違う園の雰囲気に「なぜ、こんなに子ども達が落着いているの?」と衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。そのとき、園長先生がしっかりと園を見守ってくださっているとの印象を持ち、入園を決めました。
 入園式から驚きの連続でした。子どもは保育室。親だけ講堂で式典だったのですから。
 そして園に行くたびに、最初の謎が解けていきました。先生方の園児に対する言葉掛けは、指示や命令ではなく、いつも園児自らが考えて行動するきっかけとなるものでした。あらゆる物を柔軟に吸収していくことのできるスポンジのような柔らかさを持った時期を、千里敬愛で過ごせたことは、麗奈にとっても一生の宝物でしょう。
 「マンモス園でしょ・・・?」という声も聞きますが、それは、たくさんのお友達に出会うチャンスがいっぱいと言うメリットでしかありませんでした。
 近くのスーパーなどで、「ママ〜!あの子知っているよ!敬愛の子だよ!!」と言う麗奈の声から、学年の違うお母さんたちとご挨拶なんてこともしょっちゅうでした。 
 麗奈ちゃん、卒園おめでとう。あなたは、この千里敬愛幼稚園で、本当に素晴らしい3年間を過ごしましたね。これからも、Positive, Active, Smileを忘れず素敵な人生を歩んでいくこと、楽しみにしていますよ。



■兄の卒園で自分の世界を
 卒園が近づくにつれて、最後のエプロンママ、最後の図書当番、お弁当、バスというように何にでも最後を付けてしまい、幼稚園生活が終わる寂しさをひしひしと感じる毎日が続きました。そして、とうとう卒園式の日がやってきてしまいました。
 兄のときは、小さかった子がこんなにも大きく成長した喜びの気持ちと感動と、大変だった育児への思いで涙したように思いますが、純平の卒園式は、幼稚園が終わるのがさみしくて涙していました。
 2月の卒園写真を撮った日、夕食を食べていると純平が、「今日な、写真を撮るとき、『一生残るからね』と言われたから僕泣いちゃった。涙はすぐ乾いたけど。僕、みんなと別れたくない。遊べなくなるのいやや」と言って涙をぬぐいました。突然だったのでびっくりしたのですが、こんな風に思える友達ができ卒園できることは幸せなことだなあと思いました。
 そんな純平も年少のときは、毎朝、泣きはしないものの、「幼稚園に行きたくない」と私や兄を困らせました。いつも兄やそのお友達に囲まれ、世話を焼いてもらい遊んでもらっていたのに、幼稚園で見る純平は何故かいつもの元気でやんちゃな純平ではなく、ちょっぴりつまらなさそうに見えました。
 年中になり、兄が卒園し、もっと幼稚園に行くのをいやがるのではと心配していたのですが、想像に反して、生き生きし、「行きたくない」と言わなくなりました。「もしかしたら、この子は初めて自分の力で、自分だけの友達、そして自分だけの世界をもったのかな。それが楽しいのかな」と思ったものです。
 年長になり、ますます幼稚園が楽しくなり、それと同時に元気になり過ぎで、ひやひやしましたが、いつも先生は「大丈夫ですよー」と笑顔で答えてくださいました。「本当は大変なんだろうなー」と思いつつも、元気で楽しそうな姿をみると安心しました。
 年長といえばリレー大会。純平のチームは決勝まで進み、親も子も興奮しました。どの子も走っているときの顔に気迫が感じられ、予選のときよりも確実に速くなっていました。子どものまっすぐな真摯な姿にはいつも感動させられっぱなしです。
 縄跳び大会では、純平は20日前まで4〜5回しか跳べず、私が練習をうながしても、「出来ないからいい」と言ってすぐあきらめていました。見かねた兄が「僕も冬休みまで跳べなかったけど、毎日練習したら60秒跳べるようになったから、純平がんばれ!」とはげまし、その日から兄の特訓が始まりました。兄の言葉に真実味があったのか、文句も言わず練習していました。そして、当日、真っ赤な顔で最後まであきらめずに飛び、2回とも60秒をクリアすることが出来ました。努力すればできなかったことができるようになるんだというこの経験は純平にとって財産になるでしょう。
 純平が千里敬愛幼稚園を卒園し、私自身も幼稚園ママを卒業します。子育てにステップがあるとしたら、次のステップに進むような気がしています。子どもは小学校で新しい生活が始まり、いろいろな経験をし毎日成長するでしょう。親である私も子ども達に置いていかれないようにしなければと思っています。
 最後になりましたが、園長先生をはじめ、たくさんのお世話になった先生方、事務の先生、バスの先生、バスの運転手さん、本当にお世話になりました。心から感謝しております。
 そして、千里敬愛幼稚園。たくさんの楽しい思い出をありがとう。
※純平へ
 卒園おめでとう。
 お友達が大好きな純平をママはステキだなとおもいます。
 いつも純平のこと応援しているからね。



■いろいろあったね
 伽帆、卒園おめでとう。
 「笑顔でいれば、いいことあるよ!」と2003年4月新潟から大阪へと引っ越してきました。何もかも不安だらけだったけど頑張ってきましたね。
 でも、さすがの伽帆も最初は、「穏やかな性格」言われるほど緊張していた様子でしたが、そうこうしている間にお友達の名前も出てくるようになり、本来の「活発な伽帆」の姿に戻るのには、時間もそうかかりませんでした。そんな伽帆に母は、ちょっと驚きもし、喜んでもいました。
 前の幼稚園に比べると、参観の回数も内容もかなり多かったのでいろいろな伽帆の様子を見ることができました。
 リレー大会では、どんなときにも最後まで一生懸命あきらめずGoal目指し走っていた伽帆の姿で胸が一杯になり、発表会では、みんなで力を合わせ、息の合ったすばらしいお芝居をすることができ成長を感じました。
 この一年間は、伽帆にとって色々なことがあり、そして色々なことで頑張った一年でしたね。そんな伽帆の頑張りを見るたびに母は感動をもらいました。ありがとう。
 一年生になっても、「笑顔」を忘れずにいっぱいお友達をつくって楽しい小学生生活にしてください。母は笑ったり怒ったりしながら応援しています。
 最後に、末廣先生をはじめ諸先生方、かもめ組のみなさんお母様方、一年という短い間でしたが、お世話になり本当にありがとうございました。



■制服と裸足
 なっちゃん、卒園おめでとう。
 3年前、「ママの顔が見えなくなるのがさみしいの・・・」と目に涙をいっぱいためてバスに乗っていく姿が先日のようです。
 幼い頃から人見知りがはげしく、いつもママの後ろか姉の後ろに隠れて、二番目の存在でした。正直なところ千里敬愛幼稚園のようなマンモス幼稚園に入園してなじめるのか?楽しく行ってくれるのか?とても不安でした。
 結果は大当たり〜。千里敬愛幼稚園との相性はぴったり。幼稚園での生活は潜在的に持っていたであろうユーモア、活発さ、明るさ、いろんなものを引き出してくれました。たくましくなり、一回りも二回りも成長しました。「年少より年中、年中より年長が超楽しい!」と毎日元気いっぱいで、親子共々の幼稚園LIFE、楽しかったな。
 ボロボロの青色カバン、持ち手が切れた水色カバン、ぶかぶかだった制服もぴったりになり、そしてなぜか帰りのバスから降りてくるときはいつも裸足で・・・。そんな姿が見られなくなるのはとてもさみしいです。
 今度は小学校という小さな社会の中で幼稚園で培われたたくましさやチャレンジ精神をフルに発揮してくださいね。フレ〜フレ〜、なっちゃん!リレー大会の応援に負けないくらい、いつも応援しています。
 最後になりましたが園長先生をはじめとする先生方、職員の皆様、3年間本当にありがとうございました。



■たくさんの思い出
 和也 卒園おめでとう。
 心待ちにしていた入園の日、花壇の前で嬉しそうにポーズを取り、写真を撮ったことが、ついこの前だったような気がします。
 みかん組では、亀原恵先生の明るさと廣渡亜紀先生の優しさで包まれた一年を過ごすことが出来ました。
 年少の頃は、時々体調を崩すことがあり、その度に先生から園での様子をお電話をいただき、人数が多くても子ども達をよく見ていてくださるんだなあ、と感心していたものです。
 その年の12月、和也が高熱で3〜4日休み、ようやく回復した頃、「幼稚園に行く?」と訊いても「やめとこうかな」とあまりいい返事でないので、「じゃ、休む?」とバスを乗り過ごした後に「やっぱり、行く」と言い出し、急いで連れて行ったことがあり、先生方が「あっ、和也が来たよ」と言うと、クラスの皆が「かずやー」って言いながら、笑顔で囲んでくれたこと、言葉にできないくらい、嬉しくて温かい気持ちになりました。
 ぞう組では、城谷なみ先生にお世話になり、少し自信がついた和也がより楽しく取り組めるよう、盛り上げてくださいました。
 運動会のリレーでは、少々残念な結果となりましたが、3月最後のリレー大会の頃には、皆の息も合ってとても白熱し、いい結果に結びつき、「数ヶ月で、こんなに走れるようになるんだ」と感動せずにはいられませんでした。
 そして年長つばめ組では、前田玲佳先生のいつも明るく接してくださる姿が、和也には楽しくて、はじけるもとになっていたようです。
 気の合う友達もたくさん出来、毎日が楽しくて仕方ないっていう顔をして、いつも笑顔でバスを降りて帰っていました。
 毎月いただくカノンの言葉では、絵の具を混ぜて楽しんでいる様子や、バス待ちの間、縄跳びを何度も挑戦していたことなど、見ていなくてもその様子が分かるように表現されていて、返事を書くのも熱心になったものです。
 発表会前日、どきどき、そわそわして落ち着きのない私に、「明日、楽しみにしててなあ」とサラリと言ったことに、「どんどん成長しているなあ」と思い驚きました。
 卒園式が終わり、今度は1年生になるのを心待ちにしている和也の横で、お母さんは少しセンチになっていますが、こういう思いも大切にしたいと思います。
 今はただ千里敬愛幼稚園に通わせてよかった、という気持ちでいっぱいです。
 3年間、たくさんの思い出が出来たこと、感謝しています。


■嵐のように
 転勤のため年長の9月から千里敬愛幼稚園でお世話になりました。7ヶ月という短い期間でしたが、卒園式の帰りに園長先生に言われた、「嵐のように来て嵐のように去って行く」という言葉通りに色々なことがありました。
 登園するようになって次の週に朝の「バスにのりたくない」「ようちえんへいきたくない」と登園拒否。無理矢理連れて何とか競技をした運動会。雨の中歩いて幼稚園へ行ったのに到着したら、「かえる!」と言い、びしょ濡れで自宅に戻ると「やっぱり、いきたい」と再度行った学園祭り。車で送って行った万博公園の遠足。パジャマのままで園長先生に抱えられて登園した日。
 幼稚園へ行ってしまうと自制するのか顕著な態度の変化はなかったものの、自宅では些細なことで愚図り、昼夜を問わず耳を塞がずにはいられないほどに絶叫し泣く状態(パニック)でした。
 夜が明けない日はないと言いますが、そのときは、「この真っ暗闇から抜け出せる日が果たしてくるものなのか」と思う毎日でした。最終手段である「横浜に帰る」そんなことも真剣に考えていました。
 しかし2学期の終業式の朝、バスに乗ってくれたのです。それを機に3学期の始業式からは普通にバス登園できるようになりました。卒園式の夏海はまるで3年間通ったかのような風貌でした。
 もし千里敬愛幼稚園に行っていなかったら大阪生活を継続し楽しんでいる現在の私達はなかったことでしょう。
 園長先生をはじめ担任の長谷川先生、諸先生方お世話に成り、言葉では言い尽くせいほどの感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。


■兄とは違う園で
 光平くん、卒園おめでとう。
 まだまだ赤ちゃんだと思っていたのに、もう小学生になるのだと思うと月日が経つのは早いものだと感じます。
 3年前を振り返り、当初、光平は兄と同じ公立の幼稚園に入園させる予定でしたがいろいろな事情が重なり新年度直前の1月頃、急遽申し込み。7月頃の入園と言われましたが、1ヶ月早い6月から入園することができました。
 兄とは違う幼稚園、初めての3年保育ということで私にとっても新たな幼稚園生活のスタートとなりました。
 光平は近所のお友達が一足先に通っていたこともあり、早く幼稚園に通いたかったようで、初めてバス停に行ったときも、ぶどう組の教室に入ったときも最初からいるような振る舞いでした。これなら何とかやっていけるかな?その思い通り「行きたくない」という言葉は3年間を通じて数えるほどしかなくて、楽しい幼稚園生活を送れたと思います。
 光平は内弁慶で外面がいいようで、幼稚園では先生の言うことを良く聞いて(?)お手伝いもすると聞き、家でもそうならどんなに楽かなと思ったことも数知れず。まぁ、私にわがまま言って他人の前でいい子ならいいのかも知れませんが。
 私の方はというと、年少、年中ではエプロンママくらいしかしなかったので、年長ではできるだけ行事にも参加したいと思い、SOS・図書委員・ベルマーク委員をさせていただきました。
 SOSでの行事参加は楽しく、クラスのママたちとも知り合いになれてよかったです。
 天王寺動物園の引率では5月なのに夏のように暑く、先生方の大変さを身をもって知った思いでしたが、光平も私が参加したのでうれしかったようですし、今となっては貴重な体験をさせていただいて良かったと思っています。 
 まだまだ書きたいことはたくさんありますが、園長先生をはじめ、担任していただいた吉川先生・秋長先生、富江先生、西田先生、優しくときには厳しく指導して下さりありがとうございました。他の先生方、お母さん方も楽しい思い出をありがとうございました。



■いつも一生懸命
 たっ君、卒園おめでとう!
 あっと言う間の3年間だったね、特にママはたっ君に良い思い出を沢山もらうことが出来て本当に幸いです。その分、卒園するのが寂しくてなりません。
 入園式の日、喜んで家を出たものの、ばなな組の部屋に入ってママと離れた瞬間、火がついたように泣き出したの覚えてる?たっ君があんなに泣くなんて思わなかったから、ママもビックリしたよ。
 当然のことながら次の日からは、泣き叫ぶたっ君を抱いて無理やりバスに乗せる日々が続き、毎日辛かったな〜。
 そして帰ったら毎日同じことを聞くんだよ。「明日幼稚園ある?」「あと何回寝たらお休み?」「もう幼稚園行かへん!」って結局、年少が終わる頃まで言ってたよ。行けば楽しそうにしているのにね。
 年中になると友達もどんどん増え、毎日楽しそうに通ってくれるようになりママも一安心。発表会の「宝島」すごくカッコ良かったよ!
 年長になって担任のめぐみ先生のパワ−をもらってか急に活発になり、何事も一生懸命頑張ってたよね。
 リレ−大会では、一番速いと言われていた「流れ星チ−ム」。しかもアンカ−の大役。ママは、毎回ドキドキで見ていたよ。でも見事に全て一位での優勝、拓は何回もゴ−ルテ−プを切ることが出来て良かったね。そして一位の旗を誇らしげに持って走ってた姿が今でも目に焼きついています。
 発表会での「夕鶴」これまた感動!何度観ても涙が出るほど上手だったね。
 歌の方も最後まで心配していたボックスホン、すごく上手だったね。弾きながらお歌も唄えるなんて凄いよ!沢山練習したんだってね、後でめぐみ先生に聞いたよ。拓の何事にも「一生懸命頑張るところが凄いな〜」ってママはいつも感心させられます。
 なわとびも一人でコツコツ家の前で練習してたね。寒い中、手や顔を真赤にさせながら・・・。本番では見事2回とも60秒をクリヤ−、おまけに女の子のお助け人としても出場、これも60秒をクリヤ−役目を果たせて良かったね。
 こうして目まぐるしく三学期の行事が一つ一つ終わっていくにつれ、妙に寂しいママの気持ちは何故?園長先生の言う「ママの青春時代」の終わりを告げようとしているから?
 卒園式の前日に、「ママ、幼稚園のたっ君好きやからもう一年幼稚園に通って〜」って言うと、真面な顔して、「いやや〜、たーぽん、一年生になりたいもん」って泣かせちゃったよね。寂しいと思っているのはママだけで、拓は輝かしい未来に向けもう歩みだしているんだね。
 たっ君、これからもママと一緒に楽しい思い出作って行こうね。よく唄ってくれた「待っててね」の歌詞通り、「拓が大人になっても今のままのママでいる」ように頑張るから、拓も今のままの甘えん坊の可愛い拓でいてね。
 最後に園長先生をはじめ、拓に関わって下さった諸先生方本当にありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。



■親子共々思い出深く
 愛菜、卒園おめでとう!
 年中さんの春、大阪に引っ越してきたばかりで、初めての幼稚園。いろいろ不安だったね。
 最初の日、バスに乗ってバイバイした朝、愛菜は下向いてポロって涙がでちゃったね。でもね、ママも目の中にもたくさんの涙があったんだけど、「がんばれ!がんばれ!」って、手を振って「いってらっしゃい」したんだよ。
 教室では先生が見えなくなると、泣いちゃったんだよね。お友達ができるまで・・・。
 毎日、ママに幼稚園であったことをお話してくれたね。どんどんお友達の名前が増えていって、幼稚園での生活が、毎日楽しくて、楽しくて仕方ないのがよくわかったよ。
 年長さんになったら、勝つぞ!って頑張る顔も見せてくれたね。
 幼稚園での楽しかったこと、たっくさん胸にしまって、また一歩ずつ、踏み出していってね。
 愛菜、ママにもたくさんの思い出ありがとう!ママにとっても、楽しい幼稚園生活だったよ。
 最後になりましたが、いつも笑顔の先生方、優しく接してくれましたお母様方、
本当にありがとうございました。私自身、初めての地で不安が多かったのが当初の愛菜に表れているように思います。いつも温かく見守っていただいてありがとうございました。私にとっても、思い出深い幼稚園生活になりました。



■娘への手紙
 優香へ 
 卒園おめでとう。2年前の説明会のとき、なかなか慣れることができなくて泣いちゃったよね。でも入園式の日、教室では優香から「大丈夫だから、バイバイ」って言ってきてくれましたね。パパもママもとってもびっくりしました。そして、とっても 嬉しかったです。
 幼稚園ではたくさん思い出を作れたかな?運動会やリレー大会で、優香が頑張って、そして元気いっぱいに走っている姿は すっごくかっこよかったよ。1回だけど、リレーで1番になれたよね。パパもママも 跳び上がって喜びました。
 そして発表会。年中さんのときは、とっても可愛い ペンギンさんを見せてくれたね。年長さんのときの「未来少年コナン」ではラナやレプカやコナン、いろいろな役になりきり、とっても迫力があり、びっくりしました。幼稚園やお家でいつも歌ってくれた歌はパパも大好きです。パパも聞いているうちに いつのまにか覚えてしまい、つい会社で口ずさんだりしてしまいます。
 千里敬愛幼稚園での楽しかった思い出や、たくさんのお友達、優しかった先生のことは、ずうっとずうっと忘れないよね。
 これから小学校に行っても元気で優しい優香でいてくださいね。パパもママも大好きな優香のことをいつも応援しています。                    パパより
        *******
※娘とともに
 始めて我が子をこの腕に抱いたとき、この子が10ヶ月お腹の中にいて、生まれてきた不思議を思わずにはいられませんでした。
 まず、おっぱいをやり、おむつを替え、離乳食をやり、体を育てる育児から始まりました。そして、自己が確立されるにしたがって、内面的な成長にこちらの方がついていくのが精一杯、何てことも多々ありました。
 最近では複雑な反抗をしてきたりして、どう接したら良いのか考え悩んだりします。最初の子ということもあってか上手に受け流すこともできず、適当な方向に誘導もできず、大人気ないと思いながら真正面からぶつかってしまうこともあります。
 年少の次女が何か悪いことを言って来ても、つい「へぇ〜、そんなことが言えるようになったの」と感心さえしてしまい、長女はその点不利だと感じるこの頃です。
 さて今日、卒園式を迎え、口を大きく開け唄う優香の姿を見て、涙があふれて来ました。6年間育てたんだなあという実感と、ちょっと一区切りついたような安堵感からの涙だったように思います。
 月並みな言葉ではありますが、千里敬愛幼稚園の園長先生を始め諸先生方には大変お世話になり、ありがとうございました。優香はこの幼稚園を卒園できて良かった、と思えたことは幸せなことです。
 小学生になり、これからもっともっと精神面の成長も見せてくれることでしょう。
 「育児」は「育自」だとも言います。その言葉に甘えるならば、私も手探りの状態で、試行錯誤しながら、いっぱい悩んで、いっぱい泣いて笑って、優香と一緒に成長していきたいと思います。


■成長した娘へ
 優果、卒園おめでとう。
 平成9年5月24日にこの世に生を受けて、「やっと会えた」という感動もままならないまま、生後3日目で心臓に異常が見つかり、医療センターに入院。離れ離れの生活から10日後退院し、パパとママは、まさか、まさかで育てていきました。だけど優果は、そんな病気をはねのけるかのように成長していきましたね。いつも病院に定期検診にいけば、「優果、どこが悪いの?」と自分で自分の病気を聞くぐらい普通の子どものように大きくなってくれてありがとう。
 年少さんで入園し、いつも元気いっぱいで登園し、運動会のかけっこで先頭で走って来たときは、涙が出て感動したよ。
 年中さんの半ばで千里敬愛幼稚園に途中入園し、どうなることかという親の想いとは裏腹に、全くそんな不安も感じさせないぐらい楽しく過していたね。あなたのその順応性には、びっくりさせられました。
 ママも図書委員、エプロンママをしてみて、園での優果の姿が家で見せる姿とは違って、しっかりしていることに驚きました。そして、千里敬愛の先生方の子どもの接し方にも共感し、大変勉強になりました。
 長女に生まれて、何もかもが最初で初めてのことばかり。リレー大会では、トップでなければならないという強い思い・・・。縄跳び大会では、かもめ組が優勝でないと悔し泣き・・・。親の想いを一身に背負って、その想いに答えようと、真面目に返してくれるその姿には、いつも感心します。パパとママを楽しませてくれてありがとう。小学校に行っても、「いつも相手の立場になって考えられる、優しい人になってほしい・・・」と願っています。これからも明るい優果でいて下さい。パパとママも、一緒に頑張るからね。
 そして、そんな優果を温かく見守ってくださった千里敬愛の園長先生をはじめ、諸先生方には、大変お世話になりました。なにより、私自身、幼稚園でたくさんのお母様とお友達になれ、第2の青春時代を過させていただきました。ここでの経験を胸に、希望ある未来に向かって親子共々励んで行きたいと思っております。本当にありがとうございました。



■子どもの成長をリアルに感じ取られ
 急な転勤で年長に上がる春休みに横浜から大阪に引っ越すことになり、新しい場所に馴染むのに時間のかかる子で、やっと年中1年過ごして幼稚園にも慣れてきたかな、と思ってた矢先のことだったので私も啓介も不安でいっぱいでした。
 千里敬愛幼稚園に決めたのは近所の方のお勧めと、チラッと見たホームページからだったのですが、年長なら空きもあるとのことで、急いで手続きに行き、まず園の大きさや遊具の多さに母子で圧倒されました。何故なら前の園は園児数たった100名ちょっと、園庭は千里敬愛幼稚園の6分の1ほどしかなかったからです。
 春休みのため誰もいない園庭で啓介は、「楽しみだな」と嬉しそうだったのですが、その喜びも束の間、初の登園日、門をくぐり、園庭でクラス名を聞き、お教室に向かう途中、前の園では考えられなかった沢山の園児達が楽しそうに遊び、手をつなぎながら走り回る様子を目にした啓介は段々うつむき加減に、足取りは重くなる一方で、先生にご挨拶する頃には内だ、涙に・・・。
 そして翌日から毎朝母子で戦争のような日々が始まりました。
 まず「幼稚園には行かない!」「制服着ない!」と押入れに隠れ、なんとか制服を無理矢理着せても片っ端から脱いでくありさま。
 そして3歳と0歳の弟を抱え、どうにかバス停までたどり着き、バスが来ると今度は家の方まで走って逃げて行き・・・それを抱いて連れ戻し、先生に渡し・・・。
 年少さんなら微笑ましい姿でも、体の大きな年長さんを無理矢理バスまで乗せるのは至難の技で、それだけで送り出した後の私は朝からぐったりでした。
 それでも毎朝、そして夕方に真梨先生からご丁寧なお電話をいただき、啓介が楽しく登園出来るよう気遣っていただき、啓介の方も園が徐々に楽しくなってきたようでたった1年でしたが大変充実した有意義な年長生活を過ごすことが出来ました。
 何よりも運動会、リレー大会、発表会、縄跳び大会など・・・恐らく前の園にいたら感じえなかった子どもの成長を本当にリアルに感じることが出来ました。
 足の遅かった啓介が、「今日は勝ちたい!」という気持ちで着実に前より速くなり、縄跳びもいつまでたっても全然跳べなかったのが、少しずつ跳べる秒数を増やし・・・一生懸命な姿には感動しました。
 園長先生にはお叱りを受けてしまうかもしれませんが、大切なことなのに慌てて急いで決めた幼稚園でしたが、今では千里敬愛幼稚園にして、本当に良かったと思ってます。
 最後になりましたが、園長先生をはじめ、真梨先生、他先生方、仲良くしてくださったお友達やお母さん方、どうもありがとうございました。


■友達だから抜かせてあげた・・・
 英人、卒園おめでとう!
 英人は2歳半のときに喘息で緊急入院。会社から急ぎ足で入院先の病院に駈けつけた。当の英人はいたって元気。「早く家に帰りたいよう」の一言。喘息は慢性病、「この子の健康を取り戻せるだろうか」と悩んだものである。そんな中、元気に千里敬愛幼稚園に通う上の娘を見て、やはり英人も千里敬愛に入園させようと決めた。千里敬愛幼稚園ならば英人も元気になるだろうとの考えからだ。
 そして入園、上の娘の入園時に妻に抱かれてくぐった門を、元気に走ってくぐり抜けた英人の姿に、「いつの日か元気を取り戻してあげよう」と心に決めた。
 卒園までの3年間は上の娘のときよりも短く感じ、あっと言う間であった。
 年中、年長と大きくなるにつれて「やさしさ」と「やんちゃ」、「おちゃらけ」も増してきて、「元気になったなぁ」と感じた。実際、年長では1学期に2日間の休みであった。
 この3年間でもっとも印象的だった出来事は、年長の運動会を見に行ったときであった。リレーのときに英人が後ろから来た子にコースを譲り抜かれてしまった。運動会が終わって、「なぜ抜かせてあげたの?」の問いに、「お友達だから…」の応え。この一言に夫婦で唖然とさせられたものである。と同時に、この子のもつやさしさを何とか大切にしたいと思ったものである。
 英人の毎日の日課は、私が会社から帰ると真っ先に駆けつけて、今日一日あった出来事をお話してくれることである。私は英人の一生懸命話す姿を見て自然にニコニコ微笑んでしまい、同時に疲れた身体を癒されたものである。
 1年生になってからも、もっと大きくなってからも、たくさんのお友達を作って、やさしさをみんなに分けてあげられる人になって欲しいと願う。「英人、がんばれ!」
         *******
 英人が初めて千里敬愛幼稚園の門をくぐったのは生後3ヶ月、3歳上の姉の入園式でした。それから参観などで何度、幼稚園に通ったことでしょう。
 そして3年後、待ちに待った入園式の前日、「えっ、ぼく幼稚園に行けるの?」「この制服ぼくの?」「ありがとう!」と英人が言った言葉が今でも忘れられません。初めて幼稚園バスに乗るときも「えっ、ぼく乗ってもいいの?」と憧れていたバスに、とても嬉しそうに乗り込みました。
 慣れ親しんでいた幼稚園でしたので、何の不安も心配もなくスタートしました。そのまま3年間、大好きな幼稚園で楽しく思い出を一杯作ることができました。
 この文集に投稿するにあたり、カノンを読み返してみました。先生の愛情があふれ、私自身の英人への想いが詰まったカノンは英人の成長の証です。読み返しながら、色々と思い出して涙が止まりませんでした。
 年少のときから友達をたくさん作って、楽しそうに遊んでいる姿ばかり見てきました。造形遊び、発表会などの活動も大好きで、千里敬愛は英人にぴったりの幼稚園でした。私もママ友達がたくさんできて、楽しませてもらいました。
 朝は英人がバス停まで一人で走って行ってしまうのですが、3月に入ってからは、英人に待ってもらって、なるべく手をつないで一緒に行くようにしました。年少のときはよく抱っこして歩いた道です。甘えん坊の英人ですが、バスに乗ったらもう幼稚園の世界です。見送る私に手を振ってくれたことが何回あったでしょうか?最後の日は「手を振ってね」とお願いしたのに、照れくさそうにチラリと見ただけでした。その顔がいやにお兄ちゃんに見えて、寂しいやら嬉しいやら、私も幼稚園ママ卒園を実感しました。
 園長先生、先生方、職員の皆様、6年間ありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。
 英君へ
 卒園おめでとう!
 私が幼稚園に行くといつも、「お母しゃん」とくっついてきて、にこにこ迎えてくれるのが嬉しかったよ。
 秋には「ありがとう拍手を!」、3月になったら「待っててね」を家でよく歌ってくれたね。その歌を聴くと、お母さんはよく泣いていましたが、いつも優しい言葉をかけてくれたね。ありがとう。
 甘えん坊で泣き虫、でも優しくて、お母さんを守ってくれる英君が大好きです。
 4月からは1年生。小学校に行っても友達たくさん作って楽しく過ごそうね。
 たまには抱っこしてあげるからね!!


■マイペースの娘も徐々に
 卒園式の日は、早く家を出て水萌と(珍しく)ゆったりと園庭を歩きました。
 「あっと言う間の3年間」を感じながら・・・。
 水萌の入園と、3人目の妊娠が重なり、私は無理が出来ず、年少の参観は母の日と、お誕生会(7月)に行くのがやっとでした。
 母の日は平気で送ってくれた水萌、でもお誕生会では私のそばを離れず、先生やお友達を困らせてしまいました。トイレに寄り、帰ろうとしたとき、入り口の所に立ってたのにはビックリしました・・・。無理もないかもしれません。その頃、一ヶ月ほど離れて暮らしていたのですから。
 当時、年長だったお姉ちゃんと私が同時に入院することになり、水萌は茨城県にある私の実家に預けられたのです。何事もないようにしていましたが不安だったのでしょう。
 その後も園には様子を見に行けず、人づてに聞くのみでした。
 よく園庭へ抜け出し、砂場で一人遊んでいると・・・。
 マイペースで自分の興味のあることばかり求めてしまい、彼女としては幼稚園生活を楽しんでるのでしょうが、このままでは集団生活に馴染めないのではないかと心配したものです。
 でも、その心配も発表会の練習が始まった頃から和らいできました。
 心配しながら見に行った発表会、水萌の演技は生き生きとしていて輝いていて、一人、ポツンと砂場で遊んでいる姿(想像ですが)などは打ち消してくれました。題目は「バグズ ライフ」、その頃、ショートカットだった水萌は役(アリ)へのこだわりを見せていたのか、触覚のように頭のてっぺんに二つ髪を立てていました。
 集団生活への適応を心配していましたが、皆と一緒になって演技しているのを見て、少し気持ちが楽になったことを覚えてます。
 無理強いをせず、遠くから距離を置きつつ見守ってくれたのが水萌の性格には良かったと思えます。
 壁を越えたのか、その後は、カメのようだけど成長していく水萌が見られました。
 年中では抜け出すことがなくなり。お友達ができて、年長ではお友達のことを話してくれるようになってきて。
 早いもので、もう小学生、水萌が違う世界へ入るのはまだまだ心配です。
 でも、千里敬愛幼稚園での3年間の水萌の成長を振り返れば、また、これからも前に進むことが出来そうです!
 娘の成長に加え、親も成長して行かなければと本当に感じた3年でした。
 最後になりましたが、園長先生をはじめ、今まで指導して頂いた先生方、沢山のご迷惑をお掛けしましたが、お陰様で卒園することが出来ました。
 本当にありがとうございました。



■また年少から行きたいなぁ
 入園願書をいただくために初めて訪れたとき、余程のことがない限り、自分から行動することがなかった娘が、「遊ぶ!」と一言、走り去っていきました。すぐに帰ろう、と言い出すのだと思いきや、園庭の遊具をひと通り楽しみ、敬愛の子ども達と一緒に遊ぼうと、必死にすべり台をのぼっていました。そんな娘の姿を見て、入園することを決めたのでした。
 そして笑顔で手を振り、初めてのバスに乗ってから3年間、幼稚園を全身で楽しみ、おとなしくて消極的だと思い込んでいた娘は、日ごとに生き生きと明るく輝いていきました。
 そんな娘の姿を見るのが楽しみで、私もよく幼稚園に足を運びました。
 全身が黄緑に染まった塗たくり遊び、女優顔負けの表現で役になりきった発表会、笑顔の中にも真剣な表情を見せてくれた運動会、そしてクラス一丸となって挑んだリレー大会、どれをとっても素敵な思い出です。
 そして決して忘れることのできない縄跳び大会。
 冬休み中も縄跳びをしたのは数えるほど、その上、「縄跳びは好きじゃない」と堂々と言っていた娘が、大会前日に、「お母さん、絶対に2回とも60秒跳ぶから、絶対に見に来て」と真剣な表情で言ってきたのです。内心、疑問に思いつつ参観に出かけたのですが、その宣言どおり見事に跳んでみせてくれました。クラスを1位にするために、園でお友達と練習を重ねていたことを後になって知りました。ついこの間までは、自分のことだけしか考えられなかったのに・・・と、娘の心の成長に驚き、同時にそのように指導して下さった先生方への感謝の気持ちで一杯になりました。
 1年生を目前にし、娘はランドセルを背負いながら、「また年少から行きたいなぁ」とつぶやいていました。本当に素晴らしい3年間をありがとうございました。



■卒園の日、一日中制服で
 卒園式から帰ると、「今日はこのままでいて良いでしょ?」と言って一日制服で過ごしましたね。
 卒園を惜しむかのように少しでも長く制服を身に付けていたいと思うほど、あなた達が幼稚園に愛着を持っていたこと、そして幼稚園の2年間で、どれほど素敵な時間を過ごしたのかを強く感じました。
 それはきっと『時計よ眠れ♪』の気持ちはママも同じだったから・・・。
 初めて幼稚園に行った説明会の日、ほ―ちゃんは保育室に入ることさえ拒んで泣きながらパパにしがみついていましたよね。先生に抱かれて優しくなだめてもらってっている様子をみて講堂へ向かっていると、初めは我慢していたみーちゃんが「パパァ〜」と靴下のまま泣きながら追いかけてきましたよね。
 入園する迄、ダッダやちゃあちゃんとお留守番するする以外にパパやママと離れたことがなかったあなた達の心細さは計り知れないものがあったと思います。
 そんなあなた達がニコニコ笑顔で迎えた入園式!でも、明日からはバスに乗るのが嫌だと二人して泣き出すのでは?幼稚園に行きたくないと言い出すので は?と言うのが周囲の大方の予想でした。それを見事に裏切って毎日楽しそうに通いはじめましたよね。
 少し経ってからママ恋しさが出てきたけれど、優しい先生やお友達のいる幼稚園には行きたいと言う気持ちとで涙が溢れ出てしまう朝、ママも「がんば れ!!」って気持ちと、「この手を離したくない・・・」と言う気持ちと闘っていました。でも、自分から手を離してバスに乗り込んで行ったあなた達の方がママより頼もしかったんだと思います。
 ほーちゃん、発表会でのグロッケンは一人のパートをとても堂々とやっていましたね。何事にも、コツコツと取り組んでいくほーちゃん。その1つ1つの積み重ねがこれからもあなたを支える強い力になるでしょうね「出来るようになりたい」と言う気持ちが分かるからお友達にも優しくなれるんだよね。
 みーちゃん、幼稚園に入って運動会や発表会で前に前に出て行くあなたの姿に1番驚かされました!!家では一番甘えん坊なみ―ちゃんが幼稚園ではリーダーになって頑張っていましたね。どうしてもらうと嬉しいか分かるから優しく笑顔で声をかけてあげられるんだよね。
 パパやママはそんなあなた達の姿に教わることがたくさんあります。これからも、人の気持ちを思いやれる人でいて下さいね。
 ママには制服や鞄はないけれど、沢山のお友達や先生方との素敵な出逢いは勿論、沢山の行事や参加でのSOSやエプロンママ・図書委員に参加させてもらうことであなた達の幼稚園生活の思い出のページを一緒に綴ることが出来たのがママには一番の宝物になりました。
 最後になりましたが、娘達に優しく、温かく愛情深く接して下さった西田先生と亀原先生、また園長先生や諸先生方に心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。



■これからも共に喜び
 かっちゃん、卒園おめでとう!
 3年間よく頑張ったね。
 入園当初は涙、涙で、くまちゃんタオルを持って幼稚園へ行っていたこと、懐かしいね。
 かもめ組では一日も休まず、バス停にも一番に行くくらい幼稚園が大好きになり、ママは本当に嬉しかったよ。
 歌もたくさん聞かせてくれました。
 すべての活動にまじめに取り組んでいましたね。
 ここに、おほめの言葉をママからも贈ります。
 たくさんの感動と思い出をありがとう。
 これからも、思いやりの気持ち、最後まであきらめない気持ち、感動する気持ちを忘れずに、小学校に行っても頑張ってね。
 ママは、いつも元気一杯で、明るくて楽しいかつひろが大好きだよ。
 勝博の卒園と同時に、5年間の幼稚園ママもピリオドとなり、今、充実感と寂しい気持ちで一杯です。
 運動会やリレー大会、縄跳び大会でのあの興奮。子ども達と一緒に喜び、達成感を味わえたことは、とても楽しい思い出です。
 そして発表会の感動も忘れられません。
 たくさんの先生、お友達との出会いがありました。親子共々親しくしてくださった全ての方々に、感謝しております。
 これからも共に生き、共に喜び、私自身も共に成長していければと思っております。
 5年間、本当にありがとうございました。



■大きな幼稚園に圧倒されて!
 てるくん、卒園おめでとう。早いね。もうすぐ1年生だね。
 千里敬愛幼稚園へは、年中の3学期から転園となりました。
 「早く、新しい幼稚園に行きたい。」と言う子どもの言葉にうながされ幼稚園探しを始めました。
 ところが、子どもの反応は意外なものでした。他園を見に行ったのですが、人見知りもなく、活発でじっとしていない子が私の手を握ったまま側から離れず、「ここは、お兄ちゃんの小学校?早く帰りたい。」と言うのです。
 以前の幼稚園は小さかったので圧倒されてしまったのでしょう・・・それは、今まで見たことのない姿でした。
 気乗りのしない子どもを説得し、次も同じようならあきらめて少し時間をおいて、ゆっくり探そう思いながら千里敬愛の門をくぐりました。
 転入できるのは、くま組のあと1人・・・始業式が終わり、園児のいない園を子どもと話しながら見学していると、年中組さんの2人の先生が、「ここの幼稚園おいでよ。楽しいよ」「くま組の先生やさしよ。待ってるからね」と声を掛けて下さいました。
 その後、担任の先生に出会いました。先生は、子どもを抱っこしながら教室を案内して下さいました。それで安心したのか、「僕、この幼稚園に行く!」と言ってくれ、自分で決めたのなら大丈夫だろうと思い入園しました。あのときの先生方の優しさには本当に感謝しています。
 しかしすぐに、クラス替えになり、新しい先生に慣れるか心配でしたが、長谷川先生の厳しいながらも、明るく優しい笑顔が好きになり、ほっとしました。
 それ以降は、積極的に参加する姿や、粘り強くがんばる姿を見て、わが子の成長を嬉しく思いました。
 本当に、この1年3ヶ月は、行事も沢山あって目まぐるしく過ぎ去ったような印象で、楽しかった分、とても短く感じられます。親子共々いい想い出を作ることができ、大変嬉しく思います。
 最後になりましたが、園長先生、担任の長谷川先生はじめ、諸先生方、本当にお世話になりました。ありがとうございました。


■急な引っ越しから立ち直り
 3月15日卒園式の日、沢山のお友達に囲まれ、笑顔で写真に写る息子の姿を見ながら色々なことを思い出しました。
 2年前、入園式の二日前に吹田に引っ越して来ました。息子も私も不安と期待で一杯の中、幼稚園生活が始まりました。
 「楽しかったよ」と一日目は元気に帰ってきました。良かったと胸をなで下ろしていましたが、次の日の朝から「幼稚園に行かない!」と泣きはじめました。トイレに閉じこもり中から鍵を掛けて出てこない日もありました。毎朝、近所に響き渡るような大きな声で泣いている息子を抱きかかえながら、幼稚園まで連れて行きました。泣き叫ぶ息子をなみ先生に預けて家に帰ろうと思うのですが、心配で幼稚園の垣根の隙間から見つからないように何度も覗いていました。先生に抱っこされ泣きながらも、お友達と一緒に、鯉に餌をあげている姿を見て、涙が出てくるのをこらえながら「頑張れ」と思ったのがついこの間の様に感じます。
 色々な行事を重ねる度に息子が少しずつ成長していくのがそばで見ていてよく分かりました。年長になり運動会、リレー大会、発表会、本当に楽しそうでした。そして縄跳び大会では、前跳びは1分跳べるからと得意ではない後ろ跳びに挑戦し、何度失敗しても諦めずに跳び続けていた姿、すごくカッコ良かったです。そしてそんな息子に「達郎ガンバレ!」と応援してくれたつばめ組のみんな本当にありがとう。
 たくさんの素晴らしいお友達、そしていつも温かく見守ってくださった先生方、楽しい2年間をありがとうございました。
*たっちゃんへ
 そつえんおめでとう。これからもどんなことにも いっしょうけんめいにがんばれるたつろうでいてね。しょうがっこうにいっても、いっぱいともだちつくっていっぱいたのしもうね。



■思う心
 卒園式が終わって、修了証書をひとりひとりがいただくとき、亀原先生が言われた言葉が私にとって忘れられないものになりました。
 「えみちゃん、お姉ちゃんになったね。えみちゃんは言葉に出して言うのが苦手だけど、その『思うこと』が大切だからね」
 そして最後のカノンには、「こえにすることよりだいじなのは『おもうこころ』それを、えみちんに教えてもらったよ」とありました。
 はずかしがり屋のえみは、なかなか人前ではきはきとしゃべれないことがあり、私自身、「はっきりいいなさい!!」とよく叱ってしまうことがありました。でも先生は、そんなえみの気持ちを私よりも、はるかによくわかっていてくださったのだと感じました。
 卒園文集を書くにあたり、もう一度3年間のカノンを読み返してみました。なつかしさと共に、40人近くも子ども達がいる中で、こんなにもひとりひとりのしぐさを見過ごさず、見守ってくださったことにあらためて感動しました。
 年少さんで、まだまだたよりなかったえみを温かくつつんでくださった田村先生,西田先生。おとなしかったえみを活発にしてくださった安岡先生。そして3回の発表会でやった「バグズ・ライフ」「シンデレラ」「夕鶴」。今でも時々えみはそのときの話をしたり、歌を歌ったりしてくれます。
 私自身が勤めていたため、送り迎えは3年間、祖母がしてくれました。仕事から帰ってきて、祖母から、えみの園での様子を聞くのがとても楽しみでした。
 仕事の合間をみては、参観やエプロンママさんにも参加しました。
 「忙しくて大変やね」と言ってくれる人もいましたが、園に行って、えみが先生やお友だちと楽しく過ごしている様子を見た日は、私自身とても元気をもらって、幸せな1日が過ごせました。
 いろいろな人たちに支えられてえみが成長できたこと、私が母親として幸せな3年間を過ごせたことに心から感謝しています。園長先生はじめ、諸先生方、本当にありがとうございました。


■笑顔に満ちた3年間
 先日無事に卒園式を迎えることができました。千里敬愛幼稚園と出会って5年、長かったような短かったような月日でした。 
 5年前、2つ違いの姉が入園しました。遼は、まだ赤ちゃんでベビーカーに乗っていました。それから2年後、大好きな姉を追いかけて入園しました。
 入園すると先生方から、「遼くん年少さんになったんだね。この前までベビーカーに乗ってたのに」と多々言われました。千里敬愛幼稚園は、遼の5年間の成長を見てきてくれました。
 そして、入園してから3年間毎日笑顔で登園しました。
 年少は、もも組 大谷先生、安岡先生。いつも隣のうぐいす組に行き、ガラス越しにお姉ちゃんを見ていましたね。ときにはクラスに入り遊んでもらっていましたね。
 年中は、しか組三代先生。お姉ちゃんが卒園し、少し寂しい思いをしながら行きましたね。でも新しいお友達が出来て毎日楽しく登園しましたね。
 年長は、かなりや組長谷川先生。当初先生怖いんだ〜と恐れていましたね。それに周りを見ると知っているお友達が殆どいなかったね。でも毎日毎日新しいお友達を作り、何事にも活発に取り組みましたね。
 リレー大会では、速く走れるように手の振り方や走り方練習していたね。発表会も園から帰ると台詞の練習してたね。ミニミニ発表会では、シンバルをするからと張り切って登園したのに、発表会前に熱が出て残念だったね。でも帰るとき、かなりや組のみんなが、「遼、どうしたん?大丈夫?明日こいよ!」「遼くん、どうしたの?明日おいでよ」と言ってくれたときは、本当に嬉しかったです。本当に沢山の優しいお友達に囲まれて園生活を送っているんだと感じました。
 長谷川先生、1年間お世話になりました。個性豊かでマイペースなかなりや組でした。充実した1年をおくれたと思います。
 かなりや組のお友達、遼と仲良くしてくれてありがとう!忘れないでね。
 *りょうくん そつえん おめでとう!ようちえんで たくさんの おともだちと おもいでが できたね。りょうくんの やさしさ えがお がんばりに きんメダルをあげるね!こんどは 1ねんせいだね。しょうがっこうに いっても いまの やさしさと えがおを わすれないでね。そして おともだちを たくさんつくろうね!



■成長した我が娘へ
 最近、カレンダーばかり見ています。卒園まで後何日か数えるのが今の私の日課になってしまいました。とうとう卒園です。兄から数えると5年お世話になりました。
 新年中最後のクラスの抽選にはずれ、3年年中に。本人も「早く行きたい」と胸を躍らせていたのに喜んで行ってくれたのは3日ほど。次の日からは「もう行かない!」二人で格闘した日々が続きました。かみなり先生にお迎えに来て頂いたこともありました。兄でお世話になった山元麻美先生が大好きで「麻美先生のクラスになるの」と信じていたのになれなかったショック。タオル1つ何処に掛けるのか?皆は知っていても自分は分からない。トイレに行きたくても言えなくて、気づいてもらったときには間に合わない。そんな日々が続いたよね。気づいてあげられなかった・・・ごめんね。不安で一杯だったのに。この1年はママも反省することがたくさんありました。
 年長になったらどうなるのか心配していましたが、夏休み明け先生から、「はじけました!」と言われ、本当に積極的に活動に参加、運動会、造形、リレー大会、発表会とどれもすばらしかったし、感動もたくさんありました。
 中でも思い出のワンシーンがあります。
 走るときはいつも裸足。
 「自分は足が速い」と信じている姿にもう感動すら覚えました。最後のリレー大会で今まで何度も一緒に走っても勝つことが出来なかったお友達を抜いて1位で帰って来たとき、「ママ見た?○○ちゃんを初めて抜いたんだよ!」
 私は初めて知ったのです。それまでにドラマがあったことを!自分は出来るって思い続ければ叶うんだよね。
 転勤族の我が家ですが、こんなに身近で子どもの成長を感じとれ、色んなことを一緒に体験できるのも千里敬愛幼稚園に出会えたから。
 3月15日子供と一緒に私も卒園です。
 最後になりましたが、園長先生をはじめお世話になった先生方、仲良くしてくれたお友達、お母様方に感謝の気持ちで一杯です。素敵な日々をありがとうございました。
 愛梨沙へ
 卒園おめでとう、たくさんの思い出をありがとう。これからも笑顔を忘れずに輝く未来に向かって頑張りましょう。
 いつも応援しています。 



■年々の思い出
 入園式当日、赤い屋根が見えた途端、走り出した美月。いちご組で迎えてくださったのは西田先生、田村先生、中山先生でした。通園途中で摘んだタンポポを握りしめ、持っていくと先生は、「みほとけさまにみせにいこう!」とおっしゃり、美月の小さな手を、大きな手で包みこんでくださいました。「嬉しい」という気持ちを共にわかちあうことを教えてくださった優しい手でした。
 年中のときの父の日参観日の朝、パパは仕事で出席できず、家のベランダで涙を一生懸命こらえていた美月でした。じゃんけんゲームで、お父さんに「たかいたかい」をしてもらっているお友達を羨ましそうに見ていました。一番最後に教室を出る美月を待っていたのは笑顔いっぱいの三代先生でした。先生は「先生がお父さんの代わりに、たかい、たか〜い、してあげるよ〜」と、高々と美月を抱きかかえてくれました。大きな温かな手でした。
 年長の最初の日、バス停で、不安一杯で入園した妹、きらの手をぎゅ〜っと握る美月の頼もしい手がありました。二人でしっかりと手を取り合いながらバスに乗りました。
 美月がこんなにも妹思いで、責任感が強くなったのだなと実感したのでした。また「私も長女なのでわかります」と、いつも美月の様々な心理を理解してくださり、見守ってくださったのが末広先生でした。
 園長先生をはじめ、先生方が注いでくださったたくさんの愛情を一杯に受け、本当に大きく成長させていただいたと思います。親子で楽しませていただいた敬愛生活をきっと、忘れることはないでしょう。
 たくさんの感動をいただき、こころ豊かな3年間をすごさせて戴き、本当に本当にありがとうございました。



■5年間の母親の青春
 2004年3月15日、「母親の青春」を存分に味わった、5年間の幼稚園ライフが終わりました。
 上の子の入園前、2人が幼稚園へ行き始めたらどんなに楽になるんだろう・・・と、甘い考えを抱いていたのですが、入園説明会の際、園長先生のお話をうかがいその言葉は一瞬にして消え去り、まさに「育児」ではなく「育自」なのだと痛感させられ、入園後はたくさんの行事に参加し、夏奈以上に私のほうが楽しんでいたかもしれません。
 この3年間で夏奈が経験し得たものはこれから直面するかもしれない様々なことに対し強い力となることでしょう。
 最後に。
 いつも温かく見守ってくださった先生方ありがとうございました。
*かんちゃんへ
 卒園おめでとう。
 ママはかんちゃんが帰ってきてからの「お土産話」が楽しみだったよ。かんちゃんが話してくれたことは全部ママの宝箱に大事にしまってあるから、かんちゃんもいちご組、きりん組、かもめ組での3年間のステキな思い出を大事にしていこうね!!



■卒園によせて
 小さい頃から、あまりぐずぐず泣かないで育った遥が、布団のなかで目に涙をいっぱいためている。
 「あと、9回行ったらもう幼稚園行ったらだめなんでしょう。あひるのみんなと会えなくなるんでしょう?」と言う。
 あら、と思った。
 発表会の夜、「遥、今日、緊張して、心臓が痛くなったんだよ。だって、あひるのみんなとやる最後の発表会だもん。ひとりが間違ったらみんなにめーわくかかるでしょ」と言う。
 あらあら、と思った。こんなにも仲間のことを思う娘を羨ましく思った。
 こちらの園には、縁あって年中の11月からお世話になった。
 最初の手続きのときに印象的だったのは、園のどこにいる子もみんな、とても楽しそうにしていることだ。しかも、一途なかんじで。
 外でクールな遥は、どうかな、と思ったことを覚えている。
 けれど、次の日、園バスから降りてきた遥は、「あー、楽しかった。お友達が優しくお世話してくれたんだー。もう、友達たくさんできちゃったんだよ!」と話してくれて驚いた。1ヶ月もたつと、もうずっと前から千里敬愛児のようだ。
 年長になり、ますます娘は変わっていった。あひる組の友達と、元気で心優しい先生に、心も体も伸びやかに健やかに育てていただいたと思う。それは、親では、出来なかったことだと思う。園にお邪魔するたび、娘の顔が、目がきらきらしているのを、ほんとうに嬉しく思った。
 この幼稚園でのきらきら光るたくさんの思いを、遥はきっちりと胸にしまって(娘は几帳面!)大きくなってゆくだろう。
「何にもなくても ふたりなら ・・・」と言い出すときもくるかもしれない。
 そんなときまで、娘の思いを笑顔で受け止め、寄り添える母でありたいと思う。
 遥、卒園おめでとう。素敵なお姉ちゃんになったよ。



■大好きな息子へ
 なるくん、卒園おめでとう。
 昨年4月に愛知から引っ越してきました。引越しのとき、最後のお別れに来てくれたお友達に、走り出した車の窓から、大きな声で「バイ!バーイ!」と手を振っていましたね。そして、友達の姿が見えなくなって、お兄ちゃんと一緒に泣いていた愛也の姿を忘れることができません。
 親子共々、新しい場所での新しい生活に不安いっぱいでしたが、温かく迎えてくださった千里敬愛幼稚園、園長先生はじめ、みやこ先生、たくさんのお友達に改めて感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 千里敬愛へ初登園の日、あなたは少し緊張しながらそれでも笑顔で手を振って、バスへ乗り込んで行きましたね。そのとき、少しの不安もなかったの? まったく知らない所へ、ひとりっきりで・・・。笑顔のあなたを見て、とても胸が痛くなったのを覚えています。
 でも、帰ってきて、「新しい幼稚園楽しかったよ。先生もお友達もすごくやさしくしてくれたから、全然さみしくなかったよ」と話してくれましたね。あのとき、本当に千里敬愛幼稚園で良かったなぁと思いました。あれからもう一年ですね。
 この一年、新しい経験もたくさんしました。塗りたくりのときの楽しそうな顔。また、造形遊びでは、細かいところまでいろいろ工夫していて本当に感心してしまいました。あのとき、あなた一人だけ女の子の方にいたのには笑えましたが・・・。
 そして発表会。家でいつも練習していました。みんなで一つの物を造りあげたときの素晴らしい目の輝きは、忘れることはないのでしょうね。
 リレー大会は、本当にがんばりました。あまり運動は得意ではないのかなと心配していたのですが、そんなことはなかったね。
すごく速くてかっこ良かったよ。また、なわ跳びもたくさんたくさん練習しました。
 「できないことでも、一生懸命練習すればできる様になるんだよね!」
 そう言ってがんばりましたね。すごく成長してくれました。とっても嬉しく思います。
 あなたは、本当にたくさんの感動をくれました。これはパパとママの宝物です。ありがとう。これからも、色々な幸せと、たくさんの感動を期待しています。そしていつまでも強くて優しい愛也でいて下さい。大好きな愛也!がんばってね!


■大切な距離
 3年間を振り返ってみればいろんなことがありました。その中でも心に残るもの、それはいつも元気で笑顔を見せてくれる夏彩が、一生懸命に泣き出しそうになるのを我慢している顔です。
 5月の終わり頃、途中入園するまで、夏彩は千里敬愛のバスがマンションの下に着く時間になると、毎日のように外に出て、先に入園したお友達が帰って来るのを待って一緒に遊ぶのを楽しみにしていました。
 そして、待ちに待った初登園の日、笑顔でお友達と一緒にバスに乗って行きました。ところが、後日、登園を泣いて嫌がるようになりました。3日ほどで慣れましたが、そのときのバスの中の、今にも泣き出しそうな顔や、私を見つめる目、それを見送ったときのことが凄く心に残っています。
 今では、そんなときもあったのになぁ・・・です。
 でも、あの日があって良かった。今から思えばとても嬉しく思えるからです。
 あれから3年足らず、幼稚園での生活は、夏彩に自信をつけたり、好奇心をくすぐったり、知識を豊かにしたり、感受性を身に付けたりすることに必要な扉をたくさん作ってくれました。
 どんどん成長していく夏彩を発見しながら、私にとってもこの3年間は、夏彩との「大切な距離」を見つけ出す大事な時間だったのだと思います。少しずつ成長し、離れていく夏彩の背中を見守りながら、私も夏彩の笑顔のお陰で少しずつですが母親として成長できたと思います。
※夏彩へ
 毎日、楽しそうな笑顔をありがとう。ゆっくり大きくなってね。
 すぐに手を差し延べてしまいそうになる私に、「一人でできる」と力強い一言は嬉しくもあり、寂しくもあるのです。
 これから先も、見守られていることをいつも感じて、見えない扉の向こう側を怖がらずに、自信を持って思いっ切り夏彩らしく開けていって下さい。        お母さんより


■編集後記
 毎年、卒園記念文集の入力は、その年度を締めくくり、次年度への精神的な準備となる、私にとってある種、儀式的な要素さえ含んでいます。その儀式は私の春休みの過ごし方に応じて場所を変えてきました。今年は病室でした。
 冬休み明け直後の緊急入院時に、完全に狭窄したのとは別の冠動脈(心臓には3本の重要な動脈が走っています)にも動脈硬化が進んでいて、カテーテル(風船)治療をするように勧められましたが、発表会もすでに始まっているし、一日でも早く退院したく、担当医と押し問答をして再治療を春休みまで延ばしてもらいました。
 春休みの1週目は発作前に入っていた仕事があったので、29日に再入院しました。ノートパソコン、卒園記念文集の原稿、本、ペンなど、今回は緊急ではなかったのでしっかり準備して行きました。まずい朝食対策にとトースターの持参を考えていましたが、荷物が大きくなりすぎて諦めました。
 治療も入力も順調で、退院前日にはすべて終了しました。原稿の数がそれほど多くなかったことも、それほど根を詰めなくても終われた理由です。メールでの応募が今年とても多かったからです。

 
命について語りたいのに、語られないのは、これまで万人が語り尽くしているので、今更語っても薄っぺらく響くように思えてならないからでしょうか。
 ただ、6年前の最初の発作以来、私の中で命に対する(と言うより死に対する)感じ方が随分変わったのは事実です。
 そして、そのことから、命の問題も、本当はとても個人的な見解や価値観の問題であり、論じても限界があるから、語りたいのに語られないのだとも気付きました。
 ただ、私には人生に対する信念があります。10代のときから変わらない信念です。
 それは、それぞれの年齢でそれぞれの年齢に相応しい楽しみ方をすることです。
 人間には30代にしか見えないもの、50代になってやっと見えるものがあるはずです。それらを見つけられないまま年を取るのだけはしたくない、と考え続けて来ました。
 そんな人生が最も幸せではないだろうかと考えています。若ぶるでもなく、老け込むでもなく。
 とても順調な毎日を過ごしています。
           
              園長