平成27年度← 



お母さん方から任意にいただいた卒園時の想いです。
なお、プライバシー保護のため、氏名等は割愛してあります。ご了承下さい。

●卒園アルバムと文集が届いた日にいただいたメールです。ご本人に承諾していただき、紹介します。

園長先生お元気でしょうか?
今日卒園アルバムと文集が届きました。ありがとうございました。
アルバムを見てまだまだ1番に寂しさが込み上げて来ました。
実はGW前に園長先生宛に書いたメールを送信する勇気がなく保存ページにずっと眠らせていました。
先程、文集の編集後記を読みはっとしました。
園長先生の思いと重なる部分がありやっぱり伝えておかないときっと後悔すると思い送らせていただきます。


 我が家は4年前に関東から大阪へ予期せぬ転勤を命じられました。
上の子は関東で幼稚園を過ごし、初めての子ということもあり慎重に幼稚園選びをし入園させましたが入園した園は本当に酷い幼稚園でした。
少人数制のほうが先生方の目が行き届くと思い入園を決めたのですが、何か行事がある度に先生方は保育時間中に行事の準備に追われ、子どもたちは講堂に全学年集められアニメのDVD観賞でした。
入園説明会では臨床心理師が勤務しており子どもの精神面を考慮しているとのアピールでしたが、実際入園してみると全く違った物でした。そんな経験があったので幼稚園なんてどこも一緒!と言う気持ちでいました。
大阪へ引っ越してすぐに各幼稚園で説明会が始まりました。上の子の事があったので説明会へ行く意味はないと思っていました。
また、関東大震災を経験した直後で避難の対策を取らずにバスでの降園中に園児が津波に遭遇し犠牲になったニュースが頭から離れずにいましたので、何かあった時はすぐに迎えに行ける様一番家から近い幼稚園にしようと決めていました。その一番近い幼稚園が千里敬愛幼稚園でした。
「念のため行っておこうか」と億劫に思いながらも説明会に参加させていただきました。
見せる行事ではなく日々園児が楽しめる行事。と言う園長先生の言葉に納得し、ここなら上の子とは違った幼稚園生活をおくらせてあげられるかも?と光がみえた様に思いました。
ですがまだまだ半信半疑でした。家に帰り早速園長先生の過去の「こぼれ話」を読みました。
ホテルに忘れ物をした事、愛犬が脱走してしまった事、家の中が水浸しになってしまった事、普通の園長先生なら絶対書かないであろう内容を赤裸々に綴っているのを読み「ここにしよう!」と思いました。
「この園長先生なら大丈夫!!」と強く思った事を今でも忘れられません。
 震災で食べ物が放射能で汚染されている状況が続いていた時期の転勤でしたし、見知らぬ地で友達もおらず私は不安定な精神状態でしたが、敬愛幼稚園での生活が始まり参観へ行く度に息子は勿論ですが何より私自身が前向きになれました。子ども達が目の前の事だけに無我夢中で取り組んでる姿は、いつまでも過去に執らわれて今を楽しめていない私に生き方を教えてくれました。
子ども達の様に今目の前の事だけを考えて生活して行こうと思いました。
「ママ達の青春期」と園長先生がおっしゃっていましたが、幼稚園が大嫌いで嫌な思い出しかない私は息子の幼稚園生活を通して自分の幼稚園時代をやり直せた様な気がしています。
ゲリラ参観に沢山通って私も幼稚園生活を命一杯楽しみました。
また園長先生が月に1度発行していらっしゃる「せっせっせ」からも前向きになれる事を沢山教えていただきました。
障害を持ったお子さんを見る度に他人事ではない、もしかしたら自分もそうだったかもしれない、そうだった時自分はどうしていたかな?生きる希望を見出せていたかな?
いつも自分に問いかけていました。
いつかのせっせっせに園長先生の障害者に対する考えが記載されていました。その文面の最後に「障害者を受け入れ、手をさしのべる事は健康に生まれて来た物の使命だと思う」と言う様な事が書かれていました。今まで自分に問いかけ続けて来た答えがそこにありました。
息子が年中で障害を持ったお友達と同じクラスになった時、リレーが大好きで負けず嫌いな息子が言った一言が忘れられません。
「○○ちゃんが居るから、絶対勝てないよ」
他のお母さんが聞いたら何て酷い事を!と思われるかもしれません。
でもそれを言っている息子の表情は凛としていて嫌そうな表情は一切ありません。お友達の障害を受け入れての一言だった事がすぐに分かりました。
子どもは「健康に生まれて来た物の使命」を自然と理解しているのですね。今思えば私が子供の時に障害児と一緒に過ごした経験はありませんでした。一緒に過ごす機会があればもっと早くに気付いていた事なのかもしれません。
息子は大切な時期を千里敬愛幼稚園で過ごす事ができ本当に幸せでした。
プロの幼稚園に巡り会える事は私と長男の経験からも当たり前の様ですごく難しい事だと知っています。
子供が初めて社会に出る第一歩をこんなに素晴らしい幼稚園で3年間過ごせた事は本当に奇跡の様な出会いだったと思っています。
大阪に転勤が決まった時は絶望的でしたが、千里敬愛幼稚園に出会うための転勤だったのだと会社にも感謝しています(^-^)

※卒園して4ヶ月が経ち寂しい気持ちは実は卒園当初より今の方がひしひしと感じています。大好きだったママさん達と前の様に頻繁に顔を合わすことができなくなったこと。会う度に色んな話をして、時には悩みを聞いてもらったり、本当に掛け替えのない時間だったと痛感しています。
今日アルバムを見てもやっぱり切なくなりました。
でも息子の様に前だけ向いて!目の前の事を楽しんで!と自分に言い聞かせて頑張ります(^-^)


■親子で成長できた3年間
 「子どもが幼稚園に行きたがらないのは家でのお母さんの接し方が悪いからです」
 私が子どものとき、幼稚園に行くのを嫌がる私のことを母が先生に相談したときに言われた言葉です。母の呆然とした様子をなんとなく覚えています。
 紗雪が年少の冬休み明け、突然、幼稚園行かないと言ってきました。
 それまで、多少涙を流すことはありましたが楽しく通園していた分、どうしたんだろうという気持ちでいっぱいでした。
 そして、このことを先生に相談した方が良いのか。風邪をひいた事にして休ませた方が昔みたいに嫌な思いをしないで済むんじゃないか。
 今思えば、こんな悩みごとをしたこと自体、千里敬愛の先生には失礼だったと思います。
 先生は、紗雪の話をしっかりと聞き、解決して下さいました。多忙なお仕事の中で、たった一人の子の通園拒否を真剣に考えてくれる。そのとき、千里敬愛に入れて本当に良かったと思いました。
 年中になり、弟と一緒に通園するようになると、紗雪は一気にお姉さんになりました。
 園で教えてもらった歌を一緒に歌ったり、速く走るコツを教えてあげたり。
 そして、あまり闘争心のなかった紗雪が闘争心むき出しの弟に触発されてか、勝ち負けを意識し始めました。この闘争心の芽生えから、運動会で姉弟の紅白が別れたときには家庭での喧嘩の原因にもなりました。幼稚園の行事でこんなに熱くなるなんて、想像もしてませんでした。
 翌年も、姉弟の紅白が分かれ、2人の運動会は24時間でした…。
 年長になるとそれまで以上に色々な姿を見ることができました。リレーで必死になりすぎて、泣きながら走る姿。お茶会で音をたてないように慎重に歩く姿。
 発表会で担当したグロッケンは、家で紙鍵盤を作ってあげると嬉しそうに練習していました。その万里一空な姿は、我が子ながら感心! 本番、演奏が終わった後の誇らしげな顔に涙が止まりませんでした。
 頑張ってるけど微笑ましい。そんな姿は千里敬愛に来てなかったら見られていなかったと思います。
●紗雪へ
 誰に似たのか人見知りもなく、いつもニコニコ愛想の良い子。人見知りで無愛想なお母さんはそんなあなたを羨ましく思うこともありました。でも、あなたのおかげでお母さんは何十年前の幼稚園嫌いを克服することができました。
 3年間ありがとう。
 もちろん、これからも宜しく!



■娘の自己表現として
 卒園式にて、
 「たけたにとうこさん」「はい」
 三年間喋らずに過ごし、最後の日に燈子は初めての返事をしました。
 「今、とうこちゃんしゃべった?」「とうこちゃんはしゃべらないから空耳じゃない?」と周りのお友達。
 燈子には三年前に卒園した兄がいます。その兄も三年間幼稚園では喋らず、卒園式の日に、「ありがとう」の一言だけを言って卒園していきました。
 その兄に続いて入園した燈子。わざと兄の真似をしているのか自然とそうなるのか…
 どうして二人とも喋らないの?
 嫌なの?恥ずかしいの?
 最初は全く分かりませんでした。
 しかし徐々に気づきました。何もしないのも黙っているのも自己表現の一つなんだということに。
 だって何もしなくて黙っている方が余計に目立つのですから。
 特に燈子の目立ち方はすごかったです。
 何もしないから音楽遊びは園長先生の膝の上、縄跳びは跳ばないから最後の一人になってもコートに座っている。この子はこうやって自分の意思を通していたのです。
 全く何もやらなかったわけではありません。
 年少年中ではやらなかったリレーもサインペンも描画も自分でご飯を食べることも着替えも、年長になったその日から何事もなかったかのようにやり出しました。
 全て自分で「やる」「やらない」を決めた上での行動だったのです。
 周りに流されないという意味ではすごい根性です。
 でも、それ以上にすごいのは、こんな迷惑な意志を先生方はじめ周りの方々が否定せず認めてくださったことです。やりたくなくても少しでも幼稚園生活が楽しめるようにとたくさんたくさん声をかけてくださり抱っこしてくださり笑顔を引き出してくださいました。担任の先生だけでなく主任の先生方、園長先生にまでとても気にかけていただきました。たくさんのママさん達が温かく見守ってくださいました。
 集団生活で「やらない」ことを認めてもらえるのはそうそうないことだと思います。
 先生方はもちろん、楽しいからやってみようよと根気よく促して下さり、そのお陰でたくさんの楽しいことを知ったのも事実です。でもいつも子どもの気持ちを第一に考えてくださいました。だから燈子も最後の日には返事をして「ありがとう」を言おうと決めてくれました。
 この、幼少期にありのままの自分が認められたこと、これはこの子の人生においてとても大きな意味を持つと確信しています。
 これからの人生においては周りとの協調が大切になり、勝手な行動は(自分だけやらない、しゃべらないことも)悪いこと、迷惑なことだと習うでしょう。
 でも心配はいらないと思います。きっとこの先はみんなと同じように学校生活を楽しんでくれると思います。
 なぜそう言えるのか?それは今は小学三年生になっている兄が、幼稚園のときに「やらない」「しゃべらない」だったのが嘘のように協調性を持ち、活発に学校生活を送っているからです。
友達とケンカをしたり、先生に叱られることもたくさんあります。でも、根底に幼少期に認められた自分があるから何があっても強い心で乗り越えています。今後もそうだと思います。
 もし千里敬愛でなかったら…、みんなと一緒であることを強要されたかもしれません。小さな自己主張は受け入れられなかったかもしれません。それ以前に問題児扱いされ入園拒否だったかもしれません。
 だから千里敬愛幼稚園に出会えてよかった。千里敬愛幼稚園に出会わなければいけなかったのです。
 素敵なご縁でこの幼稚園の園長先生と先生方、お友達、ママさんたちと出会えたことに感謝しています。
 六年間、本当にありがとうございました。



■限りない未来に
 入園願書を出す秋、私は人生最大に迷っていました。どこの幼稚園がいいのだろう?私自身のことでもこんなに悩んだことはありませんでした。世間では少子化が叫ばれる中、周辺には大規模園ばかり。小さくても1学年100人規模の幼稚園。大規模園では一人一人の子どもに目が行き届かないのでは?外遊びはたくさんあるかな?お母さんたちの雰囲気はどうだろう?先輩ママから幼稚園を見極めるポイント(?!)もたくさん聞き、色々思いを巡らせていました。
 最終的に、家から近く、子どもがのびのび出来そうな千里敬愛幼稚園を選びました。
 大規模園ですが、他のクラスの先生も、「理玖くん!」と名前を憶えていてくださって、お預かりの際も担任の先生以外でも私の顔を見るだけで理玖を呼んでくださる先生もいてすごいなと思いました。
 体を動かす活動や、外で自由に遊ぶこともできたようで、(理玖が幼稚園で一番好きな場所は海賊船とのこと)入園してすぐに良い選択だったと思いました。
 入園式の日から一ヶ月は泣きながらの登園でした。入園前には保育園の一時保育などを利用していたので私から離れることは慣れていたはずなのですが。
 ある日理由を聞くと「寂しい」と。
 でも幼稚園に行くことは「楽しい」。
 足は、園に向かいます。
 今思えば小さなココロは戦っていたのでしょう。
 年少の間は本当に大変な徒歩通園でしたが確実に脚力はつきました。
 年中の時には二番目の子を授かり、一年間バス通園に切り替えました。バスには仲の良いお友達もいたので毎日楽しく通園しました。お産の前後にはバス停のお母様方にもいろいろとお世話になりました。この場を借りてありがとうございました。
 そして年長になって小学校の通学を見すえてまた徒歩に。年少で鍛えた脚力が活きました。お隣の小学校へ行くので幼稚園に来た道が通学路になります。雨の日も歩くように頑張りました。この一年間、通園に付き合った妹にもありがとう。歩きながらお話したり、怒ったり。笑ったり。かけがえのない時間でした。
 卒園直前の行事では自分の子どもだけでなく、すべての子ども達の成長に感動しました。
 出来ないことでもチャレンジするチャンスがある場でした。そしてみんなの応援がありました。母の立場からは「なんでできないの~」と思うこともありましたが、チャレンジする姿勢は子どもにとって大きな経験になったと思います。私自身も見守ることの大切さを学んだような気がします。
 今日の卒園式では千里敬愛幼稚園を卒園した先生が、いま担任の先生として卒園生を送り出しているという園長先生のお話がありました。
 たまたま最近、ピアノの先生のお引越しが決まり、先生が変わるという連絡があり、そのことを話すと、「理玖もピアノ卒業しようかな」と言い出しました。「ピアノ続けたら敬愛幼稚園の先生になれるかもしれないよ」と言ったら「えええ!」と驚いていました。その後「それはいいわ~」との回答でしたが。この文集のオチは20年後?
 子ども達の顔を見ていると限りない未来があるのだなと実感します。
 千里敬愛幼稚園で出会った皆様本当にありがとうございました。
 理玖、卒園おめでとう!
 将来を楽しみにしています



■たくさんのありがとう
 この園で卒園式を迎えられて本当に嬉しく思っています。
 文集を書くにあたり、これまでの育児生活を振り返ったり、アルバムを見たりしました。また、残り少ない年長・年少の娘たちと手をつなぎ歩いての登園を楽しみました。
 第一子だったのですべてが初めてのことで、あのときは大変だったなという思い出がたくさんですが、今は「ありがとう」に尽きます。
*元気に大きくなってくれてありがとう
 誕生後は細くて小さくて、母子手帳の成長曲線は常に一番下。いつまでたってもムチムチしない筋肉質のお嬢さんでしたが、大病もせず、お座り、ハイハイ、ヨチヨチとすべてが予想よりも早く、こんな小さい体のどこにこんなパワーが隠れているの?と思うくらいのお元気娘でした。
 2~3歳の頃は気管支が弱く、夜咳き込んでは吐いていた日々。
 年少さんに入った頃は月に一度はお休みしていたのが、年中・年長と成長とともにどんどん強くなってきました。
 年長で初めて迎えた千里敬愛幼稚園の7月のお誕生日会。転園が年中の9月だったのでお断りしてしまいました。今から考えると勿体ないことしてしまったなあという思いでいっぱいです。娘から10月のお誕生日会は…、11月は・・・と嬉しそうに、羨ましそうに聞いていました。
 お誕生日のお友達は制服でな、ネックレスして。そう、主役なんですね。
 7月の娘のお誕生日会が近づくと小出しにお誕生日会の情報を教えてくれ、リハーサルにも余念がありませんでした。舞台近くで娘と対峙したときはこの六年を思い涙があふれました。背も笑顔も、大きくなったなあと。
*いつも笑顔をありがとう
 一歳半の頃に下の娘を授かり、地獄の悪阻の日々。今から考えると可愛くて愛しくて仕方がない時期、私は娘の顔も見れない期間がありました。
 それでも寝る前に「大丈夫よ、楓ちゃんがいてるから、大丈夫よ」と私を抱きしめ撫でてくれたのは娘。小さな体でお母さんは大きな温かさに包まれたのを今でもよく覚えています。怖いお母さんだったのに娘はいつも可愛い笑顔で、また妹が誕生後もいつでも小さなお母さんをしてくれました。
 泣き虫さんだと思っていたけど、転けても泣かなかったよ、と教えてくれるようになりました。そのうち転けたことすら報告がなくなりました。
 小さい子が好きで、お歩きの年少さんと降園後公園で走り回る日々。なぜか周りには男の子が多く、でも男の子にも負けないくらいの元気さで楽しそうに走り回っている笑顔をたくさん見ることができました。
*たくさんの思い出をありがとう
 2人での時間は少なかったけれど、アルバムにはたくさんの写真があります。笑った顔、泣いている顔。寝ている顔。お母さんを叩いてしまって一緒に泣いている写真、笑顔ではないけど一枚の写真から思い出す出来事がたくさんあります。
 年少さんに入り、GW前に風邪を引き、小児科に行こうかと思ったら、「お化粧している」と言いながら、顔中お絵描きペンでカラフルに塗りたくっていました。まるで外国のどこかの民族のように。ほとんど消えず、そのまま小児科に行ったのもいい思い出です。
 生まれたときから髪が少なくて、年長さんの夏に初めて髪の毛を切りました。前髪すら二歳になる直前くらいでした。なので、母のカットで前髪を切りそろえた写真が数枚、ただそれだけのことだけど写真がありました。
 食べながら寝てしまった写真も私のお気に入りです。
 お母さんのお手伝いもしてくれ、小さな体で掃除機しているものや、一生懸命靴下を挟んだのが伝わってくる洗濯物。
 太い(薄切り)キュウリ。
*六年の記録をありがとう
 言葉を話し始めた頃から記念日手帳を作っており、今からはもう過去の思い出を書き出すことは難しいですが、汚い走り書きで初めて〇○をした日を少し書いています。将来手が離れていったときに私が寂しくないように。また子ども達が出産をしたときに話すのを楽しみに。記念日が重なったところは見るだけで嬉しくなりました。そんな言葉を読み返しては、イヤイヤ期で大変だった日々の心の支えとなるように。
 まさか同じように子どもの言葉を拾って、つぶやき集をまとめてくださる園に出会えるだなんて想像もしていませんでした。我が子と同時期の子ども達のたくさんの言葉、つぶやき集は記念日手帳とともに、私の宝物です。
*出会いをありがとう
 娘からつながるたくさんの出会いがあり、今があると思っています。
 最初の園が思っていたものでなく、必死に探して出会ったのがこの千里敬愛幼稚園でした。幼稚園ありきのお引越し。そのくらい幼稚園時代の子どもの心に与える影響を重要視しているので、園児一人ひとりに向けた温かいまなざしの園でたくさんの行事を経験することができて本当に感無量です。
 エプロンママは幼稚園での姿をたくさん見ることができました。また、「お母さんだ!」と嬉しそうな娘の笑顔を何度も見ることができました。エプロンママからクラスのお友達のママとも交流ができました。
 やはりミニミニ運動会・リレー大会の楽しさは抜きんでていました。クラス全体をママ達が応援する。お歩きでの登園だったので子ども達の顔と名前が一致し始め、応援にも力が入りました。幸い声援を送っても恥ずかしがらない娘だったので終了の頃には声が疲れ切っていたのも、いい思い出です。
*忙しさをありがとう
 幼稚園生活、お母さんも必死についていきました。感無量です。全力投球しました。そう言えるくらい、満足の三年間でした。願わくば、年少さんから千里敬愛幼稚園での姿が見たかったですが。
 特に年長さんに上がったとき、妹も入園で、さながらダブルワークのようでした。だけどこの一年は本当に楽しかったです。カレンダーを見れば、「今日はうぐいす、明日はばななか・・・」場合により一週間予定があったり、同日に時差で参観があることもありました。
 少ない'休日'は家で幼稚園関係をしていたり。忙しさは二倍だったけど、楽しさは三倍以上でした。面倒見のいい姉と、お姉ちゃんが大好きな妹。
 兄弟クラスでの色水遊び、なぜかうぐいすさんに混じって黄色い帽子が。いろいろ教えてあげ、邪険にせず一緒に遊んでいた姿を何枚も写真に収めてしまいました。
 忙しさにかまけて、半年もメモリッジの写真チェックを怠ったところ、二人分で百枚ありました。そこから半年分、まだたくさんの未発注の写真が待ち構えています。
 お母さんも楽しかったよ!と言える幼稚園ってなかなかないですよね。
 これからは小学校生活に突入しますが、きっとこの六年の思い出がこれからも娘にとっていい影響となると信じています。
 京都参拝のときに、西本願寺に響いた「おちかいのことば」と「仏教賛歌」は、丸くて温かい歌声で、3年の成長を思いました。「みほとけさま」という言葉が当たり前で、手を合わせることも当たり前。いただいたお念珠を持ってお参りに行きたいという娘の顔のきれいなこと。
 年中さんで途中入園し、直後は不安のあった娘をよく抱っこしたりと温かい目線で娘を相手してくださった伊奈先生、ありがとうございました!
 進級する直前の春休み、園にチューリップを見に行ったときに千葉先生が、「ふうちゃん!」と他のクラスの生徒である上に、途中入園だった娘に満面の笑顔で声をかけてくださいました。その千葉先生のクラスだったので嬉しかったのは娘と、母である私もです。一年間いつも元気いっぱいな笑顔の千葉先生を見られて、親である私もたくさん元気をいただきました。
 卒園式直前に風邪を引き、残念ながらリレー大会には参加はできませんでしたが、なんとか卒園式に間に合い、教室で先生から温かい言葉をいただくことができました。本当にありがとうございました!
 先生方にいただいたカノンの娘へ向けた温かい言葉、何度読み返しても幸せな気持ちになります。またその頃の私が書いた返信もいい思い出です。
 親と同じ目線で娘を見守ってくださった、園長先生をはじめ、すべての先生方、お母さん方、お友達のみんな、ありがとうございました!
●楓ちゃんへ
 卒園おめでとうございます。
 赤ちゃんの頃から小さくて細くて。だけど寝がえり、お座り、歩くのもお話も早く元気いっぱい成長してくれました。たくさん撮った写真の中のふうちゃんはひまわりのような笑顔ばかりです。そんなふうちゃんももう小学生なんだなあ。
 そして3年間一度もお弁当を残さなかったふうちゃん。皆勤賞です。「お母さん、お弁当作ってくれてありがとう」って空っぽのお弁当箱を見せてくれてありがとう。
 もう7歳が見えてきたね。
 実はお母さんも同い年なんだよ。これからもうまくできないこともあると思うけど、一緒に考え、楽しみ、乗り越えて大きくなろうね。いつも素敵な笑顔をありがとう。
 これからもふうちゃんの成長を楽しみにしているよ。



■3年間の変化
 「奏太は文集出すよね?」
 お手紙が入った翌日、何人かのお友達に聞かれたくらい、息子はこの3年で変わりました。
 2歳頃より子どもを怖がるようになり、公園でもお友達宅でも、私の半径1m以内から離れられなかった息子にとって、子どもだらけで私のいない幼稚園は不安な場所だったようで、入園式から大泣き。そこから夏休み前まで、毎朝大泣き。
 歩かないのでベビーカーで行ったら、途中で降りて家に向かって走り、ベビーカーは放置して生後半年だった次男をエルゴに入れたまま、奏太を小脇に抱えて登園したり、自転車で行ったらしがみついて降りてくれず、先生に助けていただいたり。
 ストレスなのか、2週間置きに高熱を出したり、一時期はお弁当も給食も、家でおやつさえも食べなくなってしまったり、着替えないと部屋に閉じこもったりと、毎朝が戦いでした。
 泣き暴れる息子を引き剥がすように先生にお願いして帰ると、なんだか悪いことをしたような気持ちになり、息子の泣き顔が忘れられず、私も泣きそうになりながら帰っていました。
 少しずつ慣れてきたものの、夏休みが明けるとまた振り出しに戻った息子に変化が現れたのは「毎日が運動会」でした。
 赤ちゃんの頃からあまり執着のない子だったはずが、実は勝負にこだわるタイプだったようで、毎日色々なクラスと対抗する日々に、ついに楽しかった!と帰ってくるようになりました。
 突然芽生えた勝負心は、年中では負けず嫌いになり、初めてのタイヤ取りでは、劣勢になると大号泣、途中から泣かずに戦えるようになったものの、必死で涙を堪えて引っ張る姿に、年少ではあまり見られなかった闘争心の芽生えも感じました。
 そしてマンションのお友達とラップの芯のバトンを持って、毎日のように練習をして迎えた年中のリレー大会、初めての優勝を味わい、ここからリレー大好きになりました。3年間を通して一番楽しかったのは、リレーだそうです。
 年中にはもう幼稚園を嫌がることもなくなったものの、まだ特定のお友達としか遊べなかった息子でしたが、ぺんぎん組での1年間は驚きの連続でした。
 まずは春、逆上がりの練習が始まったのですが鉄棒が怖くて補助してもらっても身体がガチガチで回ることすら出来ず、園庭の鉄棒には恐らく触ったこともなかっただろう息子がある日「逆上がりの練習をした!」と帰宅。
 先生が何と声をかけて下さったのかは未だ不明ですが、急にやる気スイッチが入り、その日から朝も昼も講堂に通い逆上がりの日々。
 参観で出来る子が増えていく中で、惜しいけどあと一歩で悔しそうにしている姿に、夏休み中には何とか!と体操教室の逆上がり特訓を申し込んだ翌週、お迎えに行くと「出来た!」と言われ、ビックリ!すっかりコツを得ていて、早速何度も回って見せてくれて、その得意気な笑顔に感動しました。
一緒に練習していたお友達が出来るようになり、焦る息子に松浦先生が、「今一番ぺんぎんで惜しいのは奏ちゃんだよ!」と励まし、練習に付き添ってくれ下さっていたようで。
 この後、同じく怖がっていた自転車にも乗れるようになり、先生と出会ってなかったら、恐らく今も逆上がりは出来ていないと思います。
 運動会前はリレーはもちろん、馬跳びも仲良しのお友達とペアでスピードを極め、リレー大会前は休み時間もずっとお友達とリレー。
 この頃から男女問わず色々なお友達の名前が挙がるようになりました。練習の成果か急に足が速くなり、アンカーで順位を上げてゴールする姿に私だけでなく、みかん組のときのお友達にもビックリした!と声をかけていただきました。
 そしてリレー1日目は昼休みもまたすぐリレーの練習をしていた息子達は、2日の大会を終えた昼休みは次の縄跳び大会に向けて縄跳びをしたそうで。
 その日からは縄跳び一色の毎日が始まりました(笑)。
 年長さんになったときは一回しか跳べなかったのに、「先生が長くしてくれたら跳べるようになった」と本当に長さだけで!?というキッカケから日々タイムを伸ばしていき、「今日も〇〇と縄跳びしたー!」とほぼ同じメンバーが挙がり、お友達と言うより部活仲間のような感じだなと思っていたら、大会で名前が挙がってた子はみんな60秒を後ろで跳んで、余裕の安定感でクリア。そして100秒も真っ直ぐ前を見て、軽々と跳んでいる息子と仲間達の姿に、勝敗が付く前にすでに目頭が熱くなりました。
 年少の頃、文集の最初は大変だったけど幼稚園が大好きになったという話を読んで、そんな日は来るのか!?と思っていた我が家にもそんな日がやってきました。悩んでるお母さんの救いに少しでもなればと、寄稿します。
 この3年間で本当に見違えるように逞しく成長してくれて、この1年では努力すれば結果が出るということが分かったと共に、縄跳びの日々の中で、ある日急に、「発表会のハーモニカがヤバイ!」と縄跳びを数日やめて、教室でハーモニカ特訓を開始。2日後「完璧!」と音符で歌って聞かせてくれたりと、自らやる気スイッチを入れられるようにもなったようです。
 卒園式で松浦先生が、「奏ちゃんは本当に頑張り屋さんだった」と言って下さったのですが、頑張り屋さんスイッチを押して下さったのは先生だなぁと、色々なことが思い出され、涙、涙の卒園式でした。
 いつも温かく見守って下さった先生方には、感謝でいっぱいです。3年間本当にありがとうございました。
そして今年からまた新たな3年、次男共々よろしくお願い致します。



■泣き虫さんが
 とうとう卒園しちゃいました。
 これが今の私の本音です。長いように思っていた7年間でしたが、あっという間に終わってしまいました。
 3月生まれの秀路は、3歳になってすぐ幼稚園に通い始めました。入園式では大号泣だったけれども、年中に兄がいたせいか、次の日は泣くことなくバスに乗り、見送る私の方が拍子抜けしました。しかし、それも数日しかもたず「幼稚園に行きたくない」が始まり何とかバスに乗せた事を思い出します。
 秀路は何をするにも初めてのことに慣れるまで時間がかかり、そのくせ嫌なものは嫌で、自分が納得するまでは絶対にやらないタイプ。なので年少のときは、「靴下は脱ぎたくない」「土粘土や塗たくりは汚れるからやらない」と泣いて遠藤先生や小野先生にいつもご迷惑をお掛けしてました。
 母親として3人目の子育てなのに、上2人とは違う様子に不安で悩みました。そんな不安を先生方に話すと遠藤先生は、毎日電話を下さり、園での秀路の様子を教えて下さいました。毎日電話を下さる遠藤先生に申し訳ない気持ちで一杯でしたが、母親としては凄く気持ちが楽になりました。先生方が気長に対応して下さったお蔭で秀路が自分から靴下を脱いだ日、凄く嬉しそうに教えて下さったこと、今でも忘れられません。
 年中に上がると兄がひつじ組だったのでひつじ組が良かったと初日から泣いて佐藤先生から電話がありました。しかし、それ以来泣くことはなく年中生活を楽しんでいました。
 発表会活動が始まり、「魔笛」のお話を初めて読んでもらった夜に、「発表会のお話が怖いから幼稚園に行きたくない」と泣き出しました。私は発表会を楽しみにしていただけにどうしたらいいのかわからず、佐藤先生に相談しました。
佐藤先生は秀路の思いを聞き入れてくれて、最初はみんなが発表会をしているのを見てるだけにしてくれたり、楽器を鳴らす役にしてくれたりと色々考えて下さいました。そうして発表会活動をしていくうちにお友達が、「一緒にしよう」と言ってくれて、少しずつですが自分から発表会をするようになりました。佐藤先生やきりん組みんなのお蔭で発表会当日ハラハラすることもなく観ることができました。
 年長になると、お兄ちゃんも卒園してしまい、バス停も1人になり大丈夫なんだろうかと不安から始まりました。案の定、年中のときと同じように初日から泣いたと大久保先生から電話がありました。でも、よく聞くと泣いたのは少しだけで活動に入るとニコニコしていたと言われて一安心でした。3年目にしてようやく幼稚園に慣れ、年長になったという自信も付いたのか、今までとは見違えるように積極的になりお友達もいっぱい出来ました。
 そして、今まで話してくれなかった幼稚園でのことも話してくれるようになり、つばめ組が楽しいと毎日言っていました。
 縄跳び大会では60秒と100秒跳べたこと、「王様と私」では役になりきっての迫真の演技、そんな秀路の成長がすごく嬉しかったです。
 発表会での歌と合奏のボックスホン。見事じゃんけんで勝ち残り、「ボックスホンすることになった」と嬉しそうに話してくれました。バスが3便でなかなか練習する時間がなかったので、「練習したいから、送りにして」と何回も頼まれました。私は、「え〜、送っていくの」と言いながらもそんな秀路の頑張りが嬉しくていつも送っていました。
 マックプール、お茶会、プラネタリウム、お泊り保育、縄跳び大会、京都参拝と年長でしかできない行事。秀路にとってどれも楽しかった思い出だと思います。
 上の子の入園から7年間、色々と悩んだこともありました。でも、そんなときはいつも先生方やたくさんのお母さん方に支えられて私もここまでやってこれたと思います。
 もう幼稚園に行けないのか…と寂しい気持ちで一杯ですが、楽しかった思い出を大切にして私も前に進みたいと思います。
 最後になりましたが、園長先生はじめ、お世話になった先生方、仲良くしてくれたお友達、お母さん方本当にありがとうございました。千里敬愛幼稚園で過ごした7年間、子ども達も私もかけがえのない宝物です。
*秀路へ
 秀路、卒園おめでとう。
 泣いてばっかりで、なかなか自分を出せずにいた秀路が年長でたくさんのお友達が出来て、楽しんでいる姿を見てお母さんはすごく嬉しかったよ。
 家では甘えん坊だけど、幼稚園では何でも積極的に頑張っていたね。
 発表会で大久保先生からもらったメッセージ「夢はきっと叶う。」の言葉を信じて何でもチャレンジして欲しいな。
 お母さんはいつも側で応援してるよ。



■親も青春!
 親も青春してください!
 入園式のとき、園長先生が言っていた言葉が頭にずーっと残ってました。
 親も青春??
 と思いながら、ドキドキしながら親子で登園していました。
 けれどもすぐに、その意味を実感。体験させられました!!
 幼稚園行事がとても多く、その都度、母達も一緒に同じ気持ちに!
 そして無我夢中に子ども達の応援!!
 なかなか大人になってから、こんなに熱くなったり、悔しくて泣いたり、嬉しくて泣いたりすることが少なくなってきた中、昔に戻ったとき、いや、それ以上に一生懸命だった気がします。
 「やればできる!!」
 という事を子ども達の頑張りから実感させられ、私も一緒に何かに挑戦したくなったのを覚えています!
 我が家は兄弟が多いせいか、競い合い多かったんですが、「毎日が運動会」を経験してからさらに、走ったり…走ったり…またまた走ったり…笑。常に競争で…笑
 1位という喜びを、2位3位…だったときの悔しさを、たくさん経験したからこそ色んな思いを知り、そして、思いやりを持ってくれたのかなと思います。
 みんなで力を合わせる大切さ…。
 一人だけではなく、お互いがそれぞれ苦手なところをカバーしあう…という場面をたくさん見せてもらった気がします。
 そしてお友達を素直にすごい!と思える気持ち。
 年少さんの頃は、〜くんがおこられてたーとかだったのが、年中さんになり、〜ちゃんと遊んだ、〜ができた!
 年長さんになると、お友達の素敵な所を見つけれるようになり、〜ちゃんの歌声めっちゃきれいねんで!〜ちゃんの笑った顔が好きやねん!と、たくさんのお友達の素敵なところを話してくれる姿をみて、とても嬉しくなりました。
 卒園式を終え、先生との毎月楽しみにしていた「かのん」を年少から年長まで読み返しました。読みながらそのとき、そのときの様子、感情が思い浮かび…。
 「かのん」は、私達の宝物です!
 振り返ると毎日…そして毎年、本当に色んな思い出がいっぱいだったなぁ〜と…涙。
 子どもよりも母の私の方が三年間楽しませてもらったんじゃないかってくらい、たくさんの素敵な人と出会い、本当に心の底から笑い、泣き、たくさんの感情をださせてもらった気がします!
 大好きなお友達ができ…たくさんのことを教えて、伝えてくれた先生!見守ってくれていた先生!
 そして青春の場所をつくってくださった園長先生!子ども達にも、私達にもたくさんのステキな経験をさせていただき、本当にありがとうございました。
 弟達の幼稚園生活、残り一年間…最後の一年も最後まで、めいっぱい親子ともども楽しませていただきたいと思います!



■一度は諦めていた幼稚園
*桜助へ
 ご卒園おめでとうございます。
 3年半、よく頑張りましたね。

 桜助は、みんなよりも発達が遅く、生まれつきの瞼の病気もあって、幼稚園は諦めていました。
 ふと、見つけた千里敬愛幼稚園のホームページの園長先生の障害児と健常児について書かれているのを読み、すぐ主人と千里敬愛幼稚園に向かい、突然の訪問にもかかわらず園長先生とお話ができ温かいお言葉で迎えて下さり、帰り道、主人と涙したのをつい最近のことのように思います。
 新ブルーポッケ、すいか組、くま組、あひる組と3年半、お友達に支えられて助けてもらって、リレーのとき、次のお友達にタッチができるようになり、おむつが外れて、おしゃべりができるようになって、お歌が歌えるようになって、お友達の名前を覚えられるようになって、ここには書ききれないほど成長しました。
 想像を超えるほどの成長に家族で驚いています。これも、先生方やお友達のおかげです。本当にありがとうございます。
 千里敬愛幼稚園に通えなくなるのが寂しいですが、桜助は小学校という次のステップに進みます。
 難しいこともまだまだあるので心配と不安でいっぱいですが、幼稚園で頑張ってこれたので頑張れると信じようと思います。
 おうちゃんなら大丈夫。大丈夫。 
 園長先生、先生方、お母さま方、ご迷惑ご心配かけたことたくさんあると思いますが、温かく見守っていただきありがとうございました。



■笑顔の4年間
 順番待ちだったポッケに空きが出たと、1週間前に連絡が来て急遽ポッケの入園式に行ったのが、ひよりの千里敬愛幼稚園生活の始まりです。
 週2ですが初めての母子分離でとても心配だったのを覚えています。
 最初は誰一人知り合いもおらず、心細くて泣いたりしてないかな?といった母の心配をよそに、ひよりは一度も泣かず、毎回楽しんで通っていました。
 にじ組になり週2から週5へ保育時間が変わりましたが、沢山お友達もでき、ホームページの写真でも笑顔の写真ばかりでした。
 初めての運動会では小さな体で一生懸命ぶら下がったりよじ登ったりと、微笑ましく見ていたのがつい昨日のことのようです。
 年少になると、塗たくりや誕生会等の行事が加わり、ますます楽しそうでした。活発な性格で男の子達とよく戦いごっこをして遊んでいました。
 ところが年中になると、新学期にとても不安定になり、「ママがいい〜」と泣いていると、担任の先生から電話がかかってきました。それも何度も。既に2年間も園生活を送り、一度も泣いたことがなかったので、これには私もびっくりでした。少し周りが見れるようになって、新しい環境の変化に心がついていけなかったようです。
 それでも先生が気にかけて何度も連絡を下さったお陰で落ち着き、いつもの笑顔に戻りました。
 年中では、リレーや造形遊びはもちろん発表会にとても意欲的に取り組んでいました。発表会前参観では園長先生と話し合って立ち位置を決めている娘の姿に、ただただ驚くばかりでした。
 年長になると、ぐっと成長しました。今までの落ち着きなかった様子が一変し、先生の話をじっと聞く姿が見られ、あまりの変わりように園生活が楽しくないのかと心配するほどでした。
 「ちゃうねん。先生の話ちゃんと聞いてるんやで」っと言われて初めて成長を認識しました(笑)。
 他にも沢山の成長がありました。
 はと組はリレー等の競技は、クラスで一番になれたことがなく、悔しい気持ちが芽生えました。
 水が嫌いだったのにマックプールは大好きで、あと何日でプールの日?と心待ちにする日々でした。
 造形遊びでは眉間に皺をよせて真剣に釘を打っていました。
 発表会では練習のときからずっと誰よりも声を張り上げて、力強く演じきりました。
 年長の成長は書ききれません…。
 そして楽しい幼稚園の時間を少しでも長く過ごすために、「朝一番に行きたい!」「帰りはギリギリまで遊びたいからママ早く迎えに来ないでね!」と言われるほどでした。たまに早く迎えに行っても私の姿を見るとお友達と隠れて逃げ回っていました。園後も毎日、幼稚園の前の公園で日が暮れるまで遊んでいました。風の日も、小雨の日も、雪の日でさえも。
 下の妹もいるので毎日正直へとへとでしたが、今思えば私も一緒に楽しんでいたんだなぁと思います。4年間のエプロンママと参観、ゲリラ参観は行ける限り通いました。卒園した今、母としてやり切った思いをとても強く感じています。子どもに寄り添って過ごした時間は私にとって宝物でした。
 思い返せば、この4年間思い出すのはキラキラの娘の笑顔ばかりです。ひよりに沢山の笑顔をくださった先生方、お友達、お母さん方、本当にありがとうございました。素敵な充実した幼稚園生活を親子共に過ごすことができました。
 千里敬愛幼稚園に通うことができて本当に良かったです。



■子どもに寄り添えて
 約3年半前、とても内弁慶だったため一時保育にも預けたことがなかった息子に9時の園バスに乗り、15時過ぎに帰ってくるにじ組さんの生活が始まりました。
 案の定、初めの2週間は大泣きしながらバスに乗っていきました。ホームページの写真には泣き疲れて、教室の隅っこで一人お昼寝をさせてもらっている写真をたまに目にしました。頑張っている息子の姿に心を打たれたものです。
でも、バスから降りてくるときには毎日にこにこ笑顔でホッとしていました。
 1か月が経ち、信じられないくらい沢山のお友達ができていて、お友達と遊んだ話をしてくれたり、先生からも園での活発な様子を聞くようになりました。大袈裟かもしれませんが、自分で大きな壁を乗り越えた息子に感動しました。
 保育が始まるまでやバスに乗るまでの間に園庭で、他の学年のお友達と関わる時間が沢山あったり、バス停のお兄ちゃんお姉ちゃんと遊ぶ中で、優しくしてもらったり、ときには揉まれて様々な経験や思いをすることで心が逞しく育っていったように思います。
 さて、もう大丈夫と思っていたら、参観では私を見ると帰りたくなって泣いていました。にじ組さんの運動会でも私と家に帰りたくなってしまい1人だけ泣きながら走り、表彰式ではトロフィをもらう役にしていただきましたが、そこでも泣いていて、先生に抱っこをしてもらってトロフィを持っていた姿が鮮明に蘇ります。
 年少さんになると本当に我が子かと目を疑うほど活発になっていました。参観でも泣かなくなりました。相変わらず他の場所では人見知りも場所見知りも激しかったのですが、幼稚園では家と同じ息子でいられていました。息子にとって幼稚園は安心できる場所でした。
 陸、沢山のお友達に出逢えて、先生方にも可愛がっていただいたね。絵を描くことが大好きになったね。年少さんのときは怖がっていた塗りたくり遊びも、年長さんになると真っ白になるくらい楽しめるようになったね。ゾンビかと思ったよ!
家で幼稚園でのお話をしてくれたり、お歌を歌ってくれてママは嬉しかったよ。
 毎年の運動会、リレー大会、発表会、一生懸命取り組んだね。ママはどの姿も覚えています。
 幼稚園に行く機会が多く、成長していく姿を見ていくことができて、それは私の宝物です。
 親子共にまわりの人に恵まれ、成長させてもらった3年半でした。息子は子どもらしくたくさん笑って、元気いっぱいの毎日を過ごしました。
 千里敬愛幼稚園に通うことができて本当に良かったです。3年半ありがとうございました。



■敬愛のビックウエーブに乗って
 「ねぇねがいないと無理!」
 そう言ってお姉ちゃんの病欠に便乗してブルーポッケを休んだこともありました。
 にじ組が終わると、あひる組の前でお姉ちゃんの出待ちをしている小さな背中と青色カバンを何度も見かけました。
 それが秋を過ぎる頃にはお姉ちゃんの方が寂しがるほどに一変し、虎汰郎は早々と敬愛のビッグウェイブに乗って行ったのです。
 次はねぇねと同じ大きい組になるんだよ!と言ってぶどう組に進級、くま組では千葉先生言うところの「わいわいグループ」に属し、はと組では友達のお母さんに「F4」と名付けられた4人組で、flowerのfじゃなくて、おふざけのfでごめんね、と言い続ける様な日々でした。
 年中のリレーが始まった頃、なかなかゲリラ参観に来ない私に、「なんでお仕事してるの?お金足りないから?」と涙をためて聞いた息子を見て、これ以上何1つ見逃したくない!パートを辞め再び応援三昧の日々、私も敬愛生活を味わい尽くしました。
 運動会もリレー大会も全力でした。にじ組の頃から勝負に熱くなるタイプで、いつもクラスで勝ちたいと思っていた虎汰郎。チーム優勝だけでも出来たから良かったね、と言うと「ちゃうねん!クラスの勝ちの方が大きいからクラスで勝ちたいねん」と言う彼に幼稚園生活のあれこれが詰まっているようでした。
 あっという間に最後の発表会。
 「やんちゃ坊主が泣いた!」
 新聞を書くとしたら見出しはこうです。
 発表会の大詰め辺りで、「俺、お部屋で泣いちゃってん」「園長先生の前では泣くの我慢した」と言うのを聞いたときは衝撃が走りました。
 更には、「なんか悲しい歌好きやねんなあ…」「なんで人は戦うんやろな、死ぬだけやのにな」そんな事まで言い出して。寝る前に「今日見たうぐいす組の発表会思い出して悲しくなっちゃった」と泣き始めたり…。
 剣や刀を振り回しているだけじゃなかった!しっかり心も成長してる!色々考えて演じている!最後に私の目の前で泣くのをこらえてお辞儀をする息子を見ながら、親子で楽しかった四年間を思い、号泣しました。
 友達と喧嘩して、「俺明日から幼稚園辞める」と宣言した顔も、夏休み明けにくま組の窓辺で、ママがいい、とこっそりと泣いていたことも、自分のことを「ばぶ」と呼んでいたポッケの丸いほっぺたも、冬なのに半袖で走り回っていた姿も、ふざけてばかりの変顔も、次々に思い出す幼稚園での全てが昨日のことのようで、愛おしくてなりません。
 幸村と兄の絆が心に重なります。
 千里敬愛で築いた基盤を大事に大事にして大人になって欲しい、そう願いながら卒園式後にはと組の部屋で最後に聞いた子ども達の歌とセリフばかり思い出してしまいます。
 「もう会えなくて寂しく悲しいけれど、そばにいるずっといつでも一緒、ずっと、忘れない!」
 園長先生、島田先生、全ての先生方、お友達の皆さん、やんちゃ坊主をありがとうございました。



■幼い頃から決めていた園で
 私が竹見台幼稚園に通っていた頃から、千里敬愛幼稚園はとてものびのびとした幼稚園で評判が良かったので、自分の子ども達を行かせるならここに…と決めていました。
 それでも入園説明会を聞いた後はとても寂しく、未だ眞子を手元に置いておきたい気持ちが強くなり、園長先生に年中からの入園についてお聞きしたところ、やはり年少から幼稚園生活を始めたほうが子どもには良いとの即答をいただき、不安とともに入園したことを、ついこの前のことのように思い出します。
 年少のすいか組では、初めての経験ばかりで、私も眞子も不安な時もありましたが、山岡先生と山内先生の温かいサポートのおかげで眞子も徐々に園生活に慣れていくことができました。今でも山岡先生の笑顔を見るとホッとします。
 年中のくま組のときには年少に妹が入園、秋には弟も産まれて、一層眞子がお姉さんらしくなってきた時期でもありました。千葉先生にも産後に大変なことがあれば何でも言ってくださいと嬉しいお言葉ももらいました。とても心強く思い、安心できたのを覚えています。
 そして…年長のかもめ組。眞子の敬愛生活、最後の一年にふさわしかったものであったと思います。福田先生に出会えて、かもめのお友達と一年間を過ごせたことや、たくさんの素敵な思い出を作れたことは、これからの眞子の人生の中で楽しかった記憶として、折に触れ思い返すことでしょう。
 それにしても、最後の発表会…。
 年少のときは、「2年経てば、年長さんのように人の心に響く表現や合唱ができるようになるのかな?」と思って拝見していましたが…確実に子どもは日々成長しているんですね。福田先生の指導力はもちろん、子どもたち同士の信頼や自信が豊かな表現力になり、見ている人にあれほど感動を与えられる発表会を作り上げれたのでしょう。今思い出しても、胸が震えます。
 発表会だけではなく、幼稚園でのプールの最後の日には、皆でプールに「プールさん!ありがとうございました!」とお礼を言ったり、縄跳び大会ではトロフィー授与に親子共々大喜びしたり…。リレーでは本当に勝てなかったけど、勝ち負けではない、もっと大切なものを福田先生に教えていただきました。それはきっと眞子の心に伝わっていると思います。
 今日で卒園して、眞子の幼稚園生活が終わりました。
 年少時に通園バスの中で覚えてきた「みんなの未来」…。いつか本番で聞くんだろうとは思っていたけど、その日は思った以上に早くやってきました。皆の力強い歌声を聞いて涙が止まりませんでした。
 でも子供はたくましいです。幼稚園は大好きだったけど、もう前を向いて小学校の生活を楽しみにしている眞子もいます。こうやってどんどんどんどん成長して私から自立していくのでしょう。千里敬愛の3年間、眞子の人生において人との関わり方の基礎を作っていただいた3年間だったと思います。本当に千里敬愛幼稚園に決めてよかったです。感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんの思い出をありがとうございました。
*眞子ちゃん
 ご卒園おめでとうございます。
 本当に早かった3年間、ママも泣いて笑って、声を枯らして楽しみました。ありがとう。
 4月からは小学生だね。もっとゆっくりと大きくなってほしいけど、ママはずっと眞子ちゃんのことを応援しています。
 これからもよろしくお願いします。



■泣き虫の立場が逆転
 まだ雪が舞う寒い日の朝、歩いて幼稚園へ向かう道のりで。
 「あと何回一緒に歩いて幼稚園行けるかな?」
 「あと2回は絶対行けるでしょ!発表会と卒園式は歩いて行くでしょ!」
 「ママね、みーちゃんを自転車に乗っけてモリモリ自転車を漕ぐのも大好きだけど、手を繋いで色んな話をしながら、道草もしながら、時間をかけて歩くのも大好きなんさ。もうそれもできなくなるね。また歩いて幼稚園いこな」
 まだまだ卒園の実感なんて微塵もないんだな。寂しさを感じ出したのは私だけか。
 そう思ったあの日から、今日まであっという間どころか、ほんの一瞬で過ぎてしまいました。卒園式を無事に終え、私服姿が見慣れて来たと同時に、終わってしまった寂しさがこみ上げて来ます。幼稚園の思い出と心の整理整頓で、私も園ママ卒業です。
 4年前、ピンクポッケの初登園の日、何の戸惑いもなく、振り向きもせずバスに乗り、窓から満面の笑みで手を振って行ってしまったね。みーちゃんの幼稚園生活は何の心配もなく始まりました。火曜日と金曜日を心待ちにし、毎回本当に楽しそうに通ってくれました。
 年少さん、待ちに待った毎日幼稚園。朝、先生の姿を見つけると、サッサと走って行ってしまうけど、参観やエプロンママでお邪魔すると、寂しくなってママから離れられなくなることもありました。足を絡ませ、ものすごい力でしがみ付いて離れなかったとき、困ったフリはしていたけれど、まだまだママが大好きな甘えん坊なんだなって、内心はとても嬉しかったことを覚えています。
 ニイニがいないのは嫌だ、寂しいし不安だな…。涙を流しながら始まった年中さん。朝は必ず、ママの手から先生の手にバトンタッチ。先生がお部屋にいないと見つかるまで探しました。先生は、打ち合わせの最中だったり、講堂や園庭で作業の最中だったり、どんな時でも、娘の姿に気が付くと、走って娘の元へ来て笑顔で手を取ってくださいました。
 そんな甘えん坊さんだったので、運動会やリレーなど勝負事には無頓着なはず。参観に行ってもただ娘の姿を見ているだけの日々でした。度々、先生に抱っこされて泣いている姿を目撃しても、また甘えてるな。ぐらいにしか思っていなかった私に、それは違う、みーちゃんのは悔し涙だだよ。と周りのお母さんが教えてくれ、先生に尋ねても同じ答えが返って来たとき、ハッとしました。娘は何に対しても一生懸命で熱い気持ちを持っているんだと。これからは娘の気持ちに寄り添い、喜怒哀楽を共にしようと決めました。
 結果的には1年間、朝は必ず先生にバトンタッチが続き、このまま年長さんになるんだな。担任の先生が変わるし大丈夫かなと心配しながら、ラスト1年が始まりました。
 「ママはもう来なくていいからね。絶対に来ないでね」
 年長さんになった途端、自転車から降り、荷物を持ったらさっさと行ってしまうのです。
 1人で行けるようになって欲しい、先生の手を煩わさないで欲しいとあんなに願ったのに。1人でテクテク歩いて行く後姿を見つめながら、寂しさを実感してしまいました。
 こうやってある日突然その日がやって来るのなら、やっぱり二度と戻らない日々を噛みしめたい。エプロンママや参観など、幼稚園に行ける日は出来るだけ足を運びました。朝、携帯サイトを見て、「今日はさぼろっと」と一度は思うのに、時間になると自然と足が向いてしまっていました。
 まだあと1年あると思っていたのに、あっという間に卒園。最後の10日間ほどは、私が娘にお願いして思い出作りのお付き合いをしてもらいました。
 もう、しょうがないな~とニコッと笑いちょっと照れくさそうにおんぶされてお部屋まで、次の日は抱っこ、その次の日はしっかり手を繋いで…。
 卒園式の前日、これで自転車送迎は最後。参観の往復もこれで最後だと思うと、やり切ったと思う反面、もう願っても出来ないという寂しさがこみ上げ、涙が止まりませんでした。
 娘と共に過ごした4年間は、掛け替えのない素晴らしい時間でした。
 園長先生、先生方、いつも優しい笑顔で接し、見守って下さり本当にありがとうございました。そして、いつも我が子のように温かく見守ってくれたお母さん方にも感謝の気持ちでいっぱいです。
○みーちゃんへ
 卒園おめでとう。甘えん坊で泣き虫でいっぱい泣いてる姿を見てきたよ。でも、一生懸命だからこそ涙が出るんだね。ママが忘れてしまっていた大切なことを教えてくれてありがとう。
みーちゃんのお蔭でとっても幸せな時間が過ごせたよ。ありがとう。
 いよいよ小学生、色んな壁にぶつかるよ。でもきっと大丈夫!!乗り越えられる。諦めない強い気持ちを持って、何事にも前向きにチャレンジしてね。ずっとずっと応援し続けます!



■最後の行事で大きく開花
 卒園して日数が経過すると共に、嵐のような園生活が少しずつ遠くへ行ってしまうような寂しい気持ちがしています。
 3年前、幼稚園に入って間もない頃、ビックリする程幼稚園に慣れず、バス停では私からベリッと引っ剥がさないと離れず、参観に行くと私と目が合うと大泣きし、しゃくりあげながら、ジャイアン先生に抱っこされている姿が思い出されます。トイレも一度も行かず、お弁当も食べず…。
 一人目だったら、もの凄く悩んだかも知れないその状態でしたが、年少担任の佐藤先生、平本先生の優しい愛情や、完全に留加のオンリーワンになっているジャイアン先生のお陰で安心して幼稚園にお願いすることができました。
 仕事帰り、クタクタになって5時ギリギリにお迎えに行くと、寂しくなり職員室に行き、園長先生にまで甘えている留加を見ると、先生方に申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちでいつも胸がいっぱいになっていました。
 年中では、仲のよいお友達が出来て教室で過ごせる日々が続き、参観やエプロンママでぱんだ組に行っても泣きながら追っかけてくる日が徐々に減っていきました。
 山岡先生が「留加君なら出来る!」と信じ、見守って応援してくださっていたことが思い出されます。
 年長になってすぐは、よく泣いていて、また一からなのかな?と不安になりました。酒井先生に相談すると、「るーちゃんに色んなお友達と仲良くなってもらえるように頑張ります!」と言っていただき、とっても嬉しくて安心したことを覚えています。
 留加に一番変化があったのは最後の縄跳び大会です。
 それまで、マイペースで、何かを頑張るということをあまりしない所がありましたが、なわとびは自分から進んで練習していました。毎日のように自己記録を更新し、どんどん自信がつき、縄跳びを通じて本当に色んなお友達と仲良くなっていきました。
 そして迎えた縄跳び大会当日、60秒クリアでき、100秒は途中でひっかかりましたが、とても満足した顔をしていました。
 その辺りから次はリレー!と公園を毎日走ったり、自分で考えて積極的に行動することが増えてきました。
 卒園式前日のリレーでは自分からアンカーをする!と言ったと聞いて、家で母は卒倒し、膝から崩れ落ちました。そして結果はやはりというか、残念でしたが、今まででは考えられない言動に驚きと成長の喜びを感じました。
 留加がアンカーすると言っても、抜かされても咎めるお友達はおらず、胃がひっくり返りそうになりながら応援している私の姿を皆が笑ってくれ、先生方、ママさん達にも「るーちゃん!がんばってたね!」と言っていただき、親子で皆さんの愛情に助けてもらった3年間でした。
 園長先生をはじめ、お世話になった先生方、バスの運転手さん、お友達、ママさん達、本当に本当にありがとうございました!



■千里敬愛幼稚園 ありがとう
 年少、入園3日目。担任の伊奈先生から一本の電話が入り、衝撃が走りました。
 「お母さん、優知君が遊具から落ちて頭を切ってしまいました」
 年長さん達の乗るメリーゴーランドのスピードに怖くなって、途中で降りようとしたものの、
うまくいかなかったようです。三針ほど縫ったけれど、涙も流さず我慢したそうです。
 卒園までにいくつ怪我をするんだろうか?と不安な気持ちで幼稚園生活が始まりました。
 元々、優知は姉と妹にはさまれた真ん中男子のためか、我慢強いタイプで、ブロックを黙々と組み立てるような、一人遊びが好きな、内向的なタイプでした。入園前までお姉ちゃんのお供ばかりで、自分のお友達がおらず、友達は出来るんだろうか?と心配したものです。
 しかし、ひとり、また一人と友達の輪が広がっていき、参観やお迎えに行くと同じクラスのバッチをしたお友達が、「まさとしのママ~」と声をかけてきて、驚きと同時に、安心したのを憶えています。
 年中にもなると、親が教えたこともない鉄棒や縄跳びを友達と見せ合いっこしたり、リレーの練習をしたりするようになっていました。ももの木公園で、お友達と虫を探しまわったこともありました。
 内向的に見えていた息子は、いつの間にかいろんなことにチャレンジする活発な子へと成長していました。やはりお友達の存在が大きく、たくさんの刺激をもらい、楽しい毎日の連続だったからでしょう。遊んでくれたお友達のみんな、本当にありがとう。
 転勤族のわが家は、タイミングによっては親子にぴったりな幼稚園を出会うことが難しいのが現実です。千里敬愛幼稚園の入園を決めるにあたって、ホームページを初めて見たとき、「ここまで保育の様子をオープンにする幼稚園があるなんて珍しい。自信があるんだろうな」という印象を持ちました。入園説明会の園長先生の話に鳥肌がたつほど共感し、入園を決めました。実際入園してみて担任の先生はもちろん、園全体の先生が子ども達の可能性を信じて、日々手を変え品を変え働きかけて下さる姿に、大きな愛を感じました。真摯に向き合って下さる千里敬愛の先生方は、息子にとっても忘れられない宝物になったと思います。本当にありがとうございました。
 卒園してみて、もちろん寂しさもありますが、子どものが頑張る姿、笑顔、成長をたくさん身近で見せてもらったこともあり、爽やかな満足感でいっぱいです。
 「今日もゲリラの参観が入ってるわ。しかも、今日は二人とも入ってるわ、どうしよう…」、なんて言いながら、朝の食卓を囲み、幼稚園まで自転車を走らせ、気付いたらクラスのお母さんたちと一緒に大声で声援を送る日々でした。子ども達と共に喜び、子ども以上に興奮できたことに感謝して、しっかりと心に焼き付けておこうと思います。
 卒園式の後、優知は「本当に楽しい幼稚園だったな」と振り返りながら、いただいたお念授の箱に、早速千里敬愛幼稚園の園舎の形に切り取った折り紙を貼り付けていました。また、最後のお弁当に送った手紙も同じく折り紙で作ったお守りに大事にしまっていました。
 三年間で育まれた優しく、まっすぐな心を大事にしながら、これからの成長を見守っていきたいと思います。



■卒園式での最後の涙
 ピンクポッケから千里敬愛幼稚園にお世話になった4年間でした。
 3歳年上の姉の参観で幼稚園に行く機会が多かったので、抱っこ紐の中にいてるときから幼稚園には通っている感じがします。そのためか 幼稚園にはすぐに馴染め 楽しい幼稚園生活を送ってくれたのではないかなと思います。
 リレー大会、運動会に発表会など行事も多く、エプロンママにSOSと、どれくらい私も幼稚園に通ったことでしょう。
 主人は仕事もあるため父の日参観と発表会ぐらいしか幼稚園に行くことはできませんでしたが、 「園児達の今日」の写真を見るのが日課で奏が写っていたら私に教えてくれていました。そのため その日あったことを私が一方的に話すのではなく写真から見えてくる感想を主人から聞いたりできました。仕事からの帰宅が遅く会話する時間も少ない中、夫婦でいろんな幼稚園の話をすることができたように思います。
 奏が年中の12月に妹が生まれました。この頃から一気に成長したなぁと思います。1人でお風呂に入ることができ、1人でベットで寝ることができるようになりました。
 ゲリラ参観があるときは、「凪ちゃん連れて行くと大変だと思うから今日は来なくて大丈夫だよ」と自然と気を遣えるようにもなってくれていました。奏なりに頑張ってくれてることも多かったと思いますが、私にとっては嬉しい成長でもありました。
 奏に幼稚園の何が一番楽しかったかな?と聞きましたが 、「リレー大会でしょ、発表会でしょ、縄跳び大会、運動会…いっぱいあり過ぎてわかんないっ!」という答えが返ってきました。本当にそうだと思います。私も何が一番と言えないからです。
 運動会では年少の頃はニコニコしながらやっていたのに年長になると勝ち負けを意識していました。
 年長のリレー大会では真剣な表情をして走ってるではありませんか。みんなで少しでも1位に近づけるように頑張っている姿から気持ちの成長を感じました。
 発表会では「私は貝になりたい」を子ども達はどのように理解するのかなぁと思っていましたが、 「無実ってどういう意味?」「アメリカと日本はどうして戦争してたの?」
 幼稚園から帰ってくるたびにどう答えていいのかわからなくなる質問の嵐でした。自分なりに理解しようとしている姿にびっくりし、本番では表情豊かな表現に涙が止まりませんでした。
 縄跳び大会では、「幼稚園で練習してるから大丈夫。家ではタイムは測らない」と言ってほとんど跳ぶ姿は見ることがありませんでした。そんな中での100秒チャレンジの成功にはただただ感動でした。
 いろんなことが思い出され書ききれないほどです。
 卒園式ではニコニコしていた奏ですが、保育室から出るとき、 「福田先生にどんな言葉を伝えたい?」と聞いたときです。大粒の涙が溢れ出し、その涙は幼稚園の門を出るときまで止まりませんでした。私はこの涙を見て、4年間がとても充実してしたのだろうなぁと感じています。
 園長先生、福田先生をはじめ たくさんの先生方には本当にお世話になりました。感謝でいっぱいです。
 奏ちゃん、4年間の幼稚園はとでも楽しかったね。次は不安はあるものの楽しみにしている小学校。たくさんお友達を作って遊んで勉強して前に一歩一歩 進んでほしいなと思います。
 卒園おめでとう。



■NICUからの成長
 まさ(政宏)が産まれたのは平成22年6月6日、予定日から6日遅れでした。
 まさは産まれたとき、すぐには声をあげず、体は紫色で、慌ただしくお医者さんが酸素をおくり、ようやく産声をあげました。
 初めてのママとの対面もそこそこに、すぐにNICUに運ばれてしまい、心配でたまらなかったことをよく覚えています。
 まさは兄のりょう(諒)と同じ病院で産まれました。
 りょうを出産したときは夜泣きと頻回授乳で、入院中同室の人に気を遣ったので、まさの出産では母子共にゆっくり授乳出来るよう個室にしてもらっていました。
 ところが、NICUの保育器に入ったまさに会えるのは決められたわずかな授乳時間だけ。ひとりぼっちの部屋で心配と寂しさで涙がこぼれました。
 呼吸が不安定で、授乳中も小さな足に酸素濃度を測る機械を繋いだままの小さなまさ。
 少しずつ呼吸が安定し体重も増えてきて、入院10日目に退院することが出来たときは本当に嬉しくて、ほっとしました。
 そうして、ようやくまさとの生活が始まったのです。退院してからのまさは元気そのもの。すくすくと育ち、私たちを安心させてくれました。
 そして入園前、3歳のまさはとっても甘えん坊でどこに行くにもママと一緒。いっつもママにくっついて離れません。ちゃんと幼稚園に行けるかな?
 ところが、そんな心配もどこへやら。
 初めての登園日、元気良くバイバイしてバスに乗り込んだまさ!
 おっと、ママの方が寂しくて泣きそうに…。
 お友達も出来て、お手紙をもらい嬉しくてニコニコのまさ。
 ケンカして、口をとがらせて帰って来たまさ。
 絵が上手と先生に褒めてもらって得意満面なまさ。
 幼稚園では、家では経験出来ない様々な経験をさせてもらいました。
 可愛くて優しい、甘えん坊のまさだけじゃなく、負けず嫌いのまさや、頑張り屋さんのまさの姿も見ることができました。
 リレーで負けて悔しい思いや、1位でゴールした嬉しい思い、さまざまな思いを経験して、ぐっと成長したように思います。
 家では、3歳上のりょうとゲームしたり、ケンカしたり、朝から晩まで大騒ぎ。
 泣いたり笑ったり大忙しの毎日です。
 そして、優しいお兄ちゃんの一面も。
 3歳下のよし(佳孝)が階段を登ったり降りたりするときは、「ゆっくりだよ。気を付けてね」
と優しく手をつないでくれます。
 本当に素敵な子に育ちました。ママの自慢のまさです!
 まさが好きなことはママと大好きのハグをすること。1日に数えきれないくらい大好きをしてくれます。
 まさの夢はリオレウスになること。
 大好きなアニメ、モンスターハンターストーリーズ。その主人公リュートではなくて、主人公が乗るモンスターのリオレウスが特にお気に入り。
 とうとう、いつも行ってる散髪屋さんへ、リオレウスの人形を持っていき、
 「リオレウスにして下さい!」
 散髪屋のおじさんは困りながら、ワックスでトゲトゲのリオレウスの髪型にしてくれました。まさは「かっこいい!」と大喜びで「写真を撮って!」と何度も決めポーズをしてくれました。
 そんなまさが、もうすぐ小学生です。この間入園したと思ったら、もう卒園だなんて!なんだかあっと言う間のような気がします。まだまだ幼稚園に通わせたい気持ちでいっぱいですが、そうもいきません。
 まさの卒園と入れ替わりに今度は弟のよしが入園します。
 まだまだ甘えん坊のまさは、ちゃんと小学校に通えるでしょうか? 
 きっと心配しているママを尻目に颯爽とランドセルを背負い走って行くのでしょう。
 私の大切な宝物のまさを、同じように温かくく大切に目をかけ、手をかけて下さった担任の先生方、職員の方々、いつも安全にまさを送り届けて下さったバスの運転手さん、みなさま、本当ありがとうございました。
 また、まさを連れて園に遊びに行きます。どうぞこれからも温かい目で見守って下さい。



■繋いだ手の逞しさ
 今、この文章を消灯後の暗い病院の部屋で考えています。勇斗の妹の手術のため、入院の付き添いをしているからです。
 幼稚園最後の参観にも行けず、最後のお弁当も作ってあげられませんでした。
 妹の手術は2度目なので私がしばらく帰宅しないことを勇斗も理解をしているようで、入院付き添いの日の幼稚園の送りの朝は下駄箱の前で私からなかなか離れようとしませんでした。
 「もうちょっと、もうちょっと」と言って時間を稼ごうとする勇斗の様子を見ていると、申し訳なさと寂しさで胸が張り裂けそうでした。いつもは恥ずかしがって門の前でバイバイするのに。
 妹のリハビリや入院のため家を空けることが多く、SOSは参加できず、お預かりや留守番をさせることがよくありました。それを嫌がって泣くこともあり、寂しい思いをさせてきました。妹の病気は泣くと発作が起きるため、私も常にぴりぴりしていて兄妹喧嘩のときは、「でも、だって…」と言う勇斗の言い分も聞かずに頭ごなしに叱りつけることもありました。
 そんな私の気を引こうとしたのか、ただの探究心か分かりませんが、よくひとりでどこかへ行ってしまうことがあり、必死に自転車で探し回り私は冷や汗をかきっぱなしでした。
 千里敬愛幼稚園の3年間、思い返せばいろいろなことがありました。
 年少のときに私が3人目を妊娠し、すぐに赤ちゃん返りが始まり、「ママが良いー!」と幼稚園で泣くことが多くなりました。若干4歳で自分の意思とは関係なく妹と弟のお兄ちゃんになり戸惑ったのだと思います。担任の先生から毎日のように連絡をもらったことを覚えています。
 年中になり、幼稚園にも慣れ友達の輪も広がり、毎日が楽しくなり幼稚園を嫌がることもなくなりました。ただし、メンタルが弱くてリレーで転んだり勝負事でくじけてしまうとその場で泣いてしまい起き上がることができず、先生に連れられて事務室に直行することも度々ありました。
 年長になるとますます活発になり、塗りたくりでは絵の具の水溜まりにダイビングして全身真っ白になるまで大胆に楽しみました。
 大好きな友達もできました。
 「ありがとう拍手を!」
 ♪時々喧嘩したこともあった、だけどすぐに仲直り、友達だから♪
 まさにそんな気を許せる友達です。
 リレー大会ではアンカーを務めましたが、意気込んで前の子を抜かそうとしてコーナーで転んでしまいました。私はそのとき、ビデオを撮っていました。思わず駆け寄ろうとしましたが、勇斗は島田先生に励まされながら自分の足でちゃんと立ち上がり、泣きながらも最後までゴールしました。年中のときは立ち上がることすらできなかった勇斗の成長を感じ、その様子をビデオを撮りながら目頭が熱くなりました。島田先生も勇斗の悔し涙を見て一緒に泣いてくださり、同じクラスのお友達からも、「勇斗くんは悪くないよ!だって一生懸命頑張ったんだから」「怪我は大丈夫?」と言ってもらいました。「勇斗のせいで負けた」と言われてもおかしくない状況だったので、先生とお友達の優しさにとても感動し、勇斗も私も救われました。
 更にリレーの参観に来ていたママ達も自分の子どもの出来事のように泣きながら私に温かい言葉をかけてくれて、思わず私も我慢できずに泣いてしまいました。
 縄跳び大会では100秒クリア!家では全く練習をしなくて、私が最後に見たときは10秒もままならぬ程度だったので思わず目を疑いました。友達に追い付きたくて幼稚園で密かに毎日練習していたようで、真っ直ぐ前を見て唇を噛み締めて真剣な表情で跳ぶ姿を見てまた泣いてしまいました。
 何度も泣けるほど、親もどっぷり浸かる幼稚園生活を当初想像できたでしょうか?こんな経験ができるのも千里敬愛幼稚園だからこそです。まさに「第二の青春」を身をもって味わうことができました。
 卒園式の日、主人に病院の付き添いを交代してもらい幼稚園までの道のりを勇斗と2人で久しぶりにゆっくり手を繋いで歩きました。
 繋いだ手の大きさに、驚きと同時にいつの間にかこんなに大きくなっていたのかと逞しさを感じずにはいられませんしでした。いつかこの繋いだ手を離れ、自分の人生を切り開き、何を掴み取るのか、それは楽しみでもあり少し寂しくもあります。
 最後になりましたが、園長先生、担任の先生、諸先生方、お友達、保護者の方々、今まで本当にありがとうございました。様々な参観で子どもの様子がよくわかり、成長していく姿を間近で感じることができました。千里敬愛幼稚園での思い出は親子共に宝物であり、ずっと忘れません。
○勇斗へ
 卒園おめでとう。入園したときのぶかぶかの制服が小さくなるほど、身体も心も成長したね。3年間よく頑張りました!お友達と張り合うのではなく、お友達の良いところや凄いところを認め、自分もそうなりたいと努力できるようになったね。すっかりお兄ちゃんらしくなり、妹と弟の手を引いて前を向いて歩くあなたのことをお母さんはとても誇りに思います。また勝手にいなくなってもお母さんは必ず見つけるからね(笑)。これからもたくさんお母さんを驚かせてね。ずっと傍で付き合います。



■本当の意味で「きっちりできる子」
 娘にはのびのびと成長して欲しいと思っている。大人が管理しやすい「きっちりできる子」にはならなくていい。列から外れて、虫や草花を観察するなど、ルールより関心が勝ってしまうぐらいが理想だ。そして、注意されたら少し慌てて列に戻るような可愛げもあると嬉しい。
 そんなおかしな親なので、幼稚園選びはなかなか難しかった。
 最初は自宅の最寄り駅の北大阪急行「千里中央駅」周辺か、その近くまで通園バスの出ている幼稚園を考えたが、私の考える「子ども本位」の教育とはずれが大きいように感じた。
 インターネットで情報を集め、知人らにもできる限り話を聞き、結局、自宅から車で30分以内の幼稚園はほぼすべて検討した。最終的に数カ所を見学して、千里敬愛幼稚園に決めた。
 創作活動も運動も、この幼稚園なら子どもは楽しめるはず。親の会がないのも浮きがちな我が家にはあっていると思った。
 入園申し込みの日は、万が一にも漏れるわけにはいかないと、午前6時前から門前に並んだ。すでに、何人かの方が並んでいて、同じ思いなのだろうと嬉しくなったのを覚えている。
 想定外だったのは「ゲリラ参観」の多さだ。 娘の同級生に、働いていないと思われるほど通った。成長をつぶさに見ることができ、本当に楽しかった。
 だが一番、成長を感じられたのは、ゲリラ参観での姿ではなく、最後の縄跳び大会だった。
 年明けまで1回しか跳べなかったのだが、一緒に練習してなんとか60秒を跳べるまでになり、本番に臨んだ。惜しくも60秒目前で力尽き、その後も疲れからか、ギリギリでひっかかってしまうということを繰り返した。
 悔しさのあまりだろう。まだ10回ぐらいしか成功したことのない後ろ跳びに変えようとした。そして思いとどまった。少し前まで、投げやりになったり、足が痛いなどとごまかしたりしていたのに。結果を受け入れ最善を尽くす姿にひとり感動した。表面的ではなく、こういうことが「きっちりできる子」に育ってくれるのは大歓迎だ。
 千里敬愛幼稚園には本当に感謝している。園長先生をはじめとする先生方、保護者の方々、私たち親子を受け入れてくださり本当にありがとうございました。



■笑顔あり、涙あり、思い出一杯の3年!
 幼い顔に小さな身長。
 ブカブカだった制服も今となってはピッタリサイズ!
 まだまだ小さいですが、顔も中身も外見もお姉さんになりました♡
 小さいときからしっかり者で全然手がかからなかった彼女。
 幼稚園でもしっかり者はやっぱりしっかり者でした!笑
 3月末にこっちに引っ越してきて、右も左も分からないまま入園式。
 ひなたも私も全く知らない土地で一から友達作り。
 初めは不安いっぱいの毎日でしたが、3年間、一度も嫌と言わずに幼稚園を楽しんで行きました♡
 幼稚園でやったこと、新しく出来たお友達の名前などを嬉しそうに帰って来て話してくれる姿を見て、ひなたらしく幼稚園を楽しんでるなぁーって、一安心したことを覚えています。
 普段はバス通園の彼女。
 参観のときやお迎え変更で幼稚園に行くと、ひなたの友達が、「ひなたのママ〜♡」って近寄って来てくれたり、手を振ってくれたり。
 いっぱい友達出来たなぁーって凄く嬉しく思いました。
 一緒に笑いあえる友達、喧嘩出来る友達。
 大切な友達がいっぱい出来ました!!!
 私も幼稚園で出来た新しいママ友。色々話せる友達が出来て、私にとってもひなたにとっても素敵な出会いがいっぱいの幼稚園生活!
 赤ちゃんだったひなたが幼稚園かぁーって思ってたのに、もう小学生!あっと言う間の3年間だったなぁー。楽しい思い出がいっぱいで3年経つの早かったなぁー。
 何も分からず年少のときからCCクラブにも入会し、年中、年長途中まで班長もさせていただき色んな経験をさせていただくことが出来ました!
 CCクラブに入ったことで、上の学年の方、下の学年の方とも知り合うことが出来て、裁縫が大好きな私にとって最高の場所でした。
 小さいときから絵を描くのが好きなひなたは、3学期の最後に持って帰ってくる絵を見ても、紙いっぱいいっぱいにカラフルに描いた絵ばかりで本当に絵を描くのが好きなんだなぁーって思う絵ばかりでした。
 コツコツ頑張るタイプのひなたは、年中になると逆上がり、登り棒、縄跳び60秒チャレンジ、早く走れるようになど、目標を持ってよく頑張りました!
 頑張った成果もあり、年中で全て目標クリア!
 小学校に行っても、色んな目標を持って色んなことにチャレンジして欲しいと思います。
 年中ではミニミニ運動会、リレー大会では保護者リレーにも参加し、本当、青春時代に戻ったみたいに楽しすぎるリレーでした!
 年長になって年中で一緒のチームだったママ達と別のチームで競争しながら走れるから更に楽しいだろうなぁーって思ってたんですが、リレーがなくて残念でした...。笑
 年少、年中と同じ先生だったので、年長で担任が変わって、少し不安そうな様子を見せるときもありましたが、その不安も一瞬でなくなり、今では伊奈先生が大好きです(^-^)
 行事が多い年長さん!!
 どの行事にもみんな一生懸命頑張る姿、楽しんでる姿、競争系では勝って喜ぶ姿、負けて悔しくて泣く姿。
 色んな子どもの表情を見ることが出来て、毎回行事が楽しみでした!
 行事が次々終わるにつれて、卒園が近づいてるなぁー、寂しいなーっと言う気持ちでいっぱいでした。
 発表会、そして最後の最大行事の卒園式。
 色んな事を思い返しながら、子ども達の頑張ってる姿、一生懸命口を開けて唄う歌を聞いてたら自然と涙が溢れ、いっぱい涙を流した日です。
 卒園してからも幼稚園の唄を歌い、DVDを見たりして、本当に幼稚園が好きなんだなーって思います。
 千里敬愛幼稚園で沢山の人と出会い、沢山の事を学び、色んな事を経験し、ひなたにとっても私にとっても貴重な時間で一生の宝物です。
 最後に。
 みんなお兄さん、お姉さんへと成長しましたね!
 「あいさつ、ありがとう、ごめんなさい」を忘れず、自分らしく小学校を思いっきり楽しんで行って下さい!
 みなさん、卒園おめでとうございます。
 同時に入学おめでとうございます。
 千里敬愛幼稚園の先生方、お友達、保護者の皆様、3年間お世話になりありがとうございました。
 また4月から次女がお世話になります。よろしくお願いします!



■最初で最後の一年
 年長になる春、下見もできないまま決めた千里敬愛幼稚園に初めて訪れた日のことを昨日のように感じます。
 ホームページで見た通りのワクワクするような園庭、動物たち。採寸もそこそこに弟と二人、すっかり楽しんで帰りました。
 とはいえ、天真爛漫な弟とは違い、繊細で感受性が強い智音のこと、転園して友達の輪に飛び込んで行けるのかとても心配でした。
 兄弟二人で園バスに乗り、弟は僕が連れて行く!と張り切り頑張った一ヶ月が過ぎ、福田先生からも、「すごく元気で積極的に過ごしています」と言われ安心していたら、突然堰を切ったように泣いた夜。無理をしていたんだなと気づきました。いつもの智音でいいんだよ、と話し、そこからは「今日、先生に怒られちゃった!ふざけすぎて!」と笑顔が見られるようになりました。
 千里敬愛幼稚園は毎日がイベント。毎日が本番。予定表を見て大人もウキウキするほどです。福田先生をはじめ、かもめ組のみんな、ママ達の応援、いつも一生懸命で、勝敗に関係なくすべていい思い出になりました。出産で行けなかったときも、たくさんフォローしてもらいました。
特に発表会の日、これから本番というときに緊張からか気分が悪くなった智音に、かもめのみんなが声をかけてくれたと聞きました。なんとか最後まで出演でき、よかったーという思いと、みんなの演技の素晴らしさに涙が止まらなくなりました。本当にいい仲間に恵まれました。
 あっという間の一年。まさかこんな濃厚な日々になるとは、うれしい誤算です。智音も私達家族も、千里敬愛幼稚園が大好きになりました。卒園するのは寂しいけれど、弟たちが控えています。まだまだよろしくお願いします!
*******
 慣れ親しんだ広島から大阪へ移る際、一番心配だったのは智音が新しい環境、幼稚園に慣れれるかどうかでした。のんびり屋の両親とは違い、智音はどちらかというと繊細な性格なので広島での友達との別れ、新しい幼稚園に入ることへの心配、引っ越し前後のドタバタなどで本人も不安だったのでしょう、今まで見せたことのない我儘や文句を言うようになりました。
 「新しい幼稚園の友達の輪の中にうまく入っていければいいな」と思いつつ千里敬愛幼稚園に入園させていただいたのですが、いざ入ってみれば友達の輪どころか同級生の多さ、クラスメイトの多さからまさにカオス状態(良い意味で)で、溶け込むというよりは紛れ込むような感じ(笑)で、すぐに本来の智音らしさを発揮できるようになり安心したのを覚えてます。会話の中にも友達の名前がたくさん出るようになり、なによりも食事中に関西弁が出たときは奥さんと二人、目を合わせ思わず固まってしまいました。
 また入園当初から担任の福田先生には大変お世話になりました。その明るく力強い指導で智音もグイグイ引っ張られて力強く、逞しくなっていったと思います。
 定期的に送られる連絡帳(カノン)には、日常の行動が丁寧に書かれていて智音の幼稚園での様子が目に浮かぶようでとても楽しみでしたが、たくさんいる園児、一人ひとりをしっかり見てあれほどの文章量を書くのは相当大変な労力だと思います。本当にありがたく思います。
 あっという間の1年でしたが智音にとっては本当に大きな1年だったことは智音の成長を見て感じました。その成長を促し、支えてくださった福田先生、園長先生ならびに周りの先生方(特にジャイアン先生)には本当に感謝するとともに、まだ弟二人もお世話になると思うので、今後ともよろしくお願いいたします。



■子どもとともに青春を燃焼して
 勇太、卒園おめでとう。
 勇太と私が初めて千里敬愛幼稚園の門をくぐったのは年少の6月のことでした。転勤が決まってからの園探し、千里敬愛のホームページを頼りに見学をした日のことが昨日のことのように蘇ります。
 教室の壁面製作や描画は子ども達の個性に溢れ、園児達の元気な声、生き生きとした瞳、子どもらしくて、泣いている子には先生方が寄り添い押さえつけのない雰囲気でした。案内役をして下さったかみなり先生が塗りたくりのようなダイナミックな活動もありますよと教えて下さり、小さい頃から裸足で泥んこになるのが好きで泥水にダイブしていた勇太がきっと楽しく過ごせると、ビビビな直感で入園を決めました。
 それから2年が経った年長の6月にまた転勤になり、あまりにも早い一学期で千里敬愛幼稚園との別れを勇太に伝えるのは辛かったです。
 「えっ!まだリレーも運動会も発表会も終わってないし、お茶会も始まったばかりなのに!?」
 その言葉に胸が痛みましたが、残りの日々を存分に楽しむことを心に決めました。
 バタバタと毎日が過ぎていく中でふと立ち止まると、子どもの成長は早く、一緒に過ごす日々の尊さに気付けたのは、SOSやエプロンママ、たくさんの参観で様々な表情から子ども達の成長を感じることができたからです。
 たくさんの友達に囲まれ手を繋ぎ肩を組み、ときには喧嘩して仲直りの仕方を学び、先生方の愛に包まれ過ごした2年間。人との関わりの中で逞しく成長した勇太には、母が挫けそうなときには、「ママ少し休んだら」「大丈夫?」と励ましてもらいました。幼稚園に関わる方々が温かく見守って下さったから、思いやりの心が育まれたのだと思います。
 年長の5月、誕生日会では母が花道を通り舞台へ。お母さんへの歌のプレゼントでは照れ臭そうに歌う勇太。母の日参観の時もそうでした。恥ずかしそうに目を合わせずに歌う姿が微笑ましかったです。
 誕生日会が行なわれる講堂に向かう途中では事務の山本さんから、「お母さん、今日はおめでとうございます」の一言をもらい涙が溢れ出しそうでした。6年前に私と夫を選らんで産まれてきてくれた勇太。そのときの感動を思い出し、ありがとうの気持ちでいっぱいになりました。
 走る事が大好きな勇太が、千里敬愛の年長最後の運動会とリレー大会に参加できなかったことは、本当に悔しかったと思います。
 転園後の幼稚園では運動会の練習で靴が脱げても走り切り、本番では転んで血が出てもすぐに立ち上がりゴールへ向かいました。最後まで諦めない逞しい姿に涙が止まりませんでした。そんな「敬愛魂」をいつまでも勇太の心の中で大切にして欲しいです。
 頑張るぞ、エイエイオー!!
 最後に、園長先生はじめ松浦先生、千葉先生、平本先生、佐藤先生、幼稚園の皆様、本当にありがとうございました。
 皆さんとの出会いに感謝します。



■兄の縄跳びを引き継いで
 卒園式が終わり、3年間使った通園鞄や制服を片づけていると、いろいろな思い出が浮かび急に寂しさが込み上げてきました。幼稚園への期待で小さな胸をいっぱいにし、嬉しそうに入園式へ向かった美緒の姿が今でも昨日のことのように目に浮かびます。
 思い返せばこの3年間、美緒はたくさんのお友達や優しい先生たちに恵まれ、とても充実した幼稚園生活を送ることができました。
 私自身もエプロンママや図書委員、たくさんの参観で幼稚園へ通うことが楽しみでした。
 入園当初は、お友達できたかな、楽しんでるかな…等、心配は尽きませんでしたが、ホームページで見る美緒の笑顔の写真や、参観へ行った際の楽しそうな様子を見て、とても安心することができました。
 思い出をすべて挙げるとキリがないのですが、特に印象的なのは年長での縄跳び大会です。
 「絶対に跳べる」と兄が年長時に100秒を成功させたお下がりの縄跳びを持参し、目標の100秒にチャレンジしたものの、あと少しのところで引っかかり悔しくて泣いてしまいました。
 その後、引き続き行われた母達のチャレンジ。泣きながら縄跳びを渡してくる美緒。リベンジとばかりにチャレンジしたものの、それは達成できず、さらに泣かせてしまいました。こんな気持ちにさせてしまったことが申し訳なく、私も猛練習してくればよかった…と思わずにはいられませんでした。
 でも、この縄跳び大会での悔しさも、リレー大会でチーム優勝できた喜びも、どちらも美緒にとっていい経験になったと思います。
 年長の3学期に入ると、突然「朝、一番に幼稚園に行きたい!」と言いました。きっと幼稚園生活が残り少ないことを感じてるのかな…と思い、毎朝1便のバスで登園してくるお友達と同じころには幼稚園に送っていました。お迎えも「ギリギリがいいの!」と降園時間ギリギリまで園庭で遊んでいました。ぶどう組、ぞう組の頃には、登園時に母との別れが寂しくて泣いてしまうこともありましたが、かなりや組になってからはそんな姿は想像もつかないくらい、お姉さんになっていたと思います。
 卒園式の前日、いつものように手をつないで登園しましたが、もうこうやって二人でお話ししながら幼稚園へ行くこともないんだな…と思うと私は寂しい気持ちでいっぱいでしたが、美緒は小学校への期待でいっぱいな様子で、「この道、ランドセル背負って歩く練習しないとね!」と目を輝かせて嬉しそうに話してくれました。どんどん大きくなってくれるのは嬉しいような、寂しいようななんともいえない複雑な気持ちですが、子どもと一緒に親自身もまだまだ成長しなければ…と思わせてくれました。
 兄のときと合わせて6年間の千里敬愛幼稚園での思い出は、私達親子にとってかけがえのないものになりました。
 お世話になった先生方、仲良くしてくれたお友達、いろんな話をして楽しく過ごしてくれたお母さん方、たくさんの感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
○美緒へ
 卒園おめでとう!3年間でいろいろなことができるお姉さんになったね。毎日、元気に幼稚園に通ってくれて、楽しかったお話をたくさん聞かせてくれてありがとう。お友達と遊ぶこと、本を読むこと、絵を描くこと、リレー、縄跳び、先生のお手伝い…大好きなこと、楽しいことがたくさんあったね。小学校にいってもずっとそのままのがんばりやさんの美緒でいてね。応援しているよ。



■母の夢
 私は丈琉が産まれたときに、一つ夢を作りました。
 それは、子ども達が同じ幼稚園に通い、同じ思い出を持ってほしい…と。
 当時、長女は年長でした。
 前年も兄を出産しているので、幼稚園の行事を思う存分味わわせてあげられませんでした。
 でも、大きくなったときに共通の思い出で話せたらいいなと、赤ちゃんの丈琉を抱っこしながら思っていました。
 私は天王寺動物園に行けなかったけど、楽しかった?
 僕の京都参拝は、ものすごく天気が良かった…。
 そんな会話をみんなでできたら楽しいなと…。
 いざ、夢の丈琉の入園式は、やっとここまでたどり着けた…という感じでした。
 そして、これが最後の入園式なんだな…と思っていました。
 兄弟二人の幼稚園生活は、仲間に恵まれたこともあり、楽しく、慌ただしく過ぎていきました。
 あっという間に、兄の卒園式が来て、丈琉の年長生活が始まりました。
 年長のときの流れの速さは、前年も経験済みで、覚悟もしていたつもりですが、お泊まり保育が終わり、夏休みも過ぎ、お誕生会で先生との写真立てが3人全て、合計9つ揃ったとき、そろそろ終わりが近づいているのだと愕然としました。
 残すところ発表会、京都参拝、そして修了式です。
 入園したときは、ようやく揃う3人のアイテムが増えていくのが嬉しかったのに、完成が近づくと寂しい。
 とはいえ、丈琉はもうランドセルを背負い、小学校に使う新しいアイテムをゲットしながら、前に進んでいます。
 本当の私の夢はこれからです。
 3人が千里敬愛幼稚園で感じたことを、笑いながら話し、3人の卒園アルバムで話に花が咲くのは…。
 園長先生、諸先生方、本当にお世話になりました。3人を無事に卒園させることができました。
 丈琉は末っ子で、頑固で、甘えたで、でも、先生方には可愛がってもらっていました。
 家では見せない、男らしい所や、逞しい所、優しい所を見てくれているのだと、丈琉も私も幸せな気持ちでした。それは、姉の時も兄の時も同じでした。
 丈琉の卒園式の次の日、長女が小学校を卒業しました。4月からは2人が 1 年生です。
 私の次の夢は、何にしようかまだ模索中です。



■年少途中での転園
 千里敬愛幼稚園での2年半の幼稚園生活が終わりました。あっという間の2年半でした。
 海斗は言葉の発達が遅く、また、私と離れることを極端に嫌がる子どもでした。外の世界に触れるきっかけにと通っていた親子教室でも、楽しそうに遊ぶお友達の輪の外で、ほとんどの時間を私の腕の中で泣いて過ごしていました。
 そんな経緯もあって、年少の4月からは幼稚園や保育園とは別の施設でお世話になっていました。
 そして施設での来年の進路相談が行われた9月。年中からの生活に悩みを感じていたときに、友人から紹介されたのが千里敬愛幼稚園でした。
 実際に子どもを通わせている友人の話やHPを見せていただき、海斗にもっと広い世界を見せてやりたいと思っていた私は、思い切って年度途中での施設からの転園を決意しました。
 初めての登園日。ぐずることなく制服に袖を通し、自転車に乗り込んだ海斗。しかし、私と別れ、保育室に入る段になると、ポロポロと涙が。
 後ろ髪をひかれる思いで振り返り、振り返り門に向う私に気づいて下さったある先生が、「こちらの階段から2Fへどうぞ。海斗君のいる保育室が見えますから」と声をかけて下さいました。てっきり早く帰るように促されると思っていた私は、「こんなふうに温かい気持ちで接してくださる先生方がいらっしゃる幼稚園なら、きっと大丈夫だ」と、安心したことを思い出します。
 そんな涙の別れもほんの数日続いただけで、あっという間に幼稚園が大好きになった海斗。
 最初は担任の先生方の名前すらろくに言えなかったのに、「あのね、きょうはボールぽーん!てした」「クレヨンしたよ」など、少し、また少しと言葉が溢れるようになりました。まだまだ口調も幼く、本当は何をして遊んだのかHPの今日の写真で確認しないと内容がわからないことも多々ありましたが、毎日降園バスから降りてきた海斗の今日の報告が待ち遠しく、何よりも嬉しかったです。
 また、参観の場を多く設けて下さっているので、バス通園でも担任の先生から普段の様子を伺うことが出来ますし、実際にお友達や先生と関わっている姿を見ることが出来たので、とてもありがたかったです。
 少しずつ出来る事の幅が広がってきた反面、上手くいかない事があると、すぐに諦めてしまいがちだった年中の頃。焦らず成長を見守ろうと思っていても、やはり不安に思う日もありました。
 でも、年中最後のリレー大会。まっすぐに前を向いて走る姿。そして、最後まで諦めず、2位でもらったバトンを1位でつないだ海斗。ちっちゃな海斗がこの日ばかりは頼もしく、逞しく見えたことを覚えています。
 リレーや日々の体育遊び、運動会を通じて目標に向かってお友達や先生とやり遂げる楽しさをたっぷり味わった海斗。いつの頃からか「海くん、出来ないもん」というネガティブな言葉を聞くことがなくなっていました。
 「今日のリレー、海くん一番になるわ」「縄跳び苦手やけど、今日2回跳べたから明日は3回跳ぶで!」と、前向きな言葉を聞く度に、心の成長を感じました。
 やはり最大の思い出になった年長の生活発表会。年長の作品は20分を超える大作。正直、海斗がどれほど自分の歌や出番、セリフを理解できているのか不安でいっぱいでした。
 そして迎えた発表会当日。堂々と舞台袖から登場した海斗。その真剣な表情に引きつけられました。敵と戦うシーンでは誰よりも大きな声を出して演じる逞しい姿に、自然と涙が溢れていました。あの真剣な表情、私は一生忘れません。
 発表会終了後、保育室までお迎えに行くと、「海くんカッコよかったでしょ?すごかった?」と満面の笑み。思わず抱きしめて、声をあげて泣きました。
 2年半前の選択は間違ってなかった。海斗がこんなにも素敵な笑顔を見せてくれる場所に巡り合い、親子共にかけがえのない幼少期を過ごすことが出来た。ただただ、感謝の涙が溢れました。
 先生方には本当にお世話になりました。
 初めて海斗を連れて幼稚園に伺った際に、お忙しい中時間を割いて真剣に相談に乗って下さった園長先生。園に伺う度に、海斗の様子を細かく教えて下さった主任先生方。担任してくださった大久保先生、佐藤先生、平本先生。クラスを越えて関わって下さった諸先生方。海斗の男性嫌いをあっという間に治してくださったカミナリ先生、ジャイアン先生、澤西先生。事務の先生、バスの運転手さん、バス添乗の先生。皆様に愛されて海斗は大きくなりました。私以外の大人との関わりを拒絶するかのようだった乳幼児期が嘘のように、今では周囲との関わりをとても楽しめるようになりました。こんなにも愛されて育った海斗は本当に幸せ者ですね。
 私も母親として、本当に充実した時間を過ごさせていただきました。すべての出会いに感謝しております。
○海斗へ
 ご卒園おめでとう。
 千里敬愛幼稚園で過ごした日々の中で見せてくれた、たくさんの笑顔。ママの宝物です。
 たくさんの宝物をありがとう。 
 あなたが大きく成長する姿を、これからも一番近くで見守らせて下さいね。
 大好きだよ、海斗。



■感動で母を泣かせようとするほどに
 3年間、お世話になりました。
 たくさんの思い出が溢れてきます。
 年少の頃は「幼稚園は楽しい」とご機嫌で家を出るものの、バスの音が近づくとギュっと私の手を強く握りしめ、バスの中で静かに涙を拭っている姿に一日中心配でたまりませんでした。しかし、私が拍子抜けするほどの満面の笑みで「楽しかったー」とバスから降りてくる毎日でした。
 そのうち、バスから手を振るのを忘れるくらいお友達とお話に夢中になっていたり、「楽しかったー」の第一声が、「あー、疲れたー」に変わっていったのにもたくましく成長したのだと誇らしい気持ちになりました。
 頻繁に設けていただいた参観のおかげで我が子の知らない顔をたくさん見ることができました。
 「走ると転けるから嫌だ」と言っていたマイペースな子が、「絶対勝つ!」「足を思いっきりあげるんだ」と言うようになった成長過程は、とても感慨深いものがありました。
 真面目な優奈からは、「幼稚園に来たときに手は振らないでね、ママに手を振るのはかっこ悪いんだよ」と言われていましたが、さっきバスを見送ったばかりなのに幼稚園で見る我が子を見つけるとなぜだか嬉しくて手を振らずにはいられず、毎回手を振る母に小さく手を振り返してくれる優しさは3年間変わりませんでした。
 チューリップの球根を植えたときは、「明日は◯◯くん、水やり忘れないかな、チューリップさん喉渇いていないかな」と寝る前に心配していたことや、年中の発表会を見た主人が、「優奈は真面目で何でも一生懸命やな。知らない間にたくさんセリフや歌を覚えたんやな」と、初めて主人の涙を見たことも忘れられない思い出です。
 年長になってからは、ピンクポッケに通う弟の手をとり、ぐんとお姉さんになりました。
 母の日の歌や、誕生日会の歌、発表会の歌や内容はどれだけ聞いても口を固く教えてくれませんでした。バスで静かに泣いてた優奈が母を感動で泣かせようとする3年の成長は驚くばかりです。
 あっという間の3年間でしたが、溢れるばかりのたくさんの思い出ができたかけがえのない素晴らしい3年間でした。
 優ちゃん、たくさんの感動をありがとう。
 たくさんの成長をありがとう。



■夢はきっと叶う
 私達家族が主人の転勤で福岡から大阪へ引っ越してきたのは、忠義が年少の11月でした。
 福岡で通っていた幼稚園は千里敬愛幼稚園より小規模で4分の1程度の人数でした。
 ご縁があって千里敬愛幼稚園に転園しましたが、こんな大人数の幼稚園でやっていけるのかと不安に思ったのを覚えています。
 敬愛初日は、造形活動の参観の日でした。
 活動を始める前に、クラスのお友達の前に出て先生に紹介してもらっていました。
 その時の緊張した忠義の顔は今でも忘れません。
 そして、紹介してもらっている写真がその日のHPの「園児達の今日」にのっていました。
 その日から夕食の後に親子で「園児達の今日」を見て話をするのが楽しい日課となりました。
 年少から年中。年中から年長。
 学年が上がるたびに「もう年中…信じられない」「もう年長…信じられない」という思いが
していましたが、ついに年長さん。
 忠義にとって、幼稚園生活最後だから私も楽しんでお手伝いできることはやってみよう!とエプロンや図書、SOSや参観などなるべく参加しました。
 だからでしょうか、年長になってからの1年はあっという間でした。
 塗たくりでは、顔から足まで真っ白。美術の本にのっていそうな彫刻みたいになって楽しんでいました。
 走るのが大好きな忠義。リレー大会では、チームの皆と力を合わせて頑張っていました。
 応援してくださったお母さん方の声援も心強かったです。
 そして私が驚いたのは、発表会の「王様と私」。
 大久保先生が発表会前のカノンに、「意欲をもって取りくんで下さってます」と書いて下さっていました。
 発表会当日、私の想像を超え、今までにないくらい役になりきって楽しんでいる姿を見ることができ、大きな成長を感じました。
 そして最後のつばめ組みんなの「夢はきっと叶う!」の力強い言葉に胸が熱くなり、涙が溢れました。
 これから先、何らかの壁にぶつかったときには、この言葉を思い出し希望をもって強く進んでいけそうな気がします。
 千里敬愛だからこそ、忠義の頑張ったり楽しそうな姿を見られる機会が多く、ありがたかったと思います。
 そして素敵な先生やお母さん方にも出会え、私自身も多くのことを学びました。
 園長先生、先生方、仲良くしてくれたお友達、皆様 お世話になりました。
ありがとうございました。
○忠義くん、卒園おめでとう!
 楽しいこと、悩んだこと、いろんなこと沢山あったけど、そのとき、そのとき、一緒に考えて、頑張ってきたね。
 千里敬愛で学んだことを心にこれからも一緒に頑張ろうね。
 あなたは私達の宝物だよ。
 ずっと応援しているよ!



■いつも近くで成長が見られて
 6年間通った千里敬愛幼稚園、ついに卒園の日を迎えました。
 4歳上の兄が年中にいたので、心音は0歳のバギーグラブから千里敬愛幼稚園にお世話になりました。
 くっくの頃は、自分の保育が終わると、いつも兄のいるあひる組まで嬉しそうに走って行ってました。
 バギー、くっくの日以外も兄の参観にも一緒に行っていたので、赤ちゃんの頃から沢山の時間を幼稚園で過ごしました。
 そんな風に通い慣れた場所だからと、ピンクポッケに上がる時も安心していました。
 でも心音にとっては、幼稚園はママと一緒に行く所であり、お兄ちゃんがいる所でした。
 だから、ママもお兄ちゃんもいないと気付いたときには泣いて、「幼稚園行きたくない。ママいないから、にぃにもいないから」と最初は行くのを嫌がっていました。
 「にぃには隣の学校にいるから、寂しくなったら、にぃにって大きな声で呼んだら聞こえるから大丈夫。ママも絶対一番にお迎えに行くから。」と、今なら(そんなん聞こえへんやん)とつっこまれそうなことを言って、なんとかなだめて連れて行ってました。行った後は、心配で私の方が泣きそうでした。でも、そんな心配もほんの少しの間で、すっかりなれて楽しく過ごしていました。
 そして、年少さんになった初日、お迎えに行くとまさかの大号泣!
 「どうしたん?」「ママ、来るの遅かった」
 お迎えの順番待ちに並んでいて私がすぐに教室へ行けなかったの原因でした。この頃になると、私の方に余裕ができたのか、まさかの号泣に驚いて笑ってしまいました。
 年少のときは、「すいかのお部屋、出る前にきて」、年中になると、「お迎えの名前言う所に並んでる間に来て」と、リクエストされ、早く迎えに行っても最後まで遊んで帰らないのにと思いながらも、こんなことで幼稚園生活が不安になったらいけないやと思い、毎日必死で早く迎えに行ってました。
 いつも元気に遊んで笑って、どんなことも全力で頑張っていた幼稚園生活の中で、心音が号泣したのは珍しく、とても印象に残っています。
 そんな甘えん坊の心音が、年長の途中から、「ママ、お迎えちょっとだけゆっくりでいいよ」になり、最後には「お迎え遅くでいいからね。先生がお片付けしようって言うまできたらいいから」となり、心の成長を感じました。
 ポッケの頃には、SSサイズのスモックでもワンピースのようだったのに、いつの間にかスモックらしくなったこと、くっくのときにはずっと抱っこだったのに、年長の運動会で海賊体操がとても上手にできていたこと…そんな些細なことに、心音の成長を感じ、ずっと近くで見ていられたことに感謝しました。
 参観はもちろん、SOSにエプロン、図書と沢山参加させていただき、週5日幼稚園へ行ったり、私も目一杯、敬愛ママ生活を楽しませてもらいました。
 年長になってからは、あ~もう最後なんだと私の涙腺はゆるみっぱなしで、お誕生会で泣き、発表会で泣き、もちろん卒園式でも…。
 あと1年通えたらなぁ、せめて3学期があと1か月長かったら…と願わずにいられませんでした。
 今これを書きながら、沢山の心音の顔が浮かんできます。お友達と楽しく遊んでる顔、土粘土で汚れた姿、塗たくりで白くなった顔、真剣な顔で金づちを打つ姿、お茶会でのおすまし顔、一生懸命走っている姿、発表会での堂々とした顔…いつもいつも近くで心音の姿を見られ、本当に良かったです。
 幼稚園への行き帰りの時間もかけがえのない幸せな時間でした。
 「あっちの桜とこっちの桜は色が違うよ」「ちっちゃいオレンジのお花咲いてる」「あの木はつるつるやねん」と可愛い発見を教えてくれ、私一人で歩いていたら見過ごしていたようなことを気づかせてくれました。
 帰り道、家までじゃんけんでグリコをしながら1時間近くかけて帰ったこともありました。こんな贅沢で素敵な時間は、これからはもうないのかなぁと思うと寂しくなりますが、新しい世界へと飛び出す娘をしっかり応援したいと思います。
 園長先生はじめ、お世話になった諸先生方、沢山のお友達、そして沢山のママ、本当にありがとうございました。皆さんのおかげでとても充実した幼稚園生活を親子共に過ごすことができ、心から感謝しています。
 千里敬愛幼稚園は私にとってパワースポットでした。先生方の明るい挨拶や子ども達の元気な声からいっぱい元気をもらいました。ありがとうございました!
○ここちゃんへ
 卒園おめでとう。幼稚園でいっぱい頑張ったこと、ちゃんと知ってるよ。縄跳びも60秒跳べるようになって、スゴイね!
 いつも優しくて、頑張りやさんで、ニコニコよく笑うここちゃんが大好きだよ。
 小学校へ行っても、ちゃんとママが見てるから安心してね。沢山の笑顔と思い出をありがとう。今までも、これからもここちゃんはずっとママの宝物だよ。



■ガラスのハート
 優希は生まれて暫くは、よく笑い、よく寝て、物怖じしない子でした。
 しかし、2歳で大阪市から吹田へ移転後、みるみる私から1mと離れられない泣き虫になりました。
 何故?という思い、焦りもあったのでしょうか、私はその頃から随分と優希に厳しくしてしまいました。若干共依存で、甘々でもありながら、いつも自分の感情をむき出しにして接していました。
 どうか強い子になりますように…。そう願って大阪市のときから決めていた千里敬愛に入園させました。
 でも、入園しても泣いてばかり。楽しんではいるけれど、参観で私に会うと泣く。年中になってやっぱり秋頃まで泣いていました。他の子は全然へっちゃらなのに…。
 私のせいだ。怒ってばかりで自信を持たせてあげられないからだ。
 自己嫌悪でいっぱいになって自転車で帰る日々。自家中毒にも数回なって、かかりつけ医からも、「優希ちゃんはガラスのハート」とお墨付きをもらい、また自分を責めて、でもやっぱり怒ってしまう。
 すぐ、「ボーッとしないの」「前を見て歩きなさい」「ちゃんとご挨拶して」「しっかり食べなさい」…。
 ところが年長2学期の面談で、大久保先生が何気なくおっしゃった、「とにかく元々の優しさがある子ですもんね」という一言。はっとしました。
 そうだった。この子は優しい子だった。
 そう言えば、年長になったとき、「優希ちゃんは、うちの子を気にかけてくれるから、私、一緒のクラスでホッとしてるのよ」と言ってくれたママもいたっけ。
 千里敬愛では、親に悪いことは言わないと知っていても、しみじみ嬉しい言葉でした。
 嘘みたいですが、私はそれから優希を感情的に怒らなくなりました。
 おっとり、ボーッとしててもイイや。やっとそう思えるになりました。
 本当は他の子を押しのけるくらい強い子になって欲しかったのだけれど…仕方ないや。
 3学期になって、また数回泣いていたけれど、先生と指切りしたから、泣かないで頑張ってたね。
 ガラスのハートは結局ガラスのままだったけれど、千里敬愛での経験は、きっとこの子の糧になっていくでしょう。
 それと、優希が優しいのは、つばめのみんなが優しくしてくれたからです。男の子も女の子も、「あの子はどんな子?」と聞くと、「あのね、優しいよ」と答えていたもんね。
 みんな、優希に優しくしてくれてありがとう。いっぱい遊んでくれて、ありがとうね!
 3年間、本当にお世話になりました。私も優希も本当に本当に楽しかったです!



■子どもは忘れても私は忘れない
 新ブルーポッケの募集が始まっているとバス停で聞いて、大急ぎで自転車を飛ばし、汗をいっぱいかきながら事務所に駆け込んだこと、今でも鮮明に覚えています。
 家に帰り、開けっ放したままの窓を見て、こんなに慌ててまで預かって欲しかったんだと笑えました。
 おてんばな2歳の娘に振り回される毎日の中で、週2回の千里敬愛生活がスタートしました。
 4つ上の兄と半年間、同じバスで通園できたのは、今でもいい思い出です。
 新ブルー、ブルーポッケ、にじと体操服から、年少ぶどう組になり、制服を着て初めての登園。少しお姉さんに見え、年少、年中、年長と3年間が始まるんだと改めて実感し、何だか遠く離れていくようで、バスを見送ると涙が出ました。
 とは言え、順風満帆とはいかず、参観に行くと決まって帰り際には一緒に帰りたいと泣いて、私にべったりくっついてしまうので、毎回先生に抱っこしてもらい、その間、走り去って帰りました。
 自由参観は行く回数を減らしたり、行っても早めに切り上げたり。
 大観衆に弱く、運動会では泣き、発表会では先生の手を握りしめ、固まっていました。
 ぞう組では、「朝のバスは乗るけど、帰りは絶対お迎えにして」という日々が長く続きました。それでも行くと楽しいようで、段々と帰りもバスに乗るようになりました。
 年長になると一日二回あったりのゲリラ参観。
 遅バスだから着いてからの着替えに焦るマックプール。大好きなお茶会。感動のお誕生会。ドキドキのお泊まり保育。馬跳び大好き運動会。リレー大会、こころチーム10位入賞。悪戦苦闘だった造形事務所チーム。頑張ってやり遂げた発表会ボックスホン。「銀河鉄道の夜」は、発表会本番は凄く緊張していたけれど、ミニミニ発表会からは肩の力が抜け、回を増す毎に演技に磨きがかかっていて、微笑ましかったです。
 卒園式前日の、お部屋での参観は、数センチ前を船が通り、嵐が駆け抜けるという特等席。裏方も見える贅沢な観劇でした。
 惜しくも2位の縄跳び大会。欠席のお友達の分も跳んだ前跳び60秒。入魂の100秒チャレンジ、クリア。
 ラストランは、あひる組女の子1位。
 3年半のたんぽぽバスと、引っ越してからのすみれバス。上の子の2年と合わせて6年間、親子共々楽しませてもらいました。
 特に今回の4年半では、様々なSOS体験、お兄ちゃんが東京転勤で味わえなかった、敬愛年中生活、エプロンママ班長、保護者リレー、学園祭りスタッフのバザー係、保護者縄跳びと思い出がいっぱいです。
 熱性痙攣があるので、小さい組のときから、園の冷蔵庫に痙攣止めの坐薬を預かってもらっていました。熱になるのが心配で、少しのことでも休ませていたのですが、あひる組での欠席は、「ちょっと頭、痛い」と言って大事をとって休んだ1回だけでした。逞しくなったものです。
 千里敬愛幼稚園で伸び伸び生き生きすごした幼稚園時代は宝物です。子どもの記憶なので、忘れてしまうかもしれません。これだけ濃いと覚えているかな?心の柔らかなこの時期に何にも代えがたい経験だったと思います。
 親の私が忘れません。
 小学校は選べませんが、幼稚園は選べます。それが千里敬愛幼稚園で良かった。
 お世話になった全ての方々に感謝します。ありがとうございました。
 みーちゃん、卒園、おめでとう!



■多い参観で、ありのままが見られ
 「ママ、幼稚園楽しんでるね」
 ある日、息子から言われて、思わず笑ってしまいました。
 こんなに、子ども達以上に楽しむ母達のいる幼稚園なんて想像しないまま転園してきたのが年少の11月。
 引っ越ししたくないと泣き、その晩40度の熱を出し、悪夢にうなされていました。
 そして初めて園に伺ったのは学園祭り。不安だったのでしょう。真顔でゲームをし、綿飴を食べました。
 あれから2年半。
 息子のいろいろな顔を見ることができました。いつもと違う雰囲気に不安で涙した運動会に発表会。悔し涙に真剣な顔。
 参観が多かったから、ありのままを見せてもらえたからこそ見られた顔です。
 初めてできた逆上がりは、私も一緒に喜ぶことができました。あのときの嬉しそうな顔を、きっと忘れないでしょう。今でも思い出しては胸がワクワクします。
 泣き虫な息子が、卒園間近のある日、年少の弟に、「出来ないと思ったらダメやねん。できると思ったら絶対出来るから!」と励ます姿がありました。
 思えば息子は、年少の頃から毎日欠かさずバス停までの縄跳びが日課。少しでも速くなりたいからと、公園で小学生に混じってリレーのバトンの練習をしたり…。
 もともと負けず嫌いの性格ですが、共に競い、励まし合う環境があり、友達がいたからこそ出来たことです。
 年長になって、かもめ組のリレーはいつも最下位。でもその度に何度も立ち止まって、先生とクラスのみんなが話し合い、「1位だけが偉いんじゃない!力を出し切ることが大切!」と、友達を思いやる気持ちが日に日に育っていくのも伝わってきました。
 それでも諦めない気持ちを持ち続けたこと、ひとつの行事を通じてこんなにも成長するのかと驚き、そして、「あ〜千里敬愛に入れて良かった!」と、その一言に尽きます。
 弟がいるので4月からまだまだ敬愛を楽しむぞと思っていたら、突然の転勤。
 不思議にも最初に頭をよぎったのは、「この3月で敬愛ママ、卒業か」という寂しさでした。それだけ私も、子ども以上に楽しませてもらっていたんですね。
 ゲリラ参観が続いたときは、家の中は散らかり、夕食のおかずが一品減りましたが…それも、いい思い出です。
 一緒にリレーや縄跳びの練習をしたり、リビングの壁いっぱいに絵や紙で飾ったり、ときには発表会のテーマであった戦争について、じっくり二人で話したり、この2年半、とても濃い時間でした。
 一度だけ息子が小さな声で、「やっぱり引っ越ししたくないな」とつぶやきました。
 ごめんねと心で思いながら、笑顔で、『ママも〜」と返し、二人で笑いました。
 そして卒園式の日。
 私が「寂しくなるね」と言うと、「大丈夫。またいつか会えるから」と息子。
 こんなに逞しくなったのは、幼稚園生活を全力でやりきったからだろうと思います。
 そんな沢山の経験をさせて下さった園長先生、先生方、いつも名前で呼んで下さり、温かく見守って下さったバスの運転手さん、バスの先生、事務の先生、本当にありがとうございました。
 そして、福田先生。先生のお陰で泣き虫昂馬が発表会の登園も泣かず、自信が持てるようになりました。本当に感謝しています。
○昂馬へ
 沢山の笑顔と思い出と、ママにも素敵な友達を沢山くれてありがとう。ママは「敬愛ママ」楽しかったよ!
 卒園、おめでとう!



■この先も、きっと大丈夫
 1歳半検診で言葉の遅れを指摘され、少しでも成長を促すことが出来ればと、ピンクポッケへ入園したことが千里敬愛幼稚園との出会いでした。
 その年の3歳児検診では構音障害と診断され、発語が分かりづらいのでは集団生活は大丈夫だろうかと心配しました。
 けれど、親の心配とは逆に、隆人は毎日楽しく園に通ってくれました。
 親ですら聞き取りづらかった隆人の会話で、どうやってお友達とコミュニケーションが取れるのか不思議でしたが、男の子とも、女の子とも仲良くしてもらい、人に恵まれた子なのだと嬉しく思いました。
 成長はいろいろ見せてもらいました。
 家では、ほぼ手づかみだった食事も、皆との食事で発見したらしく、「お箸で食べたいんだよ」と泣いてねだられたこと。
 マイペースで単独行動が多かったのに、ピンクポッケの発表会で、皆と一緒に動き、歌ってくれたこと。
 筆圧も弱く、頭で思う絵と実際に自分の描く絵との違いに泣きながら描いていましたが、年中になる頃には、好きな子だけピンク色で描くという可愛い一面も見せてくれました。
 そして年長では、自分の考えをしっかり持って、物事を行なうようになりました。
 ポッケ、年少、年中と、繰り返し行事を経験することで、自信がついたのだと思います。
 同じ年の子と比べてしまえば、決して出来るタイプの子ではありません。けれど、4年間の幼稚園生活、先生に、友達に、ママ達に恵まれ、隆人は確かに成長しました。
 それは、この先も大丈夫だよというお守りのように思います。
 4年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。



■涙とともに
 3年前、私は次女の出産を1週間後に控えた大きなお腹を抱えて入園式に出席しました。中越先生にばなな組の名札を付けてもらい不安そうに部屋へ入って行く姿を見送り、式典後に部屋へ迎えに行くと、私の顔をみるなり凛の目からみるみると涙が溢れ出ました。そのときの、緊張と不安とを必死に我慢していた凛の表情は今でも鮮明に思い出されます。
 それから3年間、凛に涙はつきものでした。
 年少の初めのころはできないことが多くて、その度に泣いていました。参観に行っても不安顔か仏頂面でこちらを睨みつけ、いつになったら他の子供たちのように笑顔で手を振ってくれるのだろうと思っていました。
 年中になると普段の生活は落ち着きましたが、初めてする活動のときはよく泣いていました。初めてのことや苦手なことをするときは特に嫌がる凛を、先生方はいつも不安な気持ちを和らげるようにさりげなくサポートして下さいました。
 年長になり、初めは「年長さんだから」と何でも張り切っていましたが、気持ちに行動が伴わず幼稚園に行きたくない日が続きました。
 毎日家にいる時間のほとんどを泣いて過ごし、母子ともに疲れ果てた日々でした。
 大久保先生には本当にお世話になりました。
 凛が不安なときはいつもそばにいて手を繋いで下さったり、凛ができることから少しずつやらせ、自信を付けさせて下さいました。凛の心を開くため根気強く対応して下さったのだと思います。
 大きなきっかけとなったのはお泊り保育です。
 行きたくないと渋々出かけましたが、帰ってきたときは、「楽しかった、また行きたい」と目を輝かせていました。
 それから幼稚園に行きたくないということは一切なくなりました。人が変わったように凛本来の明るさを取り戻し、毎日笑顔で過ごすようになりました。
 今まで「できないからやりたくない」と言っていたのが、「やったことないからやってみたい」と言うようになりチャレンジする気持ちも芽生えました。
 卒園前には嬉々として発表会も楽しんでいましたし、縄跳び大会の60秒も跳ぶことができました。今は「かっこいい一年生になる」と張り切っています。
 卒園式が終わり帰路につく最後の最後に会ったジャイアン先生に、「凛ちゃん、泣かなくなったね」と言われました。その言葉が凛の幼稚園生活を物語っているようで忘れられません。
 この3年間で凛は心身共に大きく成長しました。親ながらよく頑張ったと思います。それも先生方がいつも温かく見守り、毎日丁寧にフォローして下さったり、手を掛けて下さったりしたおかげだと思います。お友達にもたくさん助けてもらいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。



■すべてが成長過程
 あっという間の三年間でした。先生方、息子と関わってくれた園児さん、保護者の方々のおかげで息子は大きく成長できました。ありがとうございました。
 この三年間、たくさんの行事や参観、日々の出来事がありました。
 中でも私の心に深く刻まれている出来事は、年長の六月に息子が幼稚園に行きたくないと言い、それが三週間ぐらい続いたこと、父の日参観でみんなが笑顔の中ずっと父の胸で泣き続けていたこと、母の日参観のとき、手をつなぐお友達がおらず、最後に泣いてお母さん達を見送ったことです。
 理由は「ママがいい」とのことですが、それにしてもここまで幼稚園を嫌がるものかと悩み、「休み時間何をしているの?」の質問に、
「一人で歩いてる」と言われたときには夫婦で涙がこぼれそうになりました。
 その後、バス通園から保護者送迎に変更して毎日先生に泣いている息子を引き渡しました。また比較的息子が慣れている園児さんと関わる機会を増やしていただいたり、先生方からの温かいい励ましを日々いただいて、お泊り保育の時期には幼稚園が息子にとって大丈夫な場所に変わりました。
 二学期が始まる頃もまだ一人で教室に入るのはとても緊張のいることのようでしたが、降園前に先生から言われる明日の行事や持ち物について、家に帰ってくると私が待ち構えてしまうほどしっかり伝えられられるようになりました。そして幼稚園が楽しみな場所に変わりました。
 また、お迎えに行くと1学期は職員室で待っていましたが、2学期には決まった友達と仲良く遊ぶ姿が見られ安心していました。
 それと同時進行ぐらいに家庭では、(抽象的な表現ですが)一人でも熱中できる遊びを見つけたり、人の意図をくみ取って動いたり、妹と協力して遊んだり、細かいことに触れるとお片付けができるようになったり、一人でトイレに行けるようにも身支度もできるようにもなりました。
…今まで幼子だった息子が小学校入学前の子どもにかわってきました。
 息子は元気ですが、人に手をあげたりできず、また親ばかだとは思いますが穏やかで自己主張をあまりしないタイプです。なので、この先小学校に入っていじめられたりという心配や、今は親の目の届く範囲にいてくれるからいいけれども、これから先長い人生大丈夫かなという不安がぬぐいさられたわけではありません。
 しかし、三年間を振り返ってみると、少し心に引っかかってしまう出来事のほとんどが成長過程だと思いました。大きく成長している今の息子なら、その子なりの解決方法をこれからも見つけていくのではないかと思わさせてくれました。
 親が協力できる間はどんどんしていこう、それが今の母親としての私の楽しみになっています。
 下の子を妊娠中、家から園が近いから何かあったときにすぐ行けること、入園説明会のとき、園長先生から「幼稚園はお母さんにとっても青春時代」と説明され、それが専業主婦の私がしたいことと思い、入園を決めました。
 送迎時に息子と手をつないで歩いたこと、たくさん話をしてくれたこと、歌を聴かせてくれたこと、園行事でたくさんの息子を参観できたこと。
 また母もそれに参加できたこと、たくさんのお母さんから日々励まされたことを振り返り、息子にとっても、また私、母にとっても愉しく充実した三年間を送ることができました。
 これから一緒に過ごせるのは長いようで短い時間かもしれませんが、親子共々成長していきたいと思います。


 平成27年度←