幼児期の好奇心は旺盛で、その方向も多岐に亘っています。吸収力も素晴らしいものがあります。だから早期教育の必要性を説く人もいます。
しかし、子どもが主体的に、すなわち自分の意志で学び取ろうとしない限り、同時に、「楽しい」とか「喜び」といった感情を伴わない限り、何を教えても、真の意味での成長が望まれないばかりか、将来において自己を見失ったり、自己研鑽の意欲を損なう危険性すら指摘されています。
音楽や体育などは、幼少の頃から指導を受けないと、なかなか一流になれないのも事実です。しかし、幼児のすべてが音楽家や、スポーツ選手になるわけではないし、これらの指導は当然小学校にあがっても続けねいと意味がありません。
このような特殊(才能)教育を、私は否定はしていませんが、幼児教育を考える際には切り離すべきだと主張します。安易な混同は禁物です。
勿論、日本の幼稚園でも造形や音楽活動の指導を組み入れています。しかし、私は、これらの活動は表現活動であるから幼児期には重要であり、早期から始めた方が良い特殊教育の観点とは全く異なる出発点を持つべきだと考えています。
その観点とは次の3点です。
1)生きるための活力
ようやく母親から離れて一人歩きを始めたばかりの2,3歳児には、まだまだ明確な自己は形成されていません。しかし、反抗という行動が示すように、自己表現はすでに始まっています。自己表現欲とでも呼ぶべきこの行為は、大人になっても続きます。そして、この欲求は生きるための大きな活力となるのです。意欲や積極性は、この自己表現欲に係わっていると考えます。
2)自己形成の一手段
音楽や造形は表現活動です。しかし、ヨーロッパでルネッサンスがあったように、また社会主義の国家では芸術活動が衰退したように、そこには行為者の自己がない限り真の意味での表現活動とはなりません。
同様に、幼児期の表現活動でも、子ども達の自己が表現されない限り、表現活動とは言い難く、幼児期に重要な自己の礎を築くための活動にはなり得ません。
すなわち、幼児期の表現活動では、その技術よりも、子ども達自身の思いや考えを表出できる活動でなければ、幼稚な特殊教育になり、中途半端な活動で終わってしまいます。
言語であれ、身体であれ、造形の素材であれ、子ども達にとっては自己を表現する一手段であり、自己を表現しながら、その年齢に応じた自己を確認するからこそ、幼児期の表現活動は重要なのです。
3)思考を高める自己表現力
自己表現力は、単に表現活動だけに限った能力ではなく、思考をまとめる上でも重要な働きをします。
そのときの自分の思いや、獲得している情報をまとめる能力が自己表現力であり、まとまったものが思考です。
思考をまとめるとき、我々は普通、言語を用いますが、言語能力がまだ充分に発達していない幼児には、音や造形、身体は言語に代わるものとして機能します。
以上が、私の考える幼児期における表現活動の重要性ですが、表現活動の指導について、もう少し述べます。
幼児期の表現活動では技術の向上を目的とした指導は、先にも述べたように避けるべきです。常に自己の表現が保証されなくてはなりません。
しかし同時に、教育はすべての分野で能力の発達を無視できません。表現活動でも同じです。自己表現欲を満たしつつ、表現能力を高められる活動こそ幼児教育には重要だと考えています。すなわち、「自己表現欲の充足」と「経験の積み重ねによる能力の発達」の両方の条件を常に満たす表現活動が幼児教育では求められるべきです。

