平成21年度← お母さん方から任意にいただいた卒園時の想いです。 なお、プライバシー保護のため、氏名等は割愛してあります。ご了承下さい。 ■涙の転入、それが最後には この度、卒園式を迎えるにあたり、震災に遭われた方のことを思うと複雑な心境です。 以前住んでいた神奈川の友人からも、卒園式ができるかわからないと聞き、卒園の喜びに浸ることはできませんでした。 反面、元気にこの日を迎え、周囲の方々から祝福され、皆で喜び合えることのありがたみを改めて感じました。 紗衣は年中の春から転入しました。 当初は涙をこらえて登園し、帰宅するとめそめそ泣きながら、前の幼稚園の思い出話ばかりするので、私も切なくなってしまう日々でした。 それでも、優しい先生とお友達のお陰で、年長の終わり頃には、 「あ〜、小さい組から千里敬愛幼稚園に行ってたら、3回発表会できたのになぁ」と言うほど、すっかり幼稚園生活を楽しんでいました。 この言葉を聞いたとき、私は心からほっとし、「ああ、千里敬愛幼稚園で良かったなぁ」と思いました。 何度か引っ越しを経験すると、その都度、人の縁、出会いと別れについて考えさせられます。 卒園式後、紗衣が何度も、 「福田先生にはもう会えないの?」と聞いてきました。 私は、「そんなことはないよ」と答えたものの、「よく考えてみると、会えないのかも…」と実感し、不思議な気持ちになりました。 毎日会っていた先生や友達との別れ、それは勿論寂しいけれど、一緒に過ごした日々や思い出は、一生自分の一部であり続けるものだと思います 。 千里敬愛幼稚園で過ごした2年間は、紗衣にも、私にとっても、長い人生の中では、ほんの一時でしょうが、楽しい思い出がギュッと詰まったかけがえのない2年間です。 それも、担任の福田先生、柿原先生はじめ、教職員の皆様、ぺんぎん組、ぱんだ組のお友達、バス停のみんな…出会えた人達のお陰です。本当にありがとうございました。 紗衣ちゃん、卒園、おめでとう。 いつも聞いてくるけど、お母さん、こんな子どもがいて良かったよ! ■泣き虫親子の成長 転勤族だから、早く大阪のお友達を作れる環境を整えてあげよう。 主人のこの言葉で、年少からの入園を決意しました。 入園説明会の日、大泣きして脱走して、一日入園の日も泣いて、入園式の日も泣いて、初めてのバス登園も、次の日も、その次の日も…。幼稚園に行くのが嫌で嫌で、とにかく毎日泣いている息子でして、ほぼ毎日、井上先生からお電話をいただいていました。 そして、母親の私自身も息子と離れることが寂しくて、お金を払って、わざわざ寂しい思いをしているような気がするときすらありました。 エプロンママやSOS等で園に顔を出す機会が多い中で、千里敬愛幼稚園の先生方に息子を託すことの意義に気付いてきました。 年少→年中→年長と通ううちに息子も逞しくなり、年長で、やっとですが、幼稚園が楽しいと言い、幼稚園に行きたくないと言わなくなりました。 走ることが大好きな息子。年長のリレー大会の直前に、ノロウイルスによってダウンして、点滴を打つ始末。リレー大会の前日の餅つき大会から登園しましたが、リレー大会の当日も、まだまだフラフラで、気力だけで登園しました。 1レース目。第一走者である息子は、スタート直後に接触し、バトンを落としました。それでも最後まで走り切り、第二走者のお友達にバトンを渡してから、大泣きしました。 レース終了後、いつ母親の所に来るのかと見ていましたが、息子は、かもめ組のお友達にがっちりガードされ、お友達が息子の涙を拭いてくれていました。 しばらくしてから、かもめ組のクラスの後方へ行き、ある女の子に、 「雄太君、大丈夫かなぁ」と聞くと、 「大丈夫だよ。バトンを落としちゃったら悔しいけど、その後、もっと頑張れるんだよ」と、そんな言葉をくれました。 その子はその後、息子の所へ行き、何やら話をしてくれていました。 しばらくすると、息子の顔には笑顔が戻っていました。 2レース目も、息子は第一走者としてスタートラインに立っていました。 そして、チームのお友達と見事に1等を取りました。かもめ組も優勝することができました。 私にとっては優勝したことよりも、周りで息子を支えてくれたお友達や、息子の強さを信じて下さった松浦先生の気持ちが嬉しかったです。 毎日、あまりお友達とは遊んでいなかった息子ですが、お友達の輪の中にしっかりと入っていたことを見せてもらいました。毎日、泣いてばかりだった息子の成長を確認することができました。 とにかく行事が盛りだくさんの千里敬愛幼稚園。どれも楽しめるものでした。それは園児に無理に強いることなく、心から楽しんでいたから、見ている側も満足できたのだと思います。そして、、陰で、かなりのお骨折りをいただいた先生方のお陰ですね。ありがとうございました。 原稿用紙数枚に書ききれないほどの出来事や想いが溢れています。そして感謝の気持ちも。 それらは息子の中にも溢れていて、卒園式の後も幼稚園の話が出てきます。 それでも、息子は確実に前を見て、小学校への想いも口にしています。幼稚園と比べると、親の目が届かない状況になる小学校ですが、千里敬愛幼稚園の先生方がして下さったように、私も雄太の強さを信じて、小学校へ送り出そうと思っています。 3年間、先生方、お友達、そしてお母さん方のお陰で楽しく過ごすことができました。 何より、親子で強くなれた気がします。 3年間、本当にありがとうございました。 雄太へ 卒園、おめでとう。最後に、立派に敬愛っ子になれたね。これからも、強くて優しいゆうちゃんでいてね。 ■たくさんの感謝を次の誰かに 娘の幼稚園での一番の思い出は、入園後すぐに見ることができた園のホームページ「園児達の今日」に載っていたお友達と遊んでいる我が子の笑顔です。園長先生のコメントに、「見て下さい!この笑顔!」とあるくらいのとびきりの笑顔でした。 当時、私から、なかなか離れて遊ぼうとしない娘に、三年保育は少し不安がありましたが、この笑顔を見て、園での楽しそうな様子が伝わり、すごく嬉しくて安心したことが、とても印象に残っています。 それから、短い三年の間に、数え切れないくらいたくさんの笑顔を見ることができました。 娘は、年子で双子の姉ということもあり、入園までは毎日が生活することに追われていて、正直じっくり構ってあげることができませんでした。幼稚園では、娘が自分のためだけに、ゆっくり、じっくり、楽しく過ごせられたらなと入園を決めたのです。 まだ小さかった三人を連れて、たまたま事務所におられた園長先生に、真っ白な願書を提出したときは本当に焦りました。けれども、大失態の私に園長先生はとても和やかに対応して下さいました。あのときは、恥ずかしさと嬉しさで、少し涙してしまいましたが、同時に、この園長先生のいらっしゃる園なら私でも大丈夫!と変に自信がついた気もします。 そんな私をよそに、娘は園での新しい生活に早々に慣れ、私が少し寂しくなるくらい、めろん組を満喫していました。初めて先生から電話で、「あおいちゃんがママを思い出したら寂しくて鼻血が出たそうです」と連絡がきたとき、「ちょっとは私のこと、思い出すんだなぁ」と妙な安心をするくらい順調でした。 そして、年中さんです。私にも、娘にも大変な一年でした。双子の弟達の入園です。 双子の弟達は、5月生まれの娘の入園とは全く状況の違う1月生まれの入園で、それはもう泣き叫んで、必死に通園バスに乗るまいと抵抗していました。 私には、子ども達が絶対に園を大好きになる確信があったので、笑って送り出せていたのですが、早くからお姉ちゃんになってしまっていた娘にはとても心配でたまらなかったのでしょう。バスを待つガレージで、弟達が娘の両脇にピッチリと寄り添っている姿をホームページの写真で見たとき、とても誇らしかったけれど、切なくもありました。子どものつぶやきに投稿した、「あおちゃんだって、いつも一生懸命なんだから」の一言に未だに胸が苦しくなります。 そんな頑張り過ぎる娘も、弟達が落ち着いた秋頃に、ようやくぱんだ組に腰を下ろせたような気がします。 そして、先生の魔法の言葉で、「特別なお部屋」になったつばめ組。最初から最後まで本当に楽しんでいました。 保護者の私達から見てもマイペースでばらばらだったみんなが、ひとつひとつの行事を終えていく中で、じっくりひとつにまとまっていく姿を見ることができた私達は本当に幸せです。子ども達の成長が、みんなの素敵な表情ひとつひとつから見ることができました。園での日常に、たくさん触れることのできる千里敬愛ならではの魅力です。 振り返れば、たくさんの方達に支えられ、卒園することができました。 これまでの参観や、SOSの活動で得た、私の大事なお友達との園生活は第二の青春時代そのものです。園の中で、たくさんの方に出会い、よく「年子で双子なんてすごい!」と声をかけていただきましたが、私一人では絶対になし得ないことです。忙しい毎日の中で、子ども達にもっと優しくしてあげれば良かったと反省したことも幾度となくありました。 育児だけではなく、迷い、落ち込んだとき、同じ気持ちを共有して下さった、たくさんのお母様方、いつも温かく迎えていただいた先生方、そして忙しいスケジュールの中、調整をして園の行事に参加してくれた主人、おじいちゃん、おばあちゃんー私の家族達。みんなで娘と私自身の成長を見守っていただけたからです。 本当にありがとうございました。心より感謝致します。私のこの感謝の気持ちを、私にできる何かで他の方達にも伝えていけたらと願っています。 あおちゃんへ あおちゃん、卒園、おめでとう! いつも頑張り屋さんなあおちゃんに、ママはたくさん助けてもらったよ。本当にありがとう。あおちゃんは小さい頃、たくさんお姉ちゃんしてくれたんだから、これからもいっぱいママに甘えてね。 卒園のとき、ママの子どもで良かったって書いてくれたお手紙は、ママの大事な宝物だよ。これからもそんな風に思ってもらえるママになりたいな。 あおちゃん、楽しい幼稚園生活をありがとう。いっぱいいっぱいありがとう。 ママより ■年長の始業式で、「最後だね…」 慶伍、卒園おめでとう。 ついにこの日を迎えてしまいましたね。 年長の始業日、胸の名札を手で隠しながらバスから降りてきて、ママにあひる組の名札を見せてくれた後、「あひるで最後だね。その後は1年生だね。幼稚園終わりだね。イヤだな…」と、目に涙を浮かべて話すあなたに、ママも涙がこぼれそうになりました。 「ママも幼稚園楽しむから、慶伍もたくさん楽しもうね」と言って、家まで抱っこで帰ったことを今でもハッキリと覚えています。 ひとつひとつの行事を終えるたびに、「これで最後」と言うあなたを見て、千里敬愛幼稚園と出会えて本当に幸せだと思って過ごしてきました。千里敬愛幼稚園での3年間の思い出を大切に、これからも優しくて思いやりのある子でいて欲しいと思っています。 我が家は、慶伍の3学年上の兄佑季が年中の途中、主人の転勤で札幌から大阪へ来ました。それから約5年間、幼稚園を通して沢山の方々と出会い、私にとって大阪=敬愛です。 佑季はぞう組で西角先生、かなりや組で藤川先生にご指導頂き、その後入れ違いで慶伍が入園しました。慶伍は枡田望先生と山崎先生のいちご組で、望先生が大好きで順調に登園していましたが、1か月ほど経つと「もう(行かなくて)いい」と朝の登園準備を嫌がる時期がありました。幼稚園は何をするところかわかったから、もう行かなくていいと言うのです。 毎朝「慶伍が休んだら望先生が泣いちゃうよ!望先生が、慶伍君来てくれるかな〜って待っているよ!」とバス乗り場まで引っ張って行ったこともありました。 そのうち、いちご組で過ごす時間が楽しくなり、その後は幼稚園に行かないと言うことはありませんでした。 大好きないちご組が終わり、春休み中ずっと「望先生じゃなきゃ絶対イヤだ」と言っていたので、お迎えまでハラハラしていた年中の始業日、バスから降りてきた慶伍の満面の笑顔を見て、望先生のクラスになったことは一目瞭然。本当に1年間楽しみました。 仲良しのお友達に囲まれて、リレー大会でクラス優勝したことも良い思い出です。 そして畑真理先生のあひる組。思いやりのある優しいクラスをありがとうございました。すぐに気の合うお友達ができて、お友達や畑先生との出来事を毎日報告してくれました。 虫取りに熱中していて、干からびたヤモリ(?)をポケットに入れてきたことも、今となっては良い思い出です。夏までに男の子がどんどん転出して寂しい思いもしましたが、盛り沢山の行事を満喫していました。 なかでも、運動会のリレー1位は、遅い夏休みをもらって応援に来ていた主人と一緒に、大興奮しました。 また、発表会では泣かされました。発表会前には、完成したらすぐに卒園だからイヤだと、完成を喜べない慶伍に、私も同感でした。走れメロスでの子ども達の姿、忘れません!! 卒園間近の縄跳び大会では、直前のクラスの成績が思わしくなく、本番では多くの子が後ろ跳びに挑戦することになりましたね。ハラハラしていましたが、本番で初めて60秒を跳べて、100秒に挑戦できて、とても嬉しかったです。 慶伍のおかげで私も沢山のママ達と知り合えて、エプロンママだけではなく、年長では農園体験や運動能力測定のSОS、学園祭りスタッフなど、楽しい時間を過ごしました。仲良くして頂いた皆さん、本当にありがとうございます。 敬愛祭りに佑季も連れて行くと、西角先生や寺田先生が「ゆうきくん!」と笑顔で声をかけてくださり、先生達の温かさに嬉しかったです。 そして、ひまわりバスの河野さん(ひまわりおっちゃん)、5年間ありがとうございました。佑季のときにはバスで寝てしまい、抱きかかえて降ろして頂いたことが何度もありました。本当にお世話になりました。 最後になりましたが、園長先生を始め、沢山 の先生方に、お礼申し上げます。本当にありがとうございました。 ■姉の一言で決めた園で 凛太郎、卒園おめでとう。 この幼稚園で、ずいぶん成長しましたね。 思えば年少の7月、大阪に引っ越してきて、この園を、当時年長になるお姉ちゃんと一緒に見学に来たとき、お姉ちゃんの「ここにする!」の一言で決められた園。 まだ年少だし、いつもにこにこしているから、凛太郎は心配ないと、ほったらかしでお姉ちゃんと一緒に行かせました。 親の心配とは逆に、あなたは環境の変化に戸惑い、泣いてばかりの登園でした。うちは転勤族だから、環境の変化になんとか強くなって欲しいと、毎日願い、園に送り出していました。 いつもニコニコ笑顔の裏には、人に気を遣い、自分の意見もあまり言えない性格だったんだと言うことを親である私は初めて知り、我が子にごめんなさいと謝りました。反面、男の子だし、この逆境を自分で切り開いていく力を養ってほしいと願っていました。 年中・年長を経て卒園する頃には、お友達もたくさん出来ました。友達の中で、しっかり自分の意見を言えるようになり、ときにはリーダーシップを取る姿に驚き、ここまで成長できた!とうれしく思いました。千里敬愛幼稚園だからこそ、自分を開花できたと思います。 家では幼稚園の話はほとんどしない我が子に、どうして、と思いましたが、覚えきれないほど、沢山の経験をして楽しいことが沢山あったんだなと、子どもの成長を通じてそう思いました 。 千里敬愛幼稚園の先生方、本当にいつも必死に子ども達に全身全霊かたむけて見てくださりありがとうございました。子どもらしい、表情豊かな子に成長してくれて良かったと心より思っております。 凛太郎へ 「いつもニコニコりんたろう」 お母さんは、ぼくの笑顔が大好きです。悲しいとき、怒ったとき、何も言わずにお母さんのそばに来てニコッと笑ってくれましたね。お母さんの心の支えになってくれてありがとう。これからも、逞しく、そして優しい人の気持ちのわかる子になってください。 ■かけがえのない日々をありがとう わが子3人がお世話になった幼稚園。ついに三男も卒園です。 先日、三人の息子と幼稚園までの道を歩きました。 ほんの少し前は、誰かしらダダをこね、子どもの様子ばかり伺いながら歩いた道のり。今回は、周りの景色が目に留まりました。 なぜだろう。 この距離ならば、子ども達は私の助けなしにも歩けるようになったのだろう。子ども達の世界を持ち始め、自分で進み始めたのだろう。だから、視界にいた子ども達の代わりに見える景色が増えたのだろう。 道端のすいせんがピンと咲いている 。 新しいマンションが建っている。 少し前は、早く歩きなさい、と急かしていたけど、今は、三人と歩調を合わせて歩きたい、と願った。 子どもと、1から10まで同じ世界にいられたのは、幼稚園時代だったのかもしれない。 思い返すあの日の中には、いつも子どもが一緒に笑っている。 千里敬愛幼稚園で過ごした日々は、子どもにとってはもちろん、私にとっても、かけがいのない日々でした。本当に大切なかけがいのない日々。 何年たっても、この道のりを3人と歩けたらいいのにな。 ■トンネルから抜け出ると はるくん、卒園おめでとう。 3年前の春、3歳になってすぐに入園式を迎え、当日は大泣き、翌朝は制服を見ただけで逃げ回ったね。入園前にほとんど母と離れたことがなく、バス停では初めての試練に毎朝、涙・涙でした。 ばなな組で、たくさんの先生方から愛情深く接していただくうち、春翔にとって幼稚園は「安心できる楽しい場所」へとゆっくり変わっていきました。 くま組ではお友達と遊ぶ楽しさに目覚めました。塗たくりのワンシーンは今もはっきり思い出されます。 うぐいす組ではリレーが大好きだったね。応援するのもとても楽しかったです! かみなり先生に教えてもらった逆上がりは、それからたくさん練習していたと先生から聞きました。 「苦手なことでも諦めないで頑張ったらできる!」 すぐに諦めて「もうやらない」て言うことが多かったのに…3年後の春には、いつの間にか成長した春翔がいました。 いつまでも小さいままと思っていたのは母だけでした。 越智先生に教わったことを忘れないで、これからもいろいろなことに挑戦してね。 成長したなあとしみじみ思ったり、まだまだ幼いなあと思ったり…3年間はあっという間でした。 私自身も特に年長の1年間は、数多くの参観に加えエプロンママ・図書委員・SOS・学園祭りスタッフとたくさん幼稚園に足を運んで、子ども達の様子を間近に見られて、とても充実していたと思います。 夕夏と春翔のおかげで素敵なお母さん達とお友達になることもできました。 2人の長引くバス停での涙にしんどいなぁと思った日々は、トンネルの中にいるような気がしたけれど、抜け出せてみたら前より逞しくなった子ども達がそこにいました。 十分支えられないことも多々あったのに、「お母さん大好き」と言ってくれてありがとう。 夕夏のときから5年間で先生方には本当に良くしていただき、心から感謝しています。先生方、仲良くしてくれたお友達、お母様方、本当にありがとうございました。 ■自分の喜びより友達の悲しみに 伊織、卒園、おめでとう。 あなたがこの千里敬愛幼稚園の門をくぐったのは1歳の赤ちゃんのときでした。姉が年長でお世話になっていたとき、いつも抱っこされた姿でこの幼稚園へ来ていました。そして姉の卒園と同時に広島へ引っ越し、二年半後に年少になった伊織は大阪へ戻って来ました。 夏休みのある日、幼稚園を覗いてみると、偶然寺田先生が来られていました。先生は姉のことを覚えていて下さいました。あんなに園児が多いのに、途中入園の上、一年しか通園しなかった娘を覚えていて下さったことに感動し、再びこの園に息子をお願いしようと思いました。 入園すると姉がお世話になっていた北岡先生のクラスに伊織を入れて下さり、転園一日目から私はとても安心したのを覚えています。ありがとうございました。 年中の思い出は「塗りたくり」です。 自分が汚れることが嫌いな彼が、仲良しの友達のスモックに偶然絵の具をつけてしまいました。 「しまった」という顔が遠くで参観していた私にもはっきり分かりました。まだ自分の気持ちを上手く表現できない彼は、そのまま言葉を飲み込んだようでした。春君、ごめんね。 年長は「縄跳び」です。 上手なお友達に負けたことが悔しくて、毎日のように練習していましたね。前跳び400回まで記録が伸び、喜んでいた頃、伊織は足首を捻挫し、2週間ギブス生活が続きました。すっかり細くなった足では縄跳びは跳べなくなっていました。 それでもあなたは、またはじめからやり直しましたね。 「縄跳び大会」では、後ろ跳びで20秒と60秒をクリアし、特別ルール100秒をなんとか跳ぶことができました。 すごく嬉しかったはずです。 それなのに、あなたは泣いていた友達の肩に手を乗せて、黙って側にいた姿はあなたの成長を感じました。 もう幼稚園を卒園出来るくらい成長したんだ。嬉しいような寂しいような不思議な気持ちでいっぱいです。 春から伊織は小学校へ入学し、私は少し離れて彼の更なる成長を楽しむことにします。 それと同時に三番目の子ども、絆里が年少として入園します。先日の一日入園では伊織の担任福田先生のクラスでした。ためらうことなく絆里は教室へ入って行きました。 3番目にして初の入園式を楽しみにしています。そして私の千里敬愛生活は続きます。 ■キーホルダーのない青色カバン 卒園を来週に控え、下の妹が体調を崩し入院になってしまいました。琳晴と離ればなれの夜、下の子の寝息を横に思いがけずできた1人の時間。入園から今日までをゆっくりと思いおこす時間となりました。 幼稚園最後のお弁当も作ってあげられなかったな… 。 そういえば3年前のちょうど3月15日、転勤で引っ越してきました。 幼なじみのお友達と一緒に幼稚園に通うのを毎日楽しみにしていた頃の突然の辞令…悲しみでいっぱいでした。 大阪に着いた日から琳晴は心労からなのか、1週間原因不明の熱が続き、急がなくてはいけなかった幼稚園探しは主人の役目となりました。 心配性の私とは違い、「琳晴はどこでもきっと大丈夫」とちょっとのんきな主人は幼稚園についてはあまり興味がなかったのですが、「なんかこの園、いい気がする。直感」と家でドキドキしながら待っている私には少し不安になる、よく分からない自信、体調もよくなったころ本人も見学に行かせていただいたとき、琳晴がルルちゃんを大好きになったことなどから(思えば、引っ越ししてきてから初めて息子に向かって挨拶しに来てくれたお友達だったのでしょう)、そうして千里敬愛幼稚園にたどり着きました。 入園してすぐの琳晴は、両親と初めて離れる生活、お友達も誰1人知らない心細さ、ここがどこなのかもよくわかっていない戸惑い、幼なじみのお友達への会いたさで、バスに乗るときも、たぶん園でも、それから夜寝るとき、夜中も琳晴は泣いていました。夜中は家族3人で抱き合って泣きました。 お友達大好き!遊ぶの大好き! あんなに元気な琳晴だったのに、親の都合で、私達が笑顔を奪ってしまった…。 そんな日々の中、私達家族を救ってくださったのは温かいバス停のママさん方の励ましと、担任の枡田先生、山崎先生方でした。枡田先生の息子の様子のお電話には力をいただきました。 毎日泣いてご迷惑をおかけしているはずなのに、親の心まで気遣ってくださる細やかなお心配りに感謝の毎日で、心底「この幼稚園にめぐり会えてよかった」と、「琳晴と先生を信じて見守ろう」と思えたのでした。 入園当初は、通園カバンにその頃大好きだったトイストーリーのキャラクターのキーホルダーなどをたくさんつけて欲しいとせがまれました。今思えば、唯一の友達だったのかな。 それこそ御守り!? そんな琳晴に、枡田先生は登園するとトイストーリーのシールを貼ってくださいましたね。「またまってるね」の言葉が書かれた手作りのカードに。 その青色カバンのキーホルダーも日が経つに連れ、ひとつ減り、ふたつ減り…。 先生方やお友達にパワーをいっぱいもらい、息子はみるみるうちに笑顔を取り戻していきました。そればかりか、私たち親の知らなかった息子の姿もたくさんたくさん知ることができ、安心させていただく毎日となりました。 親と離れた場所、園での息子を知る機会をたくさんくださった千里敬愛幼稚園。 楽しんでいる姿、頑張っている息子を知ることができました。 その姿を思い出せば、この先いろいろな子育ての壁にぶつかっても、息子を信じて見守れることが出来そうな気がしています。 その反面、親ではできなかったであろうたくさんのことを伸ばしていただいた千里敬愛幼稚園の卒園を目前に、「この先、琳晴のいいところを私たちで伸ばしてやれるだろうか」「また琳晴の笑顔を奪ってしまわないかな…」と不安を抱いているのも事実なのですが…。 千里敬愛幼稚園に通わせてもらい、私も主人も「親」にさせていただいた気がします。親になった幸せをよりたくさん教えてもらうような場所です。 年少年中と担任してくださった枡田先生。 仲間で力を合わせることの嬉しさ。 恥ずかしがり屋の息子に、どんな形でも自分を表現する喜びを教えていただいた気がしています。 いちご組の発表会、「一寸法師」。初めて見る千里敬愛幼稚園の発表会に本当の子ども達の可愛らしさと逞しさ、予想をはるかに越えた集中力に驚きました。 年中での「親指姫」では、演じること以外にも発表会のことを、真剣に考えている琳晴の姿も見られました。決して人より前に出て自分を表現するタイプではないけれど、「作品の流れ」をみんなが忘れないようにと画用紙に書いて園に持っていったり、自分なりにできることを考えて取り組んでいる姿を見てまた琳晴のことを1つ知ることができ、成長にうれしさを感じました。 枡田先生の笑顔と子ども達の笑顔はいつも一緒でした。 年長で担任してくださった松浦先生。 年長での息子は、お水が好きになりプールを習い始めたり、絵を描くことが大好きになり、いつも家で描くようになったり、どんなことにしろ自信を持って取りむようになった気がします。 リレーでは、自分からアンカーをやりたい!と立候補する姿もあったとカノンで先生に教えていただき、驚きました。信じられない!先生が子どもたち1人1人を信じて楽しく導いてくださっているからだと思っています。 負けることの悔しさ、勝利の喜び。真剣になること。逞しさ。たくさんたくさん、教えていただきました。 発表会「オペラ座の怪人」では、なんとあの恥ずかしがり屋の息子が人前で少しでも演じていました。申し訳ないけど私が照れてしまいました(笑)。クラスのみんなと心底楽しんでいる姿に嬉しさがこみあげてきました。 それから、日々息子と関わってくださった多くの先生方、バスの運転手の方、SOSなどの素敵な敬愛ママ方…。そして失礼ながら最後になりましたが園長先生。日々の子どもたちの写真、先生のこぼれ話は毎日の育児の道しるべです。今、そしてこれからの育児に本当に大切なことをそれとなく教えていただいている気がします。親も保育していただきました。 みなさん、ありがとうございました。 この幼稚園生活で親子とも大切なお友達もでき、私自身も本当に楽しませていただいています。 この4月からは下の子が、ポッケ組でお世話になる予定です。いつ転勤の話があるかわからない身ですが、下の子も4年間敬愛幼稚園に通えることができればいいなと切に願うばかりです。 もうすぐ卒園を迎える青色カバンにキーホルダーはもう1つもついていません。毎日が楽しくて、キーホルダーなんてどうでもよくなったのでしょうか。 何もついていないくたくたの青色カバン…。 ランドセルにバトンタッチです! 琳晴へ これを自分で読むころ、琳晴は何歳になっているんだろう。この3年間、いろいろなことがあったよね。楽しいことはたっくさんあったね。お引っ越ししたり、妹ができたり、出逢いや別れもありました。 いろんな人の力を借りて、琳晴は大きくなったんだよ。そして琳晴は自分の力で乗り越えたんだよ。「りんせいはできる!」これからもいろんなことがあるだろうけど、どんなときもそれを合言葉にしてがんばっていこうね! 頼りないママだけど、ママはずっとずっと琳晴の応援団のリーダーだよ! 卒園おめでとう! 小学校も琳晴らしく頑張ろう! ■制服 卒園式は暖かな日でした。東北地方でのあの未曾有の災害に心は塞ぐ思いでしたが、それだからこそ私達は無事に卒園の日を迎えられたことを本当に本当に幸せに感じ、家路につきました。 いつものように着替えを出し「穂高、着替えてね」と声をかけました。普段ならすぐに着替えておやつをねだるのに、いつまでも制服を脱ごうとはしません。そのままの格好でテレビをみたり、遊び始めたりしました。 小一時間がすぎたでしょうか、「仕方ない、もう着替えるわ」と、おもむろに制服を脱ぎ始めました。 そしていつもは脱ぎっぱなしのその制服をきちんと畳み、「はい」と私に手渡しました。 それは彼なりの卒園の儀式だったのでしょうか? 思い返せば3年前、次男坊であることの安心感も手伝い、彼の入園に何の不安も抱いていなかった私に、入園式のその当日にいきなり彼は泣き叫んでこう言いました。 「この服、着たくない!」 そう制服を着たくないと言うのです。どんなになだめても、同じマンションのお友達の制服姿を見せても全くだめ。何とか上着だけは羽織らせて、下はGパンのまま入園式へ。 担任の先生に事情を話すと「何の問題もありませんよ。どうぞそのままで」と教室の中へ入れていだきました。その日以来半月ほど、上は制服下はGパンという妙な格好での通園生活は続きました。 今、思うと緊張やら不安やらをいつもと同じ格好でいることで少しでもやわらげていたのかもしれません。 さらに始まった給食は全く食べず、好物ばかり入っているお弁当も全残し。何とか食べてくれるようにと初めて挑戦したキャラ弁のケチャップご飯と白いご飯で作ったモンスターボールのおにぎりも、先生に「見て!」とにっこり見せるだけでお弁当箱のふたを閉める始末。本来ならどうしようかと毎日母が思い悩むところでしょうが、それは上の子で体験済みの「敬愛マジック」がなんとかしてくれるものと余裕の私でした。 そしてやはり一学期の終わり頃にはすっかり元気に通園するようになったのです。 年少、年中とあっという間に時は過ぎ、ずっとずっと幼稚園児のままでいてと願う母の気持ちとはお構いなく、ついに卒園の年を迎えました。 この一年間の行事で私は一体何回泣いたことでしょう。何もかも「最後の」という冠がつくのですから。そしてその気持ちをより掻き立てるように、穂高は何にでも一生懸命な姿を見せてくれたのです。 逆上がりができるようにと毎日鉄棒に向かう彼がいました。 シャンプーのときでさえ息をとめているのに、勇気を出してプールに飛び込もうとする彼がいました。 一心不乱にのこぎりを握り、大きな板を切り続ける(造形遊び)彼がいました。 リレーで懸命に走り一位を取れずに涙する彼がいました。 それと同時に一度も一位を取ったことのないチームが今度は勝てるといいなあと願う彼がいました。 発表会で様々な表情を自由に演技する彼がいました。 帰りのバスを待つ間、縄跳び大会までは毎日縄跳びの練習をし続ける彼がいました。 そしてそんな彼のかたわらには常に一緒に頑張るたくさんのお友達の姿がありました。頑張る心は純粋な心の強さだと思います。どんなことがあっても諦めず、出来るということを信じて頑張り続けられる。幼稚園で培ったそんな心の強さは、今後の彼の人生の中できっと生かされることと私は願っています。 思えば兄の入園から二年間のブランクを経て弟の卒園まで、幼稚園ですごす時間は私の中でとても大切な時間でした。全ての子ども達の明るい笑顔と歓声、その中でも負けないパワーと優しさで包んでくださる先生方、お兄ちゃんのことまでもちゃんと覚えてくださっていた事務所の先生と恵先生、優しいバスの運転手さん、そして園長先生。 一歩幼稚園に足を踏み入れた途端に幸せな気持ちになれました。卒園式では涙であまり聞き取れなかった歌の歌詞を思い返しています。 「どんなみらいがくるか、むねがどきどきするよ。つかまえてみたい、せかいいちのしあわせ。」 これからも穂高と一緒に未来を歩いていきたいと思っています。ありがとうございました。 ■「頑張れ」以上に大切なこと 朝陽へ 卒園おめでとう。 初めて千里敬愛幼稚園を訪れたのは、生後4ヶ月のときでしたね。 ベビーカーで参観やエプロンママに通っていた朝陽が、いよいよ入園!制服が大きくて可愛かったね。 すんなり園に馴染むと安心していたら…「お母さんと一緒にいたい」と泣いて嫌がりましたね。 「バスを見るだけ」と連れだし、バスに押し込んだ時の、「嘘つきー!」と泣き叫ぶ顔、今でも覚えています。 しか組になっても「今日は幼稚園?」と嫌そうに聞き、園で会うと「一緒に帰る!」 としがみつく・・・まだ甘えていたかったのかな? でも、お友達と遊べる様になり、あっさりバス変更で行ってしまったときには、逞しさ さえ感じられたよ。 しか組で忘れられないのは「水戸黄門」。 男の子の中に、平気で一人だけ混じっているのに驚かされ、悪大名役で、悪そう〜に小判を数える表情には、母は大笑いしました。心から発表会を楽しんでいたよね!? ぺんぎん組になると、一度も「行きたくない」と言わず、体調を崩しても「行く!」 随分と成長しましたね。 リレーでは、「もっと頑張れば1位になれたのに」と泣いたね。勝負に執着しない朝陽が、悔しいと泣くほどの気持ちをもてた事が、母には眩しく思えました。お友達と遊び、喧嘩し、行事を経験し、得た沢山の思いが、宝物だと思います。 成長も、変わらずにいる甘えん坊の笑顔も、朝陽の3年間すべてが花まるですよ! 小学生になっても、ゆっくりでいいから、宝物を増やしていってください。 最後に、先生方にお礼を申し上げます(たぶん卒園式では涙涙で伝えられないので) 。 松浦先生、西角先生、畑先生。赤ちゃんの頃から「あーちゃん」と声をかけて下さいましたね。覚えてくださってるとこが、母子共にとっても嬉しかったです。 枡田先生。パジャマや私服で登園する朝陽を叱らず、いちご印の可愛いシール帳を作って下さいましたね。「今日もシール貼る」と娘は少しずつ、笑って登園できるようになりました。無理矢理でなく、楽しく登園できるように、とのお気持ちがありがたかったです。娘は3年間「のぞみ先生、好き」と言い続けました。 福田先生、人見知りな娘なので、二年連続で担任していただけて、心強かったです。 「園を楽しんでいるんだろうか?」の不安は、先生のカノンがいつも晴らしてくれました。 リレーで勝てないときは、一人一人にお守りを作って下さいましたね。子どもに「頑張れ」と 励ますだけじゃなく、大人も行動する。それが子どもの気持ちを動かす、ということを教えられました。 子ども達を見つめて下さる姿と、漫才師のような明るさ!「綾子姫、最高やん!!」 先生方、クラスやバス停のお友達とママ様方に、たくさん助けられて、小さな娘は少しずつ成長して来ました。 寂しい気持ちは残りますが、母子共に、千里敬愛幼稚園より卒園いたします。ありがとうございました。 ■幼稚園大好きだった娘も はるちゃん。卒園おめでとう。 はるちゃんは本当に幼稚園が大好きだったね。 熱が出て幼稚園を休ませようとしたら、泣きながら「幼稚園に行きたいの!」と言い、休ませるのに苦労しました。 幼稚園が大好きな娘も、入園前は不安でいっぱいでした。 一日体験入園では、幼稚園に近づくにつれ、さっきまでの笑顔が消え、強ばった顔になり、私の手を強く握り締めていました。 入園式の日、少しでも不安が和らぐようにとお気に入りのタオルを制服のポケットに入れ、「ママに会いたくなったら、このタオルをママと思って握ってね」と話すと、小さくうなずき、タオルを握りしめながら、幼稚園に行きました。 けれど、いつの間にかそのタオルのことも忘れ、「土曜日も幼稚園に行きたい」と話してくれるようになっていました。 早生まれで、体の小さい娘が、幼稚園でみんなと一緒にやっていけるかと心配していましたが、運動会で体全身でタイヤを引っ張る姿、リレー大会で優勝し、お友達と一緒になって飛び跳ねて喜ぶ姿、発表会で緊張しながらも一生懸命に歌う姿など、家で過ごす娘とはまた違う娘の様子をいっぱい見ることができました。 また、卒園式の日には名前を呼ばれた瞬間、はっきりと大きな声で、「はいっ!」と返事をしている娘を見て、入園時には私の手を強く握りしめていた娘が、この3年間で逞しく、大きく成長したことをあらためて感じました。 最後になりましたが、園長先生をはじめ、不安から大好きな幼稚園に変えて下さった井上先生、柳川先生、いつも笑顔で娘に元気をくれた福田先生、娘の良いところをたくさん教えて下さった松浦先生、優しく見守ってくれた先生方ありがとうございました。 ■卒園したよ、おかあさん! 入園直前に妻が他界し、四十九日も終えないうちに入園式を迎えた娘。 こんなに小さいうちに母親の温もりを失ってしまった娘を、入園当初はとても可哀そうで不憫に思い、先行き本当に不安でした。 しかし私の心配をよそに、娘は私より立ち直りがずっと早かった様子で、園の先生方の色々な御配慮や周りのお母様方に助けていただきながら、毎日の園生活を本当に明るく楽しく過ごさせていただいたようです。 歌が好きで、園で習った歌をよく家で聞かせてくれました。 ふたりの兄に鍛えられ、割としっかりしているように見える娘ですが、一方で私に心配をかけまいと我慢していると感じられることもありました。 夜は母親の添い寝代わりに両手にしまじろうのパペットをはめて必死に眠ろうとしていました(実は今もですが)。 園の行事は出席してやれないことがほとんどでしたが、「だいじょうぶ!」と言っていましたし、お母さんの作るような可愛いお弁当が食べたかったに違いないのに、いつも「おいしかった、ぜんぶ食べたよ!」と言ってくれました。 そんな娘も、私が休みの毎週木曜日には「今日はお迎えにしてな、自転車やで」と必ずリクエストし、私も娘との電車でひと駅の距離の自転車デートを楽しみました。 それができなくなるのは寂しい限りですが、立派に成長した娘を誇りに思うと同時に、ここまで育てていただいた先生方、いろんな形で助けていただいたお母様方に心から感謝申し上げます。 卒園式の日、私には妻が笑顔で娘に話しかけているのが見えました。 「大きくなったなあ〜、まーちゃん!」 ■3年間で学んだこと 3年前の1日入園の日、兄の発表会のDVDを観るのが大好きだった玲菜は自分も発表会ごっこが出来ると思い、「まだ何もしていないから帰らない」と泣きだしました。それが、ついこの間のように思えます。 それほど入園前から楽しみにしていた幼稚園ですから、一度も泣かずに元気に通いました。 何の心配もしていなかった年少の終わり頃、ふっと「玲菜、一度も先生に抱っこしてもらったことないんだよね…」と言いました。「抱っこしてって言ってごらん?きっとしてくれるよ」と言うと、「恥ずかしいし、先生は抱っこしなきゃいけない子沢山いるし…」と言います。 玲菜は3人兄弟の真ん中でしっかり者の恥ずかしがり屋、あまり泣いたり駄々をこねたりもしません。でも、いろいろ我慢していたんだと気づかされ、家で意識的に抱っこしてあげるようにしました。 それから何かある毎に「自分の気持ちはちゃんと伝えようね。我慢しなくて良いんだよ」と言っても、いつも答えは「玲菜は我慢できるから大丈夫」でした。 そんな玲菜が変わり始めたのは年長になってからでした。 私がエプロンママで幼稚園に行っているとき、何かあったようで、私にしがみついて泣きだしました。周りを気にせず、外でこんなふうに感情を表に出すのは珍しく意外でした。結局、一度泣きだしたらなかなか泣きやめず、帰ろうとする私に追いすがり、椎葉先生に抱っこされ優しくなだめてもらいました。椎葉先生にはご迷惑をおかけしましたが、私には玲菜が自分の感情をストレートに出すことが出来た、嬉しい出来事でした。 椎葉先生は恥ずかしがり屋で我慢ばかりしている玲菜をいつも温かく見守って下さりました。親である私が玲菜の態度にもどかしく焦っていたときも、椎葉先生の玲菜への心遣いや言葉かけに幾度となく救われました。いくら私が心配したり先回りしたからといって何も変わらないのです。玲菜自身が切り拓いていかなければ…それに気付かせていただきました。 そんな玲菜がリレーで大きく変わりました。 走ることが大好きな玲菜は、リレーで勝つためにどうしたらいいのか考え、同じくリレーに熱い思いをもつお友達と練習したり、意見を交わすようになり積極的になりました。時には、意見がぶつかり涙することもあったようですが、みんなで勝ちたいという強い思いが玲菜を変えてくれました。 かなりや組は本当に良いクラスでした。なかなか結果は出ませんでしたが、いつでも一人一人を認め合い、みんなのために一人一人が頑張っていました。何度も話し合いをもち、そんな中で優しさと強さが育まれました。かなりや組みんなの成長が走る姿から伝わり、私たち親もリレーの魅力に引き込まれました。 最後の発表会は「ライト兄弟」でした。 「ライト兄弟が大好きだから、頑張ってみようと思ったの」と笛を吹く役に立候補しました。目立つことが苦手な玲菜でしたが、大好きなかなりや組のみんなと作る「ライト兄弟」をより良くするために真剣でした。大きな音で吹くことが難しかったようですが、日々の発表会で褒められるなか自信を持ち、当日は勇ましく格好のいい姿を観ることが出来ました。 この先心配は尽きないと思いますが、もうもどかしく思うことはありません。自分の気持ちで変わっていく玲菜を見守り、応援していきます。 これから小学生になり、楽しいことだけでなく、壁にぶつかることもあるでしょう。 そんなときには、ライト兄弟の歌を口ずさんで欲しいです。 どんな時も、どんな時も、絶対あきらめない! どんな時も、どんな時も、強い気持ち、持ち続けよう! ライト兄弟を通しての椎葉先生からのメッセージは、かなりや組みんなの胸にずっと残っていくと思います。大事なことを教えていただきました。椎葉先生は本当にいつでも一生懸命で子ども達のために真剣に向き合って下さいました。玲菜も椎葉先生のお陰で大きな一歩を踏み出すことが出来ました。本当に感謝しています。ありがとうございます。 最後になりましたが、園長先生をはじめ、いつも温かく見守って下さった先生方、仲良くしてくれた沢山のお友達、そして、私を支えてくれた沢山のお母さん方に心から感謝致します。 子ども達だけでなく、参観やSOS等で何度となく足を運んだ私にも、千里敬愛幼稚園は温かい場所でした。多くの先生が我が家の3兄弟に温かく、いつも成長を見守っていて下さいます。4年前に卒園した長男もいまだに自分の頑張りを担任だった松浦先生に報告しに行きたいと言います。それは、長男にとっても4年前と変わらず温かい場所だから…。いつでもいつまでも、そんな場所がある子供たちは幸せ者です。千里敬愛幼稚園に出会えて本当によかったです。 これからも私は、4月から年中になる新汰のために通い続けます。転勤にならず、3番目の新汰も卒園出来ますように…。 ■そんなに嫌ならと思ったことも 諒、卒園おめでとう。 2年間ほとんど休まずに良くがんばりました。 年中からの幼稚園。 入園前から、「諒は幼稚園、行かない!ママと一緒にいる!」と言っていたので、覚悟はしていましたが、やっぱり泣いていました。 入園直後は仕方がないと思っていましたが、GW明けや夏休み明けも泣いていて、担任の先生に、「明日も幼稚園に来てね。待ってるよ」と、何度もお手紙をいただいてきました。 そんなに嫌なら行かなくても良いかな。とまで思いましたが、お迎えのときは、いつもとても楽しげにお友達と遊んでいました。 泣きながら、「お迎え早く来てね」と言うので2時頃行くと、とりあえず母の所へ来て、「お友達と遊んでくるからちょっと待っててね」と1時間程待たされましたね。 そんなに楽しい幼稚園なのに朝はどうして泣いちゃうんだろう? 年長の初登園日もクラス替えがあって不安げな顔をしていました。 年長はぺんぎん組になりたいと言っていたので、願いが叶ったはずなのに、嬉しさより不安の方が大きくて、泣きたいのを必死にこらえている諒の顔を見て母が泣きそうでした。 年長になったら、門の所まで送って、後は一人でお部屋まで行かせようと思っていたのに、母が一緒にいたくて、今日まで…、明日は門まで…と、思いつつクラスの前まで送ってしまった一年間でした。 いつもは自転車で送っていましたが、一月から三月は家から歩いて登園しました。母と二人で手を繋いだり、走ったり、競争したり…。 身体も心も温まり、門にいる先生に大きな声で挨拶できました。 とても大事な、とても幸せな時間でした。こんなふうに、手を繋いで歩くことが出来るのは、幼稚園の送り迎えがあったからで、これから後どれくらい出来るんだろうと思うと、いつまでも園児のままでいてほしいとまで思ってしまいます。 あまりお絵描きをする子ではなかったので、絵は嫌いなんだと思っていたのですが、年長になって、たくさん絵を描き始めました。家に帰ると、園であった出来事や想像したことを描いて説明してくれて、とても分かりやすく、才能(?)を引き出してくれた園に感謝です。 園長先生が言われる、「幼稚園児のお母さんは、子育ての青春時代」は本当ですね。色々なお手伝いをしたおかげで、たくさんのお母さんとお話ができ、母も楽しめた一年でした。 本当に行事が多い幼稚園で、送り迎えもあって、一日に三往復した日も一度や二度ではありませんでしたから、それがなくなるのがとても、淋しいです。 お迎えに行った母の姿を見つけると、満面の笑顔で飛び付いて来たその顔が、と〜っても可愛くて大好きでした。 毎日のように「ママ、大好き!」と言ってくれる諒。 お父さんもお母さんもそんなやさしい諒が大好きだよ。 今年は、大変な災害があり、卒園式が出来ないお友達もたくさんいて、自分達だけ良いのかとも思いましたが、卒園式をしていただき、園長先生はじめ先生方に本当に感謝いたします。 諒は年中、年長と担任の先生にも恵まれ、とても楽しい幼稚園生活だったと思います。 二年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。 ■涙は敬愛新記録? あっという間の三年間、振り返ると全て思い出。 泣きつづけた入園式。次の日からも、泣いて叫んでバスに乗って行きました。 家に帰って一人で寂しくて、星詩は今頃どうしてるかな?っと泣いていたのを思い出します。 すぐに慣れてくれると思っていたけど、毎朝泣いてバスに乗る日が続いたり、私が行くと必ず泣いていました。 それが年長のお茶会までつづきました。そこまで泣ける星詩は、千里敬愛最高記録じゃないかな? 園庭である行事は、見つからないように隠れてこっそり見たこともありました。 千里敬愛大好きな私は、SOSによく行かせてもらいました。でも、SOSに行ってるはずが、星詩は泣くし、離れないし、逆に迷惑をかけてしまうことが多く、めぐみ先生に「SOSに行くのを止めたほうがいいですか?」と尋ねると「どんどん来て下さい。星詩ちゃんはお母さんが大好きなんです。ありのままで」っと言って下さいました。 その言葉に、それまで悩んでいた私は、大きく励まされ安心して、その日から隠れずに星詩を見守ることが出来るようになりました。 年少のリレー大会、のぞみ先生に抱っこしてぇ!っと両手をあげて、泣きながら先生を追いかけ走る。 年中では、バトンをもらったと同時に泣き出し立ち止まり…そんな星詩を見た園長先生は、走る仕草をして下さったり、声をかけて下さったり、優しく見守って下さいました。なかなか動かず、くみ先生と手をつなぎ泣きながら走り、二週遅れの最後に…。他のクラスはゴールしてるのに、最後の二人は、一人で走ることに…。 それでも一生懸命走っていて、涙が止まらず、パンダ組のお母さん方に申し訳ない気持ちで一杯になり、謝ると、 「こんなに目立つことはないし、皆に応援してもらえて、逆にありがとうやわ」 「こんなに感動したリレーは初めてや」 「星詩ちゃん頑張ってたやん」など言って下さり、涙が止まらなかったです。 そして年長、本番前のミニミニでは泣いてしまうことが多く、私を見つけては泣いて走ってきて、「帰りたい」と先生を困らせました。耳もとで「いい加減にしなさい」と怒ってしまったこともありました。でも、ようこ先生が、話をして下さり、自分の番まで泣いていても、バトンがくるとしっかりと走りました。泣かずに走れたらいいと思っていたのが、凄く頑張って走っていて、さらには抜かすこともでき、楽しそうに走ってる姿を見て、今までと違う嬉しい涙が溢れ出ました。 リレー大会後、沢山のお母さん方が、「一生懸命走ってたなぁ」「泣いてなかったな」「星詩ちゃん頑張ったな」など言いに来て下さいました。 多くの人に支えられて園生活をおくらせて頂いていたことを改めて知ることが出来ました。 星詩はとても幸せだったと、感謝の気持ちでいっぱいでした。 最後になりましたが、園長先生をはじめ、沢山の愛情を注いで下さった先生方、温かく見守って下さったお母さん方、 仲良くして下さったお友達に、心より感謝致します。皆さんどうもありがとうございました。 星詩へ 卒園、おめでとう!本当によく泣いたけど、三年間一度も休まず幼稚園に行ったね。すごい! 卒園した次の日、「今日は幼稚園お休み?」と聞いてきた星詩・・・母ちゃんは涙がでた・・・ もっともっと幼稚園行きたかったね。母ちゃんも一緒… これからも元気いっぱいで、お友達に優しく、笑顔の可愛い星詩でいてね。 産まれてきてくれてありがとう。星詩、大好きだよ。 ■ママっ子卒業 2年前の幼稚園選びの際に、私がこだわったのは外でのびのび活発な活動ができることでした。今までの田舎の生活とは違い、マンション暮らしになるため、思いっきり遊べるところを確保してあげたかったのです。 卒園式が終わり、あひる組の部屋で畑先生が皆に「幼稚園、楽しかった人!」と聞かれました。お友達全員と一緒に、美海も「はい」と手を上げているのを見て、この幼稚園で、このクラスで良かったと思いました。 1歳半から保育園に通っていたため、集団生活については心配していませんでした。しかし、かなりのママっ子で、登園時に泣いてなかなかママから離れることができませんでした。 エプロンママや参観のときも、ママにくっついていた甘えんぼさんが、年長の初日に言いました。 「今日から大きい組だから泣かないよ」その言葉どおり、毎日、笑顔であひる組の部屋に 入って行くようになりました 幼稚園でのことをよく話してくれる美海でしたが、ひとつ気になることがありました。 「一番仲良しのお友達は誰?」と聞くと、美海は返事に困っていました。年長にもなると、女の子は特定の子とグループを組む年頃になると思っていたため、美海は一匹狼派なのかと心配しました。 先生に相談すると、「確かに特定の子といつも一緒にいるということはありませんが、一人でいることはありませんよ。その時々でいろんな子と遊んでいますよ」と言われました。 保護者送迎で、お迎えに行くと日替わりでいろいろなお友達と遊んでいて、「今日はかなりや組の子と友達になったよ」とか、「今日からあひる組にきた○○ちゃん」と紹介してくれたりしました。 たくさんのお友達と仲良くしているから、誰と聞かれても答えられなかったのかと安心しました。 年長という自覚から成長が著しかった一年でした。 悔し涙を流した日も勝利に歓喜した日もありました。その数々の場面に立ち会えたのは、千里敬愛幼稚園だったからだと改めて思います。 参観が多く、仕事との両立が大変なこともありましたが、子ども達と一緒にたくさんの行事を楽しむことができました。 お泊り保育で自信をつけたこともあり、卒園式の翌日から岐阜の祖父母の家に一人で泊まっています。心配する私とは逆に、「全然、大丈夫。寂しくないよ」とあっさりした言葉が返ってきます。「毎日連絡してね」と約束したのに電話をかけるのはこちらからばかりです。 いよいよママっ子も卒業のようです。正直、寂しいですが、私自信も美海に遅れを取らないよう、母として成長していきたいです。 たくさんの愛情を注いでくださった諸先生方、本当にありがとうございました。 美海へ 卒園式の後、寂しさで胸が一杯だったママに、美海は「でも、時間は止まらないよ」と言い、気持ちは前に向いていたね。小学校での新しい出会いが楽しみだね。 発表会の走れメロスで学んだ「友達を思いやる心」を大切にして、これからも夢に向かって頑張ってね! ■いろいろあったけど 三緒、卒園、おめでとう。 いろいろあったけど、いい3年間だったね。 入園のときは三緒は一人だったのに、卒園のときは、兄弟が3人に増えてるなんて思いもしなかったね。 そして、家族5人、元気で卒園を迎えられたのは、3年間で出会った人たちのお陰だね。先生やバス停のママ、お友達のママに助けてもらったからね。 参観もなかなか行けなかったけど、「三緒ちゃん頑張ってたよ」って教えてくれたママに、どれだけ励まされたか。 月一回のカノンが、どれだけ待ち遠しかったか。 頼りに出来る人たちがたくさんいたことが、どれだけ心強かったか。 言葉では言い表せないよ。 もう、三緒は前を向いていて、小学校一色だね。小学校に行っても、幼稚園で経験したことを生かしてがんばって欲しいな。 何年か後、弟達が千里敬愛にお世話になるといいね。そしたら、一緒に遊びに行こう。 ママは、今度はエプロンを頑張りたいな。SOSもしたいな。 そして、参観に来られなかったお母さんに、「○○君がんばってたよ〜」って言ってあげるんだ。 いい3年間だったよ、ありがとう。 園長先生、越智先生、椎葉先生、井上先生、柳川先生、バス停の皆さん、うぐいす、りす、すいかの皆さん、全ての方々、3年間、お世話になりました。 いろんなことがありましたが、どれ一つ欠けても今の私達はありませんでした。 ひとつひとつが三緒の力に、そして、私達家族の力になりました。 また、ご縁がありましたら、お会いできる日を楽しみにしています。ありがとうございました。 ■予想外の兄弟愛 子どもらしく伸び伸びと!思いっきり楽しんでほしい!と願って千里敬愛幼稚園に決めました。しかし、恥ずかしがり屋で極度の人見知りの海斗はあまり園での出来事を語りません。 年少当初は、園で習う歌が手掛かりでした。入園後は自然と歌うことが増え、教えてもらいながら一緒に歌うのが私の楽しみでした。 年中では、仲良しの友だちと別々の組になりました。毎日その子のクラスに通っていたので、新しいお友だちは?と少し心配したこともありました。 年長になると、体力、精神両面で見違えるほど成長しました。 3歳下の弟のぽっけ組入園をきっかけに、頼もしいお兄ちゃんに変身!9月からぶどう組となり弟も毎日通園するようになると、日に何度も様子を見に行き、一緒に遊んでくれました。外で発揮される兄弟愛は、予想外でしたが大変嬉しい収穫でした。 運動会やリレー大会は見応えがあって、応援にも力が入りました。千里敬愛名物ともいえるママ達の熱い声援に自分も加わり、子ども以上に盛り上がったり涙したりと本当に楽しかったです。 大好きなリレーでは、純粋に勝負を楽しむ一方で、悔しい想いも味わいました。 「諦めたら終わりだよ!」 耳慣れないセリフも、かもめ組で交わされる合言葉だったのでしょう。最後まで諦めず、みんなで力一杯取り組むことの大切さを学ぶことができました。素晴らしい経験です。 いつもたくさんの友達に囲まれ、とびきりの笑顔で遊んでいました。多くを語らずともそれだけで幼稚園が楽しいことは一目瞭然!毎日元気いっぱい走り回っていました。 兄弟一緒に幼稚園に通った半年間は、特に充実した日々でした。あっという間に3年が経ち、名残惜しい気持ちと、次男のこれからの3年間を思ってわくわくする気持ちが入り混じり複雑な心境です。 素晴らしい先生、お友だちに恵まれ幸せでした。兄弟揃って温かく見守ってくれた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。 海斗くん、卒園おめでとう! たのもしいお兄ちゃんがいて、はるきも楽しく幼稚園に行くことができたよ。いつもありがとう。 優しくてかっこいい海斗くんを応援しているよ。 ■親子共々完全燃焼 「お引っ越し、いつするの?今日?」 そう言って、娘が痙攣を起こし、意識をなくしたまま救急車で病院に搬送されたのは、大阪に引っ越す前日の早朝のことでした。 レントゲン、あらゆる検査をしていただいても異常はなく、引っ越しによる精神的なものが原因だから帰宅しても良いと言われても、明日引っ越しし、住まいがなくなる私達に40度近く熱のある娘をゆっくり寝かせておく場所もなく、仕方なくお願いして入院させてもらいました。 4月からの大阪での住まいが決まった翌日、後任の方の怪我により転勤が7月になりました。娘と私と二人だけで先に大阪に引っ越すことも出来ましたが、話し合った結果4月からは娘が入園を楽しみにしていた幼稚園に通わせ、7月に家族そろって大阪に引っ越すことにしました。 娘は、幼稚園生活を本当に楽しみ、先生、お友達とのかかわりを本当に喜んでいたのです。段ボールが積み重なったままの部屋での生活は、いつ引っ越すのだろうと小さな体にいっぱい不安を与え、いっぱい我慢させてしまっていたことでしょう。 娘が無事に退院して主人より遅れて大阪に入ると不安もがまだ消えないうちにすぐに入園手続きをしなければなりませんでした。 他園も見学した中、娘が選んだのが千里敬愛幼稚園でした。 実は娘が通っていた新潟の園から知っていました。時々、園から配られる「ないおん」で見ていた千里敬愛幼稚園の文字。住まい探しで目にしていた千里地区。大阪に姉妹園?お尋ねしてみると新潟の園長先生と千里敬愛の園長先生は大学の先輩後輩で、下宿を行き来するほどの仲だったとお聞きし、この土地に幼稚園に導かれたような驚きとご縁さえ感じたことがついこの間のことのようです。 どこか懐かしく、小動物がいて、娘が大好きなブランコが沢山ある幼稚園。見学に行かせていただいたときにも、廊下で、保育室からも先生方に温かく声をかけていただき、私自身もとても心地よかったです。 入園手続きの直前、黒坂先生に引っ越しまでの話を聞いていただき、幼稚園で活動中に痙攣を起こしても対応していただけるのかお尋ねしました。安心できるお言葉をいただき、「大変でしたね」と共感していただいたことで、私の中の緊張がとけ、自然と涙がこぼれたことを今でも忘れられません。本当に感謝しています。本当に有難うございました。 そんな心配をよそに終わってみれば、娘は年少のとき、私用で1日休ませただけで…あとは1日もお休みせず病欠なし。 行事の多さに仕事をしながら大変なときもありましたが、全ての行事に参加させていただき、楽しみあり、喜びあり、笑いあり、ときには悔しさもあり、娘の成長を見させていただきました。親子共々完全燃焼です。 前日熱が出たのを心配し、行事が終わったら連れて帰ろうかと思った日も幼稚園に行くとすっかり元気になり、よりパワーが増していることもありました。娘にとって、幼稚園は何よりの元気の素。長期のお休みにいただく「おやくそくひょう」では記入しながら、あと何日で幼稚園が始まるのか毎回楽しみに数えていました。 年少の2学期よりお世話になり、運動会・園外保育・学園祭り・発表会…一生懸命な姿を忘れません。 学園祭りでは、名札が見えていないのに会う先生先生に、「青空ちゃん」と声をかけていただき、その一言で娘はクラスの先生以外にもよくしていただいて、色んなクラスに遊びに行かせていただいているんだなと園生活が想像できるようで微笑ましかったです。 また、発表会は「エルマーの冒険」。発表会前に万博公園に家族で出かけたときには池にあった竜に乗り、エルマーになりきって竜を助けたのも良い思い出です。 年中では、年少ではできなかった土粘土、塗たくり・プール遊び、農業体験、造形では未経験ののこぎり、金づちも経験出来、伸び伸びと取り組んでいる娘の姿が見られました。運動会のリレーでは、転んでしまったけど最後まであきらめずにゴールしました。 お弁当はいつもピカピカに食べてくれていた娘から、「そらちゃん、○○あまり好きじゃない」と聞くとあえてお弁当に入れました。するとやっぱり楽しい雰囲気の中でいただくお弁当はピカピカ。おかげで、好き嫌いもなく、何でもよく食べてくれました。 いよいよ、年長。最後の一年は驚くほどあっという間に過ぎていってしました。 年長では子ども達も楽しみにしている新しい行事がいっぱい。 まだまだ先と思っていたお泊り保育は、母も子もドキドキでしたが娘の心の中にステキな思い出を作ってくれたようです。 お茶会・マックも毎回楽しみにしていました。お茶会の参観日が終わってからは、家で毎週末のようにお茶会が開かれました。 運動会、リレー大会では、今まで走ること、バトンを渡すことで精一杯だった子ども達がお友達を励まし、自分達で作戦を立てて練習をしている姿に、また当日は体調不良の中、参加している子ども達の姿に私の方が多くの感動をいただきました。 お誕生会では舞台に上がった瞬間、毎年こんなに多くの先生、お友達に温かくお祝いしていただいていたのかと思うと感謝で胸がいっぱいになりました。 幼稚園生活最後の発表会。 年少から見ていた年長さんはとても遠い存在でしたが、目の前で年長になり、発表会に参加させていただいている娘の姿に本当に成長を感じたものです。エンディングの歌詞はこれから先の不安も幼稚園の経験・思い出があれば大丈夫だと勇気づけてくれるものでした。 初めて発表会を見た主人は感動し、保育研修会に行く娘に、「今日も行っていいの?」と聞いていたほどです。 年長も終わりに近づくとクラスでは「自分次第、諦めない」が合言葉になることも多く、家でも娘にその言葉を掛けてもらい励ましてもらいました。その合言葉通り、心もひとつ、一致団結して臨んだなわとび大会では見事優勝。最後に大きなご褒美をいただき、親も子ども達も心の底から喜びました。 この2年半の園生活で娘は行事がある度に一生懸命取り組み、努力することの大切さを学ばせていただきました。 お迎えに行ったとき、手に持っていたバトンが縄、ボックスホーンのバチと変わり、「幼稚園閉まりま~す」と言われるまでいつもお友達と最後まで諦めず一生懸命練習していました。たとえ思うような結果が得られなくても次に進むのに納得できたようでした。 また、お友達のことを思いやり、お友達の気持ちになって、いろんなことを考えさせていただきました。 年中のときからできた「ぽっけ」は、「ぽっけ組?」と間違えられるほど毎日通い続けた楽しみな場所。一人っ子の娘が家では経験できないお姉ちゃんぶりを存分に発揮させていただけた場所でした。 学年、クラス、性別を越えて沢山のお友達ができた娘のおかげで、私も沢山の良い出逢いが出来、大切なお友達が出来ました。いつも沢山の先生方にも温かく声をかけていただきました。 娘が園生活を送る中でお世話になりました園長先生をはじめ担任して下さった楠田先生、堀先生、椎葉先生、寺井先生、いつも温かく見守って下さった先生方、温かく声を掛けて下さった保護者の皆様、仲良くしてくれたお友達のおかげで娘は本当に幸せでした。心より、感謝しています。本当に有難うございました。 転勤で幾度も別れを経験した私はよい出逢いがあってもまたお別れするのが辛く転勤族はあまり好きではないです。でもやっぱり転勤族だからこそ出逢えたご縁・経験に感謝し、またいずれ大阪を離れても頑張れるかもしれません。頑張れたらいいなと思います。本当に沢山の宝物を有難うございました。 ********** 青空ちゃん、卒園、おめでとう。 今のままの可愛い、優しい、明るい青空ちゃんのまま、大きくならないでという気持ちもあるけど、青空ちゃんの成長も楽しみ。 これからも周りの人達を大切に、今しかできないいろんな経験をして、最後まで諦めずチャレンジしていってね。パパ、ママはこれからもずっと青空ちゃんを見守り、応援しているよ。(父) ■千里敬愛幼稚園と私 和真の父として、大変お世話になりました。 和真は、自分の思ったことは何としてもやろうとする気持ちが強い子どもです。それが和真の自分らしさだと思います。4人の担任の先生を始め園長先生は勿論のこと、全ての職員の方々に支えていただいたことと思います。 そんな中で、少しずつ先生方の言うことを聴けるようになったことに感謝申し上げます。ありがとうございました。 妻も沢山の関わりを持ち、数々の写真や想いを表現し、生き生きとしていたのは、本当に嬉しかったです。 また、私自身、明日香・雅人・和真と9年間関わらせていただき、中でも綿菓子のお手伝いは、本当に楽しくワクワクして、「綿菓子最高!」でした。一生懸命させていただき嬉しい限りです。これからもこの体験と想いを生かして行きたいと思います。一期一会。 ********** 千里敬愛幼稚園にご縁があって早9年になりました。和真は、ずっと幼稚園のことをお腹の中で感じ、生まれてからも姉(明日香)と兄(雅人)の行事に通って待ちに待った和真の入園でした。幼稚園、本当に楽しかったです。6年前に卒園した姉も今年3月に小学校を無事に卒業しました。色々と思い出が駆け巡ってきます。 1年前、「生きている心」が届いたとき、あと1年だなあと思ってから、あまりの速さで時が過ぎていきました。今、18冊の「生きている心」がそろって沢山の宝物をいただいた思いでいっぱいです。転勤族でありながら、3人とも卒園できたことの喜びを感じています。 それと同時に、心の中にぽっかり穴が空いた感じです。和真のカノンを3冊読み返していると、沢山のことが思い出されます。 和真は、入園して3日目の朝、着替えながら、「どうして今日も幼稚園行かないとあかんの?」と言って泣いた日もありました。3番目の末っ子、甘えん坊でやんちゃなところもありますが、お友達に恵まれ、先生方に温かく見守っていただき、毎日楽しく幼稚園生活を送ることが何よりも喜びであり、本当に嬉しかったです。 私も、SOSで遠足、農園体験、バザー、学園祭り、図書当番、ベルマークなどさせてもらって、人見知りする私に、沢山のお母様方と出会う機会をいただきました。私にとって、本当に本当に楽しい青春時代でした。 姉と兄がふと、SOSに行く私を見て、「私のときには来てくれなかったけど、和真はいいよなあ〜」と、つぶやいたこともありました。今「明日香、雅人行かれなくてごめんね。」と、言いたい気持ちです。 年少は、枡田望先生、山崎香織先生といつも元気に「ゴーゴーいちご!!」の掛け声が、聞こえてくるクラスでした。家でも沢山の歌を歌ってくれました。大好きなだんご虫を探したり、描画展示では、かわいいお地蔵さまの絵を見て涙が出てきました。今でも大切な1枚です。 発表会の「一寸法師」は、とってもまとまっていて、みんな可愛く元気いっぱいの「いちご一寸」。 初めてのリレー大会もみんなと頑張り、1位がとれてお友達と喜びあっている姿が、逞しく可愛かったです。 年中は、椎葉聡子先生の元気で、いつも笑顔のりす組でした。お友達とお地蔵様のところで、だんご虫探しをいっぱいしていました。 発表会の「ジンギスカン」では、色々な場面で役になりきり、悪役も楽しんでしている姿を見ていると、1年経って逞しく力強い姿に感動しました。家で「発表会で歌う歌を練習するから部屋に入ってこないで」と言って、1人で練習していたこともありました。 年長の西角和美先生は、「自分が出せる、お友達と互いに思い合い助け合えるクラスになるように」といつも子ども達を見守ってくださいました。 お泊り保育の前々日に、和真は熱を出しましたが無事に行くことができ、夜には元気な様子をお電話でいただきほっとしました。 帰ってきた和真は、「僕、大丈夫だったよ〜。寝ても、熱でなかった」とお兄ちゃんの顔になっていました。 そして、入園前からいつも一緒だったお友達のお引越し。寂しかったけれど、また逢える日を楽しみにして過ごしました。 発表会前には、12人お休みがあっての練習、当日は最後の発表会で、和真より私の方がソワソワして緊張していました。全員出席で出来た「ドン・キホーテ」の発表会。喜びとみんなの笑顔を見て、その姿に涙が溢れてきました。 「みんなが主役の発表会」が終わった後に、千里敬愛幼稚園に通えることの喜びと感謝の思いが湧き上がってきました。親として、子どもの成長を肌で感じさせてもらえることは、これほどの喜びであり、こんな幸せなことはありません。 それと同時に、「私も頑張らなくては」と大切な心をいただきました。 運動会やリレー大会など、いつも真剣にお友達と楽しく取り組んでいる和真の姿が素敵でした。 実は、2月末に親子で体調を崩し、ミニミニ発表会欠席となりました。翌日の京都参拝は、私がダウンして、急遽主人と和真で現地集合となりました。私にとって、「まさかまさか京都参拝に行けない〜!?」ことなど考えてもいないことが起こりました。頭の中は真っ白になりましたが、ふと「あ〜私は、いっぱいいっぱい楽しませてもらったから、お父さんにも最後楽しませてあげて〜」と思うと同時に、「神様のいたずらかも?」と思いました。主人も「行けてよかった〜」と言って帰ってきました。 そして、翌日の縄跳び大会も見に行けませんでしたが、はと組のお母様方がいっぱい応援してくださり、縄跳びの様子を写メで送って下さったり、家にいながら「はと組がんばれ〜」と応援しながら、お母様方の温かさを感じました。沢山の方に支えてもらっていることのありがたさが身に染みました。そのときのことを思い出すと今でも涙が溢れてきます。本当にありがとうございました。 いつも温かく見守っていただいた園長先生をはじめ、カミナリ先生、主任の先生方、諸先生方本当にありがとうございました。9年間は、いつまでも大切な宝物です。この節目の日を迎えられたことに、感謝の思いと共に思いやりの心を大切にして、親子共々今を生きていきたいと思います。 かずまへ 卒園おめでとう。沢山のお友達ができたね。楽しかったね。冬休みは毎日縄跳びの練習がんばったね。あや跳びも出来るようになったね。和真、これからも色々なことに挑戦してね。いつも応援しているからね。沢山の思い出をありがとう。(母) ■寂しさの中に 雨の日、雪の日、暑い日、寒い日…毎日幼稚園に通いました。車で。自転車で。バスで。歩いて。友達と一緒に…。2つ年下の妹も、いつも3人一緒です。 母である私にとっては楽しいばかりの登園ではありませんでした。登園バスのない日に限って土砂降りの雨だったり。真夏に子どもを自転車の前後に乗せて、坂道を往復50分。でも真冬も辛い。 年中さんの冬には突然通園バスが嫌になり、毎朝泣き叫んだり逃げたりするというのが2ヶ月ほど続いたこともありました。 夜に赤ちゃんの夜泣きがあっても、容赦なく早朝のお弁当作りが待っています。 実家が遠くて子どもを預かってもらうこともほとんどできなかったのでもう!はやく大きくなってくれないかな?早く小学生になってよ!と泣きたいくらいに大変な日もたくさんありました。 でも、あんなに心待ちにしていたはずの卒園を迎えて、もう小学生になったら一緒に登園することってないんだなあと思うと、意外にそれが一番寂しいことでありたくさんの思い出ができたなあと今になって思います。 毎日の帰り道、自転車に乗りながら一緒に歌を歌ったり、幼稚園であったおもしろい出来事を教えてもらったり、おやつを買ってどこに行こうかと言いながら、寄り道をしたり、お友達と遊びながら帰ったり…。 きっとこれからはそんなにじっくりとゆっくりと親子で一緒に過ごす時間はないだろうなと思うからこそ、登園で一緒に過ごした時間は大変だったけれどかけがえのない私の宝物になりました。 11月に敬愛幼稚園に転入して、なんでも目いっぱいがんばるぺんぎん組のお友達によい刺激を受けて、頑張るという気持ちが少し芽生えてきたようで、またちょっと成長したかなと思う南央を見ていて、子どもはどんどん大きくなっていくんだなあと思います。 母が少し寂しい気持ちになっても、それでいいのだ!寂しさは少しあっても、子どもの成長を、喜ぶ気持ちでこの先もずっと見守っていきたいなと思います。 ■余計な心配 とうとう三年間が終わってしまったんだなあ〜と、もう着ることのない制服や青色カバン、靴、絵や粘土色々な思い出の品を整理しながら寂しい気持ちになりました。 青空は、幼稚園に入る前からとても活発で殆ど人見知りもなく、知らないお友達の中にでもスッと、入っていける子でした。 なので、幼稚園も泣くこともなく楽しんで行ってくれると思っていました。 ところが入園式当日大号泣、その次の日からも「幼稚園には行かない!!」と言って、お着替えはしない、朝ご飯は食べない、何とかバス停まで行けても私にしがみつき泣き叫んで無理矢理バスに乗せられ行ってました。 約1ヶ月くらいそんな日が続きましたが、GW明けぐらいからはあの大号泣が嘘のようにニコニコ笑顔で行けるようになり、日に日に幼稚園が大好きになってくるのが分かりました。 年少の発表会では少し前から体調を崩していて当日も参加できるか不安だったのですが、何んとか可愛い一寸法師を観ることができました。 その後すぐに水疱瘡にかかり青空の映っていない発表会DVDが思い出として残っています。本番に弱いのは年少さんの頃からだったんです。 年中さんでは、より一層パワーアップし、お友達と戦いごっこが大好きで、造形遊びのときも剣を作っては嬉しそうに振り回していました。 父の日参観当日も、父ちゃんと歩いての登園途中はしゃぎ過ぎて派手にこけてしまい、両手両膝擦りむき園に着くなり手当してもらい痛々しげな青空の写真が残っています。 年長では、年少に入った弟を思ってよく教室に見に行ってくれてました。1年間だったけど兄弟一緒に行けてよかったなぁと思います。 マックプールで見せた不安な顔、リレー大会で見せた嬉しい顔、悔しい顔、最後まで諦めず走った姿、お茶会のときに見せた苦〜い顔、縄跳び大会で一生懸命跳んだ姿は私の胸にずっと残っています。 そしてそしてやはり、発表会前には今期2回目のインフルエンザにかかり、発表会ギリギリまでお休みしてしまい、私の方が不安で仕方なく、青空に何度も、「ボックスホン覚えてる?メロスも大丈夫?」と聞いていました。 その度に青空は、「大丈夫!!覚えてる!!」と答えてくれたので信じることにしました。 待ちに待った発表会当日、一生懸命に演じている青空を観て、余計な心配していた私の方が小さく感じました。 この3年間で、体だけでなく中身も成長してくれたなぁ〜。と嬉しく思います。色々な意味で一生忘れない発表会になりました。 そして、今年の卒園式は色々なことを考えさせてもらう卒園式になりました。卒園式ができたことに感謝し、子ども達の未来が輝かしい事を願うばかりです。 最後になりましたが、園長先生はじめ担任をして下さった望先生、山崎先生、柿原先生、畑先生、諸先生方3年間本当にありがとうございました。 そしてたくさんのお友達、ママさん達仲良くしてくれてありがとう。 青空へ 卒園、おめでとう。 大好きな幼稚園ともお別れだね。 3年間いつも笑顔で優しく、ときには厳しく叱ってもらった先生、いっぱい遊んだり学んだりしたたくさんのお友達に出会えたことに感謝してこれからも元気一杯で青空らしく成長していってね。 ********** 青空へ 卒園、おめでとう。 3年間よくがんばったね!これからも元気にがんばってね! (父) ■宝物 温々ちゃん、卒園、おめでとう。 3年間の幼稚園生活あっという間だったね。 幼稚園卒園の日を迎えられたのは、先生やお友達、周りにいた沢山の方々のお陰であることをいついつまでも忘れないでね 。 そして千里敬愛幼稚園で培ったキラキラした心を温め持ち続けて、周りの人にも温かい気持ちをかけれる人になって下さいね。 ママも先生方にお世話になり、お友達、お母さん方に仲良くしてもらって、口では言い表すことが出来ないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。 幼稚園に入園する前から、お姉ちゃんのエプロンママや行事などで千里敬愛幼稚園に足を運んでいて、「早く温々も幼稚園行きたい」ってワクワクドキドキしていた温々。 入園式の日、迎えに行くと涙をいっぱい流して先生に抱っこされていましたね。私の中で、温々は人見知りはするけど、あまり泣かない子って思っていたので、あれだけ楽しみにしてたのに、どうして泣くの?と正直びっくりしましたが、「入園当初の子どもの涙は産声なんですよ」との園長先生の言葉がふと頭をよぎり、私が勝手に温々の性格を決めつけてしまっていたのかもしれないと思いました。 まだまだ素直で綺麗な心を持ってる小さい時期に親の私が決めつけてしまったらいけない。気をつけようと初心に戻ることが出来た入園式でした。 そんな入園式から卒園までの3年間。ほんとに書ききれないくらいの思い出と感謝が、温々にも私にもたくさんあります。 運動会や発表会など、園の行事の節々で、親として初心に戻る場があり、学園祭では学生に戻ったみたいに活動できる場があり、親子で一緒に園生活を楽しむことができました。 温々が「お泊り保育またしたいな〜」と何度も言う横で、私も「またSOSしたいな〜」「リレー大会の応援がしたいな〜」「エプロンママにも行きたいな〜」と、張り合うくらい親子共に充実した3年間は、掛け替えのない宝物です。 園長先生、先生方、本当にありがとうございました。 ■ハプニングに成長の証 年長になり、いつからか定かではありませんが、参観後、樹は私の方へ向かって走り寄り、 抱きついてくるようになりました。そのうちに私達の暗黙の約束となり、運動会の後も、ミニミニの後も、私が大きく手を広げると、腕の中に飛び込んできて、ぎゅーっとハグ、ハグ。得意満面!ちょっと恥ずかしい!?残念だぁ…。そのとき毎の彼の気持ちが全身から伝わってきて、私の大好きな瞬間となりました。 そして、12月のリレー大会。友達の後ろを楽しそうに走っていた年中時代とは違い、勝つことへの気持ちが芽生え、少し自信もついて、リレーへの思い入れは日に日に高まっていました。チームが上位決定戦に残り、母の応援にも力が入ります。 そして、いよいよ樹がスタート位置に立った次の瞬間、他のお友達と接触、どうも鼻を打ったようでした。 ちょっと鼻を気にしながらも、無難に走り終えたものの、人数調整のために2回走る役で、もう1回。でも、このときは走りながら鼻からは明らかに血が流れ出ており、こちらもハラハラしながら見守ったのでした。 走り終え、私のところへ駆け寄る樹。広げた手に飛び込んだまま、えっ、えっと嗚咽する体から、不安と闘いながら走りぬいたこと、その緊張が私の腕の中で少しずつ解けていく様子が伝わってきました。 後で、担任の松浦先生に、走る直前に鼻血に気づき、止めようかと思ったけれど、樹の目は前走のお友達だけに向けられており、止めることができなかった、と教えていただきました。 走るか走らないか、きっと彼の頭にはそんな選択肢はなかったのでしょう。ただ、走らねばならない、と。 いつの間にか強くなっていた樹と、でも、今母の胸にしがみついて泣いている樹、両方が愛おしくて、「よく頑張ったね」と繰り返しながら、私の胸にもこみ上げてくるものがありました。 突然のアクシデントは望んでやってきたものではありませんが、息子の成長を感じさせてくれたことに、感謝しています。 結局、私たちのハグは最後まで続き、ずいぶん大きくなった長身が完全に私の懐からはみ出ているのですが、でも、まだ母に抱きついてくれます。今だけ、の幸せです。いつか、 彼も親離れしていくのでしょう。 お誕生会では「樹が大きくなったら、お嫁さんにしてほしいです」と冗談交じりにコメントしていた私ですが、そろそろ子離れしなくては。「いっちゃ〜ん、かっこよかった〜」とギュウできなくなるのは、とても寂しいのですが。 完成された「発表」を見せるのではなく、日々の活動の姿をすべて見せてくださる千里敬愛幼稚園だからこそ、この3年間、子ども達の成長を刻々と見守ることができました。私にとっても多くを学んだ貴重な時間でした。 関わってくださったすべての先生方、お友 達に御礼申し上げます。ありがとうございました。 大震災直後、多くの悲しいニュースが伝わる中で、卒園式を見つめながら、この子達全員に幸せな未来が訪れますようにと強く、強く願わずにいられませんでした。 ■本気の幼稚園 とうとう6年間の幼稚園生活も終わってしまいました。姉の那月が入園してから6年間、偶然にも「もも」「くま」「ぺんぎん」「もも」「くま」「ぺんぎん」と全く同じクラスをたどり過ごしてきました。卒園した現在、幼稚園で歌った歌を二人で歌いながら楽しそうに遊んでいる子ども達を見ていると、今までを振り返りしみじみと寂しさをかみしめているのは母親の私だけのようです。 千里敬愛幼稚園の印象と言えば「音楽」でした。毎日幼稚園バスで流れている園長先生作曲の歌を口ずさむことから始まり、年少での初めての誕生会では講堂で全年少児が歌った「赤い小鳥が」の歌声になんて綺麗に歌うんだろうと感動し、発表会では先生が生演奏で弾くピアノの音だけで進行する上に、動作のきっかけも歌もセリフも全て音楽ということにまたまた感動でした。これは全て那月が年少だった頃の体験ですが、6年経った今でもこの感動は色あせることなく毎年同じように感動を重ねて来たように思います。 湊は入園当初から楽しそうに元気一杯で通園していました。母と離れられずに泣くこともなくバスに乗り、人見知りもせずにあっという間になじんでいく湊のおかげで、母は心置きなく担任の先生と会う度に楽しい会話を楽しむことが出来ました。 幼稚園では私の顔を見ると「ママ〜!」とニコニコ顔で思い切り手を振り、ときにはジャンプ付きで大歓迎してくれました。 そんな湊も3年間で一度だけ、「幼稚園なんか嫌い。行かない」と言ったことがありました。 それはリレー大会が近づいていたある日。 よく聞いてみると、速く走れなくていつも勝てないから嫌なんだと。いつもは優しく癒し系の湊が発揮した「勝ちたい」という競争心に成長を見た出来事でした。 その後二人で話し合い、「速く走れる靴がある!」とのことで瞬足を買いに行ったことも楽しい思い出。翌日からはパワー全開!勝つ気満々で行ったことは言うまでもありません。 家では泣き虫で甘えん坊、いつもお姉ちゃんに怒られては泣いている湊が幼稚園で見せる逞しい姿には意外なものがありました。 年少からのカノンや担任の先生のお話から知る湊のエピソードには私の知らない姿がたくさんありました。 発表会の作品を仕上げている途中でクラスがまとまらなくなったときに湊が言った一言でみんなの気持ちがひとつになれたこと。アイデアをいっぱい出して困っている先生を助けたこと。みんなが笑っても「僕は応援するよ」と自分の気持ちをきちんと伝えられたこと。どれも嬉しいことばかりです。 こんな湊の優しい心は、常に思いやりの心、みんなで力を合わせること、諦めないことを大切に指導してくださっている先生方と保育活動の賜だと感謝しています。 つぶやき集にも投稿した会話、「どうやってリレーのチーム決めたの?」「みんなで心をひとつにして!」は、千里敬愛ならではですよね。 「ママの気持ち、わかるよ。」「いつでもママを信じてる。」とかなり照れくさい言葉を言ってくれる湊は私の誇りです。 千里敬愛幼稚園のスゴイところは、先生方が「本気」なところだと私は思っています。そしてそこが私の大好きなところです。プール遊び、塗りたくり、運動会、リレー大会、どれを見ても子ども達が楽しむために手を抜かずに取り組み、子ども達と一緒に徹底的に楽しんでいる姿は感動ものです。 湊の入園と同時期に茨木市へ引越して幼稚園から遠くなることも承知の上で3年間通うことを決めたのは「本気の幼稚園」だったからかもしれません。その象徴のひとつがリレー大会だったのでしょうね。那月が年長のときのリレー大会の感動が忘れられず、湊にも年長になったときにここで思い切り走って欲しくて、私も湊の名前を叫びながら思い切り応援したくて決めたこと、間違っていませんでした! いつも温かく見守り指導してくださった園長先生をはじめ、担任でお世話になった上田先生、小林先生、木村先生、福田先生、那月の頃からお世話になったカミナリ先生、亀原先生、松浦先生、事務の小谷先生、寺田先生、諸先生方に心から感謝し、お礼を申し上げます。こすもすバスの間庭さん、ちゅうりっぷバスの阿部さん、車で見かけたらいつものように手を振ってくださいね。 ありがとう。千里敬愛幼稚園。 ■卒園にあたって 京ちゃん、卒園、おめでとう。 2年保育ということもあり、クラスでは年少から年中になっているお友達が多い中、心配した入園でした。 初めの頃は私の心配をよそに元気に通園していたので、安心したのですが、それは突然やって来ました。 ある朝、バス停に向かっていると、幼稚園に行きたくないと言い出したのです。泣き出す京祐を抱っこし、何とかバス停まで連れて行きました。 そんな日が続き、お弁当の日に可愛くキャラ弁を作ってみようと頑張ったのですが、逆効果だったようで、お弁当を開けた途端、私のことを思い出して、泣いて泣いて食べられなかったことがありました。 それでも、休まず毎日通園しているうちに、いつの間にか幼稚園大好きになり、楽しくて仕方がないようでした。毎日の、のぞみ先生からのお電話で、私も京祐も救われました。 幼稚園の数ある行事の中で一番好きな行事は発表会です。音楽が好きなこともあり、自分のクラスの曲はもちろん、他のクラスの曲も歌っていました。 もう発表会が終わってしまったので、「僕は2年しか通っていないから、もう1回年長さんして、また発表会したい」と言っていました。 年長では縄跳び大会があります。運動が苦手な京祐にとっては嫌だったようですが、冬休みのおやくそくに、縄跳びをすることに決め、毎日跳んでいるうちに、たくさん跳べるようになりました。 苦手なことにも挑戦する強い心を持てるようになり、嬉しく思います。 最後になりましたが、園長先生、越智先生、のぞみ先生、温かく見守って下さった全ての先生に感謝の気持ちでいっぱいです。 本当にお世話になりました。ありがとうございました。 ■満喫 ミンの敬愛デビューはお腹の中からでした。 7年前の長女の入園直後のエプロンママ初会合。ドキドキしながら次女の手を引いて行ったことを今でも覚えています。班を決める際に今後ご迷惑をかけてもいけないと…。両親よりも先にママ達に冬に出産を控えていることを伝えました。 それから何にでも欠席するのが嫌いな私の性格を知ってか、元気なお姉ちゃん達のお陰で雨が降ろうが暑かろうが、お産の直前までエプママは参加し、出産後1ヶ月だけお休みしただけで、3学期には復活! その先、6年間も休まず満喫しました。 いよいよ、三女ミンの入園です。 と同時に4年間待ちに待ったママのSOS初デビュー。 寂しさを紛らわすために始めたはずなのに、気づけば敬愛に通うのは子どもだけじゃもったいない!募集がある度に足を運びました。 初めての園外保育では、お昼ご飯もままならないほどの忙しさ。それでもママ達と参加出来た喜びの方が大きくキャッキャしながらお手伝いしました。 それからもう3年です。 絶対に最後のSOSのお別れ遠足は行こうと決めていました。 驚いたことにあんなに一人でトイレに行けなかった小さな子ども達がお友達とニコニコしながら一人ずつ個室に入り、言われなくても自分から手も洗う。 お陰でSOSのママ達…補欠で来れなかったママとこっそり、ゆっくりお弁当を食べられたこと、最後の最後まで満喫です。 きっと我が子よりも沢山のママ友が出来たことは間違いないです。 担任との出会いでも。 年長でお世話になった椎葉先生とは唯一、我が家で2回ご縁が合った先生です。次女の年中、三女の年長。 娘達が進級と同時に先生も進級。 長女が学園祭りに行く度にこぼす言葉があります。 「ミオの先生はもう誰もいない…」と。 懇談や父の日参観、時間が合えば今でも敬愛に行きたがります。体は大きくなってもあの頃の楽しかった思い出がタイムスリップするのでしょうね。 長女にとっても椎葉先生は7年前に入園したとき、新人の先生でした。沢山いた同期も来年度からはたった一人だけ…先生も寂しいと言っていました。 だから、これからは娘達のためにも頑張ってくださいね。 先生はちょっぴり不器用な部分もあり年長で再び出会った時は正直、大丈夫かなぁ〜?と不安だったんです。でも、凄く真面目な部分は変わらず、いつも一生懸命で子ども達に助けてもらいながら一緒に楽しんでた1年でした。 何をやってもいつも7位のかなりや組! 今、思えば子ども達よりも親の方が悔しい気持ちだったのかもしれません。 娘3人、共に「何でも出来て凄いね〜」って言われます。決して私は何でも出来るなんて思っていません。 見た目も性格もバラバラ…。こんな3姉妹って?と思うくらい。 でも、リレーに縄跳びが始まると家に帰るなり、どの子も独り猛特訓していました。 ミンにとっての年長は仲良しさんが全くいない状態でのスタート。 春から休む暇もなく続く参観、SOS、エプママ…。 今まで6年間、当たり前のように見てきた娘達の笑顔がミンからなくなり、いつも独りぼっちに。初めて幼稚園に通うことを控えた方が良いと思ったときでした。 彼女には厚い厚い心の扉があることに気づかされました。 自分にとってのお友達とは「お友達だよね」と言う約束がないと名前を知ってても、いつも遊んでてもお友達ではないこと。 そんな悲しい1学期があっと言う間に過ぎ千里敬愛、最後の運動会がある2学期。 やっぱり、お姉ちゃん達と一緒で走ることが大好きだったミン。家に帰るとお姉ちゃん達といつもいつも走っていました。やっと自分を発揮出来る場所を見つけたようで、私に見ててねって聞こえてくるような笑顔で手を振ってくれました。 帰宅してからもほとんど幼稚園の事を話さないミンだったけど、ある日 「今日ね、レナちゃんがプールに行くバス一緒に座ろうね!って、それってお友達だよね」 「そうだよ、お友達になるのにお友達になろうね!って言わなくても良いんだよ」と伝えました。 私にきっと確認したかったんだと思います。 それから、その子の名前を良く耳にすることが増えました。同じように頑張り屋さんで。 かなりや組の結果はいつも最下位で悔しくて…。それでも思いっきり走って跳んでいる二人を見てたら涙が出できます。 縄跳び大会での100秒チャレンジ、本当に嬉しかった。今までの悔しい気持ちを発揮できた場所。二人はまっすぐ前を向いて大成功! その姿はホントにこの子達は6歳かしら?と思うくらい。まっしぐらに得点の玉をもらいに行き、持ちきれない程の玉を自慢げにママ達に見せてくれました。 卒園前日にある最後のリレー大会のくじ引き。 「絶対にレナちゃんとなりたい!」 珍しく私にもらした一言です。 最後の1年はその子が側にいてくれたお陰で刺激しあって同じ目標に向かってチャレンジする。千里敬愛幼稚園だから出来たことなのかもしれません。 その願いは届き同じチームになれたと喜んで帰って来てすぐに教えてくれました。 しかし、アンカーだったミンは3位でバトンをもらったけど数歩足らずおしくも2位。あの日は今までになくホントに悔しそうでした。 でも…最後に待っていたのはクラスの女子全員で行う対抗リレー。 かなりや組で取った最後の1位の旗。 クラス皆で喜んでいた姿は忘れられません。 千里敬愛に通える日が残り少なくなった頃、思わず、 「もうミンミンとこうやって手を繋いで幼稚園に歩いていけなくなるのはママ寂しいなぁ〜」と言ってしまいました。 私の気持ちを察したのか、 「小学校になっても手を繋いで行ったら良いじゃん!」 「でも、小学校はママは付いて行ったらいけないしお友達と行くんだよ」 「じゃあ、帰ったらお散歩したら良いね」って笑顔で教えてくれました。 今でもミンは体も小さいし、ついついお姉ちゃんが2人もいるから赤ちゃん扱いをしてしまいます。 本人は寂しい、なんて少しも思っておらずお姉ちゃん達と一緒に通える小学生が楽しみだったんだと。 娘達はいつも前を向いています。 この文集を書き上げるのに凄く時間がかかりました。 卒園を迎えるのがあんなに嫌だったのに。 直前の大震災です。 寂しい寂しいと言っていた自分に反省。 家族皆が元気で毎日娘達の笑顔が見れるならそれで良い。 きっと、産まれてきた時も同じことを思っていたはずです。 2週間過ぎた今は穏やかな毎日を過ごしています。 これからも子ども達と一緒に前を向いて歩もうと思います。 毎年、卒園文集にも目を通します。 来年の今頃には震災を受けた方々も笑顔で過ごせていたらと願うばかりです。かなりや組の「ライト兄弟」のように…。夢を諦めないで。 最後にこんな素敵な幼稚園に巡り合わせてくれた娘達に「ありがとう」 出会った沢山の先生方、園長先生に感謝します。 ママも7年間、満喫したよ。
平成21年度←